ラブレターはAで始まる

ジョビンなどを聴きながら、
おしゃれな週末の午後を演出してみるも、
実際はかなり切羽詰まった日々を送っていたりする今日この頃。

時々、人が死ぬ時のことばかりを考える。
例えば、私の恋人は私よりひと回り年上なので、
そうするとまぁ順番からいけば先に死んじゃうかもしれないわけで、
そしたら...どうする?とか。
やだな、きっと耐えられないな。
いや、でもそれまで一緒にいるかなんて分からないし。
一緒にいたとしても、もうすっかりマンネリカップルになってるのかもしれないし。
それはそれでもっとヤだ...とか。
まぁ、でもそういう時って自分が死ぬ時のことは全然考えないで、
どうしよう、この人が死んじゃったらどうしようって、人のことばっかり考えちゃったり。

恋人のお母さん、すごくガーデニングに詳しくて(生活の糧なので)、あと野草とかにもすごく詳しくて、庭にいろんな種類の草花を植えていて。
そういうのをいつかビデオにとりたいねって。
お母さんが一つ一つの花について説明している様子をビデオとかに撮って保存しておきたいねって。
今年は、それ、できなかったんだけど。
どうする?
来年の春までに急にお母さんが死んじゃったりしたらどうする?とか。
そんなことになったら、すっごい後悔するんだろうな...とか。 

流星群とマンオキ

meteor swarm(流星群)見に行きました。

「今夜meteor swarmを見に行こうと思うんだけど...」と言われて、
「video show?」
なんて聞き返してみる、アメリカ生活2年目の冬。
そう聞こえたんだ...しくしくしく...

で、結果からいうと、
全く何も見えませんでした。
雲に覆われた空を見上げること30分。
いや、まぁ、真っ暗な空を30分も見続けるなんてこと、きっとこの先ないと思うよ。
なんてブツブツ言いつつ、朝の6時に帰宅。

「あー、思うに、見えるはずの流星群が見えないということについては、二つの解釈が可能だと思うのですよ。」
と、友人。
一つ、天気が悪い。
二つ、今日は流星群の日じゃない。
僕らは間違った日に来てしまったんだね。うん、そうだ。きっとそうだ。
慰める言葉を持たない自分をふがいないと思いました。嘘です。

眠いし、流星見えないし、
やけになった友人達は、帰り道、なぜか「これまで盗んだ変なもの」という話題で盛り上がるのでした。
酔っぱらって魚市場に入り込んで、手づかみで魚を一匹盗んだとか。
ツリー盗んで持って帰る途中、職務質問されたとか。
チーズがスキでスキで、ついお店で一番高価なチーズを盗んでしまったとか(ゴルゴンゾーラだったらしい)。

そう言われたら私、盗んだこととかない気がするなぁ...
飛行機の、非常口を説明してあるパンフレットを集めるのが趣味なんですけど、
「持ち出し禁止」のものを持ち出すのも盗みに入るのでしょうか...

盗み=万引きといえば、
一時期、万置きがマイブーム(死語)だったことがあります。
ボアダムスの山塚アイが推奨していたものですが、というか、私が勝手に推奨されたものと理解していただけですけど、

お店のものを勝手に持って帰っちゃうのがマンビキであるとすれば、
自分のモノをお店に勝手において帰っちゃうのがマンオキ。
迷惑だよね、お店としては。場合によっちゃマンビキより迷惑かもしれない。
「あのガキ、売り場をウロウロしやがって、絶対何か盗もうとしていたに違いない。ぷんぷん。」
とか思いつつ、お菓子セクションをチェックしてみると、
筋肉マン消しゴムとかが、申し訳無さそうに、ちょこんと。
キノコの山に寄り添うように。
「くそ。こんなもん置いていきやがって...」
しかも、なんで筋肉マン消しゴムなのか、意図が見えないだけに気になって気になってしょうがない。よっぽど高価なものとか、稀少価値があるもの、思い入れがあるものでない限り、無くなったもののことがいつまでも気にかかるってことはないかもしれないけど、得体のしれないものがある日突然、あるはずのない所に出現するというのは、すごく気になると思う。

今でも時折、思い出したかのようにやってしまいます。マンオキ。
犯罪ですか?

