orange revolution in the u.s. vol.1

偶然1/6にワシントンDCで行われたプロテストの記録を撮りにいくプロジェクトに参加することになりました。日本人で最初から最後の方まで参加していたのは私だけだったので、せっかくですので1/6に何があったのかを残しておこうと思います。1/20の大統領パレードも近いことですし、できればそれまでしばらくこの話題で。

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対立候補者の毒殺未遂がおこったウクライナの大統領選、人々の間の対立が激化する一方のイラクの状況などを巡り、世界中で市民の声を反映する公正な選挙のあり方についての議論が活発化している。しかし世界の民主化というスローガンのもとに各国の政治に積極的に干渉しているアメリカ合衆国における構造的な不正選挙については十分な関心が払われているとは言えない。

1月6日、2004年の大統領選における不正投票の可能性を追求し、票の再集計を求める大規模な市民集会がワシントンDCにおいて開かれた。この日、上院議員の内一人でも選挙結果について異議を唱える者が出れば、上院議会において選挙そのものの見直しが行われ、場合によっては票の再集計さらには再選挙すらもあり得るという状況の中、一時の採決を前に全米各地で大規模なプロテストが企画された。ワシントンDCのキャピトル前にはカリフォルニア州やオハイオ州などからかけつけた数百人の市民が集まった。

今回不正選挙の可能性があると言われているのはオハイオ州、フロリダ州、ノースカロライナ州、ニューメキシコ州、ネバダ州などで、問題点として上げられているのは地域による投票機械の不平等分配、投票シートの不備、膨大な未開封票の数などである。
例えば今回の大統領選を決定づけたオハイオ州においては、共和党支持者の多い白人中上流階級の多い地区に比べ民主党支持者の多い都市部やマイノリティ地区には投票マシーンそのものが少なくしか配布されず、また不備により動かないものも多かったと報告されている。スピーカーの一人である白人女性は自分の住んでいる地域にはマシーンもスタッフも十分準備されており5分で投票できたのに、その後監視官として訪れたマイノリティ地区ではマシーンもスタッフも足りず、人々は投票場をたらい回しにされ、天気の悪い中最長5時間も待たされている人がたくさんいるという事実に愕然としたと語った。
またブッシュが大量に票を獲得した2地域(ここでの大量リードがブッシュのオハイオ州における勝利を確実のものとした)において、ケリーは地方議員(州にもよるが、通常大統領選と他の選挙(上院議員選挙、地方議員選挙など)は同時に行われる)に立候補した地元出身のマイノリティ女性候補者(リベラル)よりもさらに少ない票しか獲得できなかった。そもそもこの2地域における両者の票差自体不自然である上、ブッシュ支持者が大統領としてブッシュ(保守)を押すと同時に地方議員としてマイノリティ女性候補者(リベラル)を押すとは考えられず、何らかの票操作が行われた疑惑がもたれている。
その他多くの地域において投票数が住民の数を超えるという事態がおこっており、これら超過票を集めると約4万票にはなるという統計資料が出されている。
ニューメキシコ州はアメリカ国内においても特にマイノリティ率の高い州であることから、マイノリティが投票に参加すれば民主党が独占できる州、と言われながらも毎回僅差で共和党が勝利を収めている州である。しかし僅差で共和党が勝ち続けている背後には数々の不正選挙の疑惑が隠されており、きちんとした調査が行われれば一番にぼろがでる場所とも言われている(の、わりにはニューメキシコ州の問題は一般的に知られていないのだが)。
2004年11月の選挙においてブッシュは6000票という僅差で勝利を収めた。しかしニューメキシコ州の選挙管理委員であり、不正選挙についての調査を行っている女性によると、ブッシュの勝利が確定した時点でなおニューメキシコ州には2万票以上の未開封票が残されており、それ以外にも集計されなかった票(主にマイノリティ・コミュニティにおける票)が多く残っているという。2000年にも同じような問題は指摘されていたが、もともと州代表の選挙人の数が少なく選挙の結果に決定的な影響を持たない州であるだけに、問題は追求されぬままに終わった。
その他、フロリダ州、オハイオ州などで確認された例として、
パンチカード方式を採っている地域で、大統領候補者のブッシュの欄にすでに穴が開いた状態のカードを渡された(もし投票者がケリーの欄に穴をあければ、穴が二つあいた票は無効票となる)
タッチスクリーン方式を採っている地域において、大統領候補者の箇所にブッシュの名前しか表示されなかった
といったことが確認されている。
もちろんある程度のエラーは選挙につきものであるが、いくつかの地域ではこういったマシーンや開票時のエラーによる誤差が10%以上にのぼる所もあり、状況はきわめて深刻であるといえる。

