ミルクティと円の起点

別に日本が一番住みやすいとかは思わないけれど、でも朝起きてミルクティなど飲みながら朝刊を広げ、ベランダに干された布団が風に揺れるのを見ていると、何ともいえず懐かしい気持ちになる。身体にしみこんだ懐かしさだ。

ちなみにミルクティ、朝刊、布団、ベランダ、等々といったキーワードの内、私にとって一番懐かしさをそそられるのは朝刊だと思う。朝起きて、すでにポストに投げ込まれている新聞を取り出す。それをダイニング・テーブルの所定の位置に置き、紅茶を入れ、テーブルをセット。準備万端な状態で新聞をがばっと広げ、目当ての記事を見つけると、読みやすいように新聞をくしゃくしゃっと2重、3重に折りたたんでいく。その一連の作業がとても日本の朝っぽいと思う。そしてこうした朝の風景は、新聞配達の人がそれぞれの家のドアの所まで新聞を届けてくれる、日本の、ある意味特殊な文化的背景によって支えられている。

夕方、外から戻った時にポストの中にガスッと突っ込まれている夕刊を発見するのも嬉しいものだ。ドアを開け、扉の内側から夕刊を引き出すと、あぁ、家に戻ってきたという気がする。夕飯の後、お茶を飲みながら夕刊を広げて読み進めていると、その日一日がホワッと閉じていくように感じることがある。

思えば、一日一日を、その都度円を描くように、ふんわりと閉じつ開きつしながら生活するというのは以外に難しい。朝、起きた時点が円の起点で、そこから始まる一本の線が、一周して夜寝る時には元あった場所へ戻る。そうやって一日をふわっとクローズする。難しいのはこのクローズするタイミングだ。夜型な性質も関係しているのかもしれないけれど、私の場合、一年の内、300日ぐらいはこの円が閉じられることなく、開きっぱなしのまま生活しているような気がする。一旦スタートした線が、閉じるタイミングを逃したまま次の線となり、それがまた閉じられることなく次の線へとつながっていく。きっと私の生活を円で描こうとしたら起点と終点のあわないぐちゃぐちゃな円が画用紙いっぱいに広がっているのだと思う。もっとこう、ぶれが少なく、凛と締まった円を描けるような生活ができたらいいのに...と思うこともあるのだけれど、そういう暮らしはもうちょっと歳をとってからの楽しみとして取っておくこととして、今日は泡盛を飲みに行ってきます。

空港の思い出

空港に来るたびに思い出す人がいる。

丁度2年前、進学先の大学の下見に来る途中、デトロイトで飛行機を待っている時に言葉を交わした人のことだ。
その時、私は進学先のプログラムのダイレクターに電話をしようとしていたのだけれど、あいにく空港内の売店は両替え禁止だとかで、小銭の持ち合わせがなかった私はちょっと途方に暮れていた。そんな私を見て、横でレジを待っていた彼がPhone Cardを貸してくれたのだった。「お礼にコーヒーでも」と言ったら「いや、僕はビールの方が良いから。」というので、二人でだらりとバーに並んで1パイント$6とかいう法外な値段のビールを飲んだ。お礼に、と誘ったのは私だったのにお金を出したのは彼だった。
どこか飄々とした感のある人で、おもしろくなさそうにビールを飲みながら、自分のことをポツリポツリと話した。

クリスという名前のその男性は、田舎町に住んでいて、大学のDistance Learning Program(コンピューターを使った遠隔教育プログラム)でComputer Scienceの学位を取ろうとしている所だと言った。お嫁さんは数年前に飛行機事故で亡くなったのだと言う。
いや、本当に、信じられないものだよ。長い間何もできなかった。本当に、たいがいのことはどうでもいいと思うようになったよ。
少なくともお金なんかあったってどうしようもないっていうのはすごく強く思うようになったね。

人は簡単には死なない。
身体には自然の治癒能力というものがあって、細胞に埋め込まれた生命力は時に思いがけない奇跡をもたらす。
それはある意味正しい。
でも同時に、人の生は時に、本当にどうしようもないくらい簡単に失われてしまう。
それはあまりに簡単で、あるいはあまりに抗いようがなく、これはもう初めから、綿密に仕組まれていたに違いない、と思うくらいにあっけなく、些細なことで死んでいく。