The Inheritors (Die Siebtelbauern)

ちょっと前の話になりますが、久しぶりに映画を見ました。

"The Inheritors (Die Siebtelbauern)"というオーストリア映画で、監督さんはStefan Ruzowitzky。これがすごい大当たりでした。
オーストリア映画+設定が古い(1930年代)ということで、特に期待しないで見にいったんですけど、始まったとたんにもうトリコ。まず、色がいいでしょ。錆び付いたカラー。セピアがかったとかいうんじゃなくて、本当に錆び付いた感じ。

あと、カメラワークが無茶苦茶好み。荒いといえば荒い...かな、という部分もあるけど、
そういうの大好きですから。荒いといっても"Breaking the Wave"みたいな、手持ちビデオでブレブレっていう感じのものともまた違って、決して見難い感じではないです。ちなみにカメラはPeter von Hallerという人。

キャストというか人物設定にもいろいろ癖があって...ふふふふって感じ。
テーマ自体は特に新しくはないんですよ。
自由とは何か。自由であるということはどういうことか、みたいなテーマで。
安い賃金で働かされていた小作農(peasant)たちが、農場主の死によって、ある日突然農場主(たち)になるわけです。で、最初は「お前らの農場を○○○円(為替は違うけど覚えていない...)で買ってやるよ」とかいう別の農場主の口車に乗って「わーい。ボーナスだ」とか喜んでいるんだけど、その内「いや、まて、一時的にまとまった金を手に入れたとしても、小作農である限りはこの先ずっと安い賃金でこきつかわれるんじゃないか。それより金にはならなくたって自分達の為に働く方がいいじゃないか」みたいなことに気付いて、結局お金じゃなくて農場を自分達で運営する道を選ぶ、と。

で、昨日まで小作農だった奴等が急に農場主になっちゃったわけだから、村の他の農場主(太った金持ちですね)は気持ちよくないわけです。で、いろいろ妨害をする、と。最後はまぁ、悲劇的な終わり方をするんだけど...
本当に、こうやって書いていてもストーリーは別に特別じゃないでしょう?
もちろんセリフとかはすごくいいんだけど。
粗筋を読んだだけじゃ多分そんなに惹かれる映画ではないと思う(実際私も全然期待してなかったし)。結構これまでにもこういう映画あったよな、って。

でもね、もう目が釘付けなの。
画面にすごいパワーがある。

あれですわ...
なんかグワーっと破滅に向かって落ちていく中に、いくつもの美しい瞬間っていうのがちりばめられていてね。もう、一方では逃れられない身分制とか差別とか因縁とかいうものがドロドロドロドロ渦巻いていて、みんなそこに飲み込まれていくんだけど、その逃れようのない破滅への道...の過程において、ものすごい、生が輝くとはまさにこのことかってぐらいに美しい瞬間があるのです。
すっごい切ない。うわー...って叫びたくなるくらい切ない。

今気付いたんだけど、これ95分の映画だったみたいです。
もっと長かった気がしたけど。というのは、それだけ内容が濃かったっていうことで、
間延びした感じでは全然ないです。
この短さであの濃さ...
この監督さん、要注意です。 

編み上げブーツで三十路を越えろ

アイスクリーム欠乏症で、急きょお隣のアイスクリーム屋さんまで走りました。
カルーア・チップスをゲット。


以前、
「オリーブ廃刊後の世界をオリーブ少女はいかに生き延びるのか。旦那と子供の手を取って、30すぎたオリーブ少女が生き延びる道とはいかに?」
という文章を、半分冗談で書いたことがあるのですが、最近、分かりました。三十路を越えたオリーブ少女の向かう道!
ズバリ。webでコジャレタ暮らし系サイトを作って、日々のさり気ない生活を親子で楽しむさまを紹介する。当たってると思いません?

実際、最近の暮らし系サイトっていうのは、「ホントにコンピュータ初心者の主婦の人が作ったサイトなの?」っていうくらい、センスのいい所が多いです。デザインにしても、写真の撮り方にしても。しかしこのセンス、この配色、このコンテンツ...どこかで見たことがあるような...う〜ん...と思うことしばらく...
あ、オリーブだ。

さり気ない日常を楽しむ。雑貨好き。ガーデニングもいいよね。
子供の服そうにももちろんこだわる。おもちゃも断然デザイン重視。
料理も子育ても自分の趣味にしてしまう。

そういう日常生活に対するアティチュードというか、生活そのものがオリーブ式なのです。たまに映画評とかのっているサイトがありますが、やっぱりオリーブっぽい。お勧めの本の紹介では、栗原さんとか堀井さんとか、その他料理レシピ関係の本ならびにガーデニング系の雑誌等。もちろん部屋に置いた時にオブジェとしても見栄えがするように、装丁のいいものを選びます、といった感じでしょうか。