また選挙の焦点となったオハイオ州におけるもう一つの問題は、州における選挙全体を監視する任務を担う州務長官(セクレタリー・オブ・ステイト)がブッシュの選挙補佐グループの副責任者であるという点である。各地域への投票マシーンの配布数などは州務長官によって指名された共和、民主の代表計4名によって行われる。またオハイオ州ではブッシュの勝利が確認された後、票の再集計が行われたが、通常この再集計は全体の票のうちの3%を任意に抽出、集計し、その結果が当初の選挙結果にマッチしない場合には全体の再集計へと進む。しかし州務長官ブラックウェルは、3%の票の再集計が終了する前に再集計そのものを打ち切りブッシュの勝利を宣言した。11月の選挙におけるイレギュラリティの問題に比べ、再集計プロセスにおける不明瞭さについてはあまり指摘されていないが、現在ブラックウェルに対する訴訟の準備なども行われており今後さらに議論が進むものと考えられる。


さて、1月6日おこったことを理解するために、複雑な…というよりは奇妙なアメリカの大統領選挙の仕組みを簡単に説明しておこう。
アメリカ合衆国の大統領は11月に全国規模で行われる投票によってのみ決定されるわけではない。12月に各州から選出されるエレクトラル・カレッジ(選挙人)による投票が行われ、1月に上院・下院議員によってエレクトラル・カレッジの決定が承認されることによって初めて大統領が正式に決定する。パレードが1月20日に行われるのはそのためである。

エレクトラル・カレッジというのは、つまりの所大衆の決定を一部の政治家が吟味、再考、さらには却下することもできるシステムであって、アメリカが価値を置く民主主義とは対局にあるようなシステムである、というのはよく言われていることで、エレクトラル・カレッジの存続については延々と議論が交わされている。そもそもエレクトラル・カレッジが作られたのは、一人のカリスマ的な独裁者のような人物に大衆が煽動されるような事態を防ぐという目的があり、つまりその根底には政治家の大衆不信がある。大衆は物事を広い観点で見ることができないから良識ある政治家が最終決定権を握るべきである、というわけである。
ただ、大衆の意識がどう作られているにしろ、最終的に一部の政治家が大衆の決定を覆すということは大衆の意志を無視している=民主的でないという批判を免れ得ないのであって、現在のエレクトラル・カレッジは、政治が正しい方向へ向かっていくよう監視するというよりは11月の大統領選の結果を、それがどんなものであれ後押しする、という機能しか持っていないのが実情である。

ところでエレクトラル・カレッジを構成する選挙人の数であるが、これは州の人口に比例して決定される(ワシントンDCのみ人口に関係なく3人の選挙人を抱えている)。一番少ないのはアラスカの3人。一番多いのはカリフォルニア州で55人の選挙人を抱えている。
特定の州において勝利を収めた大統領候補は票差に関係なくこの選挙人全員を獲得できる(2州を除く)。大統領選中継においてアメリカの地図が示されていたと思うけれど、地図がほとんど真っ赤なのにも関わらずブッシュとケリーの票差がほとんどなかったのは、ケリーが人口の多い(でも面積は小さく数も少ない)東海岸や西海岸の民主党州をきっちり押さえていたからである。

先にも述べた通り、ここでの結果がエレクトラル・カレッジで覆ることはまずないので、実質上11月の選挙結果が大統領を決定するものと一般には受け止められている。敗者がこの時点で敗北宣言を行うのもそのためである。
ただ選挙そのものは続き、12月に(形ばかりの)エレクトラル・カレッジによる投票が行われ、ここでの結果が議会に送られ1月6日に議会による承認を受けて初めて大統領が決定される。

と、ここまでくればなぜ1月6日が重要なのか理解できるであろう。2004年の大統領選を疑問視する人々にとって1月6日は、大統領選の結果を覆す、あるいは少なくとも選挙の公正性についての論争を巻き起こす、まさに最後のチャンスなのである。もちろん1月6日を過ぎても不正投票疑惑についての調査は続くであろうし、すでにさまざまなレベルで投票の不正、不平等をめぐっての訴訟の準備も行われている。ただいったん議会によって大統領の承認が行われてしまえば、その後どんな結果がでようとも大統領選をやり直すことは不可能である。また裁判にかかる時間の問題もある。
しかし1月6日に、上院議員の内の一人でもエレクトラル・カレッジの投票結果に対し疑問を差し挟む者がいれば、選挙を、少なくとも開票をやり直す可能性はある。
ちなみにマイケル・ムーアの『華氏911』の冒頭シーンを覚えている人はいるだろうか。フロリダ州におけるゴアの(幻となった)勝利宣言シーンの後、下院議員が不正投票/開票を理由にエレクトラル・カレッジの投票結果に対し異議を申し立てるシーンがある。その際議長であるゴア(当時の副大統領)は「上院議員のサインはあるか?なければ異議は無効。却下。」と議員(大半はマイノリティ議員)による異議をばさばさと切り捨てていく。
ここで重要なことは2点。
1.エレクトラル・カレッジの決定を取り消すにはどんなに多くの下院議員が異議申し立てを行っても無駄である。
2.しかし上院議員が一人でも異議申し立てを行えば、エレクトラル・カレッジの結果の見直しが行われなければならない。
つまり、上院議員のうち、一人でも見方につければ勝てる可能性がある、というわけである。