いろいろな細部がほんのちょっとずつズレていれば、こんなことにはならなかったのに。
あの日あの時あの場所にいなければ...
あの時、あの電話がなければ、この時期に休暇が取れなければ、あの飛行機を予約していなければ、あの便が満席でなければ、あの朝飛行機に乗り遅れれば、あそこで引き止めておけば、整備技師の体調が万全だったならば...
なにがいけなかったんだろう、どこで間違ったんだろう。
もう決してあの日、あの時に戻ってやり直すことはできないと分かっていても、いや分かっているからこそ、苦しみは続く。
自分だけが彼/女を救えたかもしれない場所にいたとすればなおさら。

彼の話しを、私はぼんやりと聞いていた。
それにしても彼はなぜ、私に対して死んだ彼の妻の話をするのだろう。
数週間前に、友人を失ったばかりの私に。
最後に会った時、友人は言った。
「君に、何か悪いことをしなかったかな...」
「? なんでそんなこと言うの?」
「あなたは、日本で唯一本当のことを話せる人だから。傷つけていたらいやだと思って。」
「変なこと言うね。なんか、遠くに行っちゃうみたい。」
遠くに行っちゃうみたい、と思ったのなら、なぜもっと... 
そんなことは、これまでに何度も何度も思った。思ってもしょうがないのだと思いながらもなお思った。
今も思うし、きっとこれからも一生思いながら生きていくのだと思う。

生きていて、本当にどうにもならないこと、努力してもお金を使っても他にいかなる犠牲を払ったとしてもどうしようもないことというのはそうたくさんはない。どうしようもないことは分かっているのに、それでも諦めきれないと思うことはさらにわずかだ。夢とか目標とか、そういうものにはいくらでも変更が利く。いや、利かないと思う人も多いのだろうけれど、利くんだよ。これがダメでもあれは大丈夫かもしれない。ここならダメでもあそこなら大丈夫かもしれない。今はダメでも明日は大丈夫かもしれない。そう思うことができる。人の死は、何によっても代替不可能だ。だってこの人とあの人は別の人間なんだもの。人間の唯一無二性。そんな単純な真実を受け入れることすら、現実の死を前にしてはひどく困難に思えてしまう。

やがてビールを飲みおえた私たちは、それぞれの飛行機で、それぞれの目的地へと向かった。
別れ際、執拗に「無事に着いたらメールで連絡して。ほら、アメリカは危ないからね。何かあったんじゃないかと思って心配になるから」と繰り返す彼の言葉に従う形で、私は到着したその場所からメールを送った。多分彼が確かめたかったのは、私の安否ではないのだろうな、と思いつつ。いや、もちろん、私のことを心配する気持ちはあったのだろうけれど、彼が必要としていたのは、飛行機に乗っても死なない人もいるという、多くの人たちが特になんの疑いもなく当たり前のこととして考えているような、そんな事実を確かめることだったんじゃないかと思う。

大切な誰かを失った時、人は死がもつ圧倒的な力に引きずられがちだ。すべていつか失われる。みんないつか死んでしまう。やさしくしてくれるあの人も、いつもいく花屋のおばちゃんも、毎朝すれ違う老夫婦も、みんな自分の前から姿を消す。そんな圧倒的な終末感にとらわれがちだ。そんな時、うん、でも、私はまだ生きているから、と言ってくれる人がいることは救いだ。そんな簡単なことすら、言葉にしてもらわないと見失ってしまうほどに、死は人の精神を打ち砕く。そこから徐々に、自分が生きていること、これからも時間は過ぎていくこと、いろんなことが少しづつ動いていくこと、そういうことを再認識していく作業が始まる。そうやって手にした世界は、壊れる前のそれと全く同じものではありえないけれど、でもいびつさの分だけ余計にリアルだ。

私が出したメールに対し、クリスは短い返信をしてきた。私は筆無精なせいもあって、それっきり彼にメールを書くことはなかった。

もしかしたら彼は今頃コンピューター関係の職についているのかもしれない。もしかしたらあの時話していた、彼に「ちょっかいをだしてくる女の子」と一緒に生活しているかもしれない。たとえもう二度と会うことはないとしても、一緒にビールを飲んだ相手が、どこかで日々生きているということに希望を見いだせるということは幸せなことだ。それはとても幸せなことだ。

 
May 2003
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