でもホント、見やすくてほんわりとした感じのサイトが多いので、これからサイトを始める主婦の方のよいお手本になるのではないかと思います。オリーブ式暮らしサイト。

そうそう、もとオリーブ少女ですってカミングアウトされている所もいくつかありました。でも最近ではオリーブの精神を受けついだ暮らし系&おしゃれ雑誌が増えたし、復活オリーブ(まだ続いているのですか?)はすでに元祖オリーブとは全く別物になってしまったし、結局こういうオシャレな暮らし系サイトをオリーブっぽいという風に、単純にまとめちゃうことはできないのかもしれませんが。

それにしても、オリーブ少女のうち、センスのイイ恋人に巡り会い、20代で結婚して、30までに子供を産んだ人たちが、こうやってほんわかした感じの暮らし系サイトでオリーブの精神を受け継いでいく一方、私の友だちのように、筋金入りのオリーブ少女として中・高校+大学生時代を過ごしたにも関わらず、オリーブのメッセージを間違って受け止め(?)、真剣に映画制作の道なんかに入ってしまったがゆえに、未だにバイト生活、汗臭い映画制作業界で、おしゃれなんて言葉とは程遠いハードな生活を送っているような人もいますが...そういう人たちは「オリーブおやじ」として、焼酎片手に三十路を越えていくのでしょうか、やっぱり... 

編み上げブーツが恋しい! 

意味のはじまりを問う

昨日から筋肉痛。
限り無く消費エネルギーの少ない生活をしているっていうのに。

今夜は餃子を作ったのだけれど。
いつものとは違う餃子の皮を買ってきたみたいで。
黄色っぽくて、すごく薄い皮。
延びが良くて感激。
それに、皮が薄いせいか、胃にもたれずにパクパクパクと、
気がついたら10個ぐらい食べていた。


どうやら世の中には、死にたいという気持ちがない人もいるみたいです。

死にたいな、と思っても、いろんなことを考えて、それを思いとどまる。
つまり、死なないようにしようと思う、その気持ちとはまた別らしいのです。
大変なことがあっても、辛いことがあっても、不思議と死ぬという気持ちにならないのだそうです。死ぬなんてバカらしい、とかいう、そういうのもとも違うらしいのです。

かくいう私は、もう本当に小さい頃から、社会とか、自分の外の世界がどんな所なのかも分からないまま、そういうものに対して、漠然とした絶望感みたいなものばかりを強く感じている、そういう可愛げのない子供で、曖昧ながらも常に死に向かう気持ちを抱えながら成長してきたので、死にたいと思わない、というその状態がどんなものなのだか、さっぱり想像できないのです。

長寿のおじいちゃん、おばあちゃんとかは、もしかしたらそういう人たちなのかもしれない。死に引きずられない人たち。

死にたいという気持ちがない人が、死にたいして鈍感だとか、人生に対して楽観的だ、とかいうわけじゃないと思うのです。生きていれば、否応なく人の死に直面させられるわけで、すっごい哀しいこととか、すっごい辛いこととか、きっとたくさんあると思うのです。

でも、そこで、私なんかは、どんどんネガティブな方向に引きずり込まれていっちゃうんだけど。人の死に引きずられて、もう何も食べられなくなってしまったり、廃人のように何週間も部屋に閉じこもってしまったり、毎日毎日泣いてばかりだったり、あげくに倒れて人の世話になったり。一旦そういう状態になると、もう生のポジティブな側面とかいうのが見えなくなっちゃう。生きている意味なんてない、とか思ってしまう。

でも多分、死に向かう気持ちがない人というのは、いくつもの人の死と向かい合い、日々、困難と直面しながらも、さりげない生の喜び、みたいなものを感じ取る能力に長けているのだと思うのです。

おいしいものを食べる瞬間とか、
さりげない日々の会話とか、
綺麗に晴れた日の空とか、
朝方、遅刻しそうになりながら慌てて駆けていく子供の姿だとか、
そういうものから最大限のパワーを受け取って、
自分の生を楽しむことができるんじゃないかと。
そういうのって、すごいなぁ、と。

といっても、私は私なりに、この生に対するネガティブな性格と一緒にここまで生きてきたのであって、死に向かう衝動がない人を、とりたててうらやましいとかは思わないんですけど。それでもやっぱり、ちょっといいな、なんて、ないものねだり的な憧れを抱いたりはするわけです

 
October 2002
archives
categories
recent entries
recent comments
search
サイト内検索