理由はなんであれ、選挙に何らかの不正があったと考える数万人の人々が1月6日までに自分たちの州の、あるいは州の枠組みを超えて各地の上院議員に電話をかけてまわったのも、この「一人でも見方につければ…」という希望があったからこそである。
1月5日から6日朝にかけて、民主党所属でリベラルとして知られるヒラリー・クリントンのオフィスには、まさに息をつく暇もないほどのペースで、「エレクトラル・カレッジの決定に異議を唱えてくれ」という市民からの電話がかかってきたという。

前日夜には、少なくとも8人の上院議員がエレクトラル・カレッジの決定に異議を唱える可能性を示唆していた。ただ2000年の時と同じく、直前になってケリーが「選挙に問題はなかった。オハイオ州の結果を承認する。」という声明を出したため、実際に異議申し立てが行われる可能性はほぼゼロとなった。
ただカリフォルニア州の民主党派議員であるバーバラ・ボクサーは「必ず異議申し立てに加わる」と発表していたため、一人になったとしてもやってくれるのではないか、という希望的観測が飛び交った。
1月6日の朝までに、ボクサーは異議申し立てを行う意志を再表示し、これによってエレクトラル・カレッジの結果は1時の承認会議において再議論されることが確実となった。
しかしこの時点でボクサーが異議申し立てを行った後、はたして何がおこるのかをきちんと理解している人はほとんどいなかったと言ってよい。
理由は簡単である。
エレクトラル・カレッジの結果に対する上院・下院議員による異議申し立てが過去に行われた例がなかったからである。正確にははるか昔に一例だけあるのだが、この時のことは一部の法律家、歴史家等によってしか知られておらず、そもそもエレクトラル・カレッジの結果を覆しうる制度があること自体、ほとんどの人には知られていなかった。

1月6日に起こったことの詳しい内容はこの次にするとして、ここではその日何が起こったかを時系列にそって簡単に説明しておきたい。
1月6日の午前10時から12時にかけて市民による議会場へのマーチが行われた。
マーチの出発点となったラ・ファエット公園と終着点のアッパー・セネット公園にはステージがセットされ、政治家、法曹家、オハイオ州やニューメキシコ州の代表、統計専門家などがスピーチを行った。やがてボクサーが異議申し立てを行いエレクトラル・カレッジの決定についての審議が始まった。審議は上院議員一人につき5分という時間制限内に異議申し立てについて意見を表明し、全員が意見を述べた後に異議申し立ての妥当性についての投票が行なう、という形で進む…はずだったのだが、通常2〜3時間かかるはずの意見表明が一時間足らずで終わってしまったことを考えると、5分まるまる使って意見を述べたのはほんの一握りの議員であったようだ。
2時から始まった意見表明は3時前後にはすでに終わり、ボクサーの異議に基づきエレクトラル・カレッジの決定を再審議するかどうかの採択が取られた。結果、ボクサーの異議申し立ては却下され、上院議会は74対1(下院議会は267対31)でエレクトラル・カレッジの結果を承認した。

ところで、1月6日のプロテスト(もちろんそこに至る前のプロセスも含め)の意義について考える際重要なことは、こうした運動が共和vs.民主、ブッシュvs. 反ブッシュといった枠組みには当てはまりきらないという点である。プロテストの参加者の中に反ブッシュ運動に関わっている者やケリー支持者は含まれるものの、ブッシュを倒す、ということを最終的な目標としている人はほんの一握りである。むしろ人々を動かしているのは、「声を聞いてほしい」「声が届いているのか確かめたい」という素朴かつ切実な思いであって、最終的な目標は自分たちの声をそのまま届ける、ということになる。
もちろんこれまでの4年間にわたるブッシュ政権がなければ、そして今回ブッシュが再選するという自体が起こらなければ、これだけ多くの人たちが「自分たちの 声を届ける」必要性を感じることはなかったのかもしれない、という意味では公正な選挙を求める運動と現政権に対する批判とは切っても切りはなせない関係にある。イラクにおけるアメリカ軍の混迷、低所得者層を切り捨てるブッシュ政権の社会保障政策や教育政策、ゲイ、レズビアン、シングル・マザーなどマイノリティへの配慮の欠如といった問題が多くの人々に「ブッシュの再選を防がなければ」という意識を持たせたのも確かである。
また、プロテストに集まった人々の声に答える形で全体の票の再集計が行われ、その結果ブッシュが負けるということになれば、彼/女たちの運動はケリーをサポートすることにもなる。
しかしそれでもやはり重要なのは、集まった多くの人たちによってブッシュを倒すこと、ケリーが大統領になるということは、あくまでも運動の成功から派生する付属的な結果の一つであって、最終的な目標はあくまでも自分の声を主張すること、自らの存在が政治的な領域においてきちんと認識されるようにする、という点にある。
で、あるからこそ、この運動は同じ目標を共有するアフリカン・アメリカンの市民運動グループ、ゲイ・レズビアン運動家、フェミニストや反戦家といった幅広い人々を取り込みながらここまで拡大してきた。
長いアメリカ市民運動の歴史において、これだけ幅広い領域(エスニシティ、セクシュアリティ、政治的興味の対象などなどにおいて)にまたがる人々が一堂に会するというのはそうあることではなく、そういう意味ではこの運動はベトナム戦争時における市民運動に近いものがへと発展しうる可能性を孕んでいるといえる。当時の運動の焦点はベトナムからのアメリカ軍の撤退であり、今回はアメリカ国内に置ける公正な選挙の実現、という違いはあるが、両者ともに大衆の声を届ける、という意志によって動いている/動かされていたという点では同じであるといえよう。

ブッシュの再選は確定となったが、2004年の選挙をきっかけに火がついたアメリカ国内におけるオレンジ革命がどこまで成長するのか興味深く見守っているところである。

今回のプロテストで撮ったクリップの一部(どちらもQuick Time Movieが必要です)
スライドショー
http://www.binghamtonpmc.org/images/Jan06Protest.mov
緑の党の次期大統領選候補David Cobbからインディペンデント・メディアへのメッセージ
http://www.binghamtonpmc.org/images/jan06/cobb-imc.mov

関係グループ(一部)
We do not concede
http://www.donotconcede.com/
1/6についてのフライヤーはこちら
http://www.donotconcede.com/FreedomWinter.html

51 Capital March(エレクトラル・カレッジにおける投票の日に行われたマーチ)
http://www.51capitalmarch.com/
Rainbow Coalition
http://www.rainbowpush.org/FMPro?-db=RPOfrontpage.fp5&-format=rainbowpush/frontpage/results.htm&-lay=front&constant=1&-find
C.A.S.E. Ohio
http://www.caseohio.org/
ReDefeat Bush
http://www.redefeatbush.com/
No Stolen Democracy
http://nostolendemocracy.typepad.com/blog/
Code Pink
http://www.codepink4peace.org/

IMC
http://www.indymedia.org/en/index.shtml
IMC, Binghamton
http://www.binghamtonpmc.org/
Free Press
http://www.freepress.org/

引っ越し

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久しぶりにカリフォルニアのSからメール。
携帯電話でメッセージのやりとりができるようになったからやろうよ、というか、なんか、そんなような。
でも携帯電話持っていないんだよね。

Sは福岡で留学生会館という名の寮(家賃3000円ちょっと)に住んでいた時に同じ階にいたアメリカからの交換留学生で、チューターとして電車の乗り方やパンの買い方や大学への行き方を教えていたら、ありがちな話だけど、気に入られてしまったのだった。無茶苦茶濃いラテン系(というよりはメキシコ系?)の顔で、愛の言葉をささやく時にはスペイン語に限るとかいうタイプの人で、若くてお調子者で、でも自分の会社を持っていたりしてなんだか羽振りがよい人だった。そのせいか妙に自信家な所があって女の子は絶対に自分に落ちると思っているようなところがあって、「いや、本当にそんな気はないから」ということを理解してもらうのに時間がかかった。というか、そういうことを言うとすごく寂しそうな顔をするからついこっちが悪い気になってかまってしまう、という私の優柔不断さもあってのことだとは思うけど。しかしさんざんイライラさせられたた後であっても、ドアの外に「君と一緒に食べたかったんだけど...」というメッセージ付きのミニケーキなどを置かれてはついこちらが悪かったんじゃないか、という気にもなってしまわないだろうか。まぁ、要は甘え上手なラテン男というだけです。

まぁ、ばたばたしていたのも最初の数カ月だけで、彼は彼でちゃんと落ちてくれる女の子を見つけて(しかも複数)それなりに日本での生活を楽しんでアメリカへ戻っていったようだった。その後突然アフリカとかスペインとか、旅行先からメールをCCで送ってくれることはあったけど、特に個人的なメールのやりとりはしていなかった。最初は30人くらい含まれていた彼のCCメールも少しづつ人数が減っていって今では十数人といった感じだろうか。最初のころはちらほらと見られた日本人の名前もすっかりなくなった。こういうのってどういう基準で名前を削除するのだろう、と不思議に思ったりもするのだけれど、なぜか私のもとにはまだメールが届く。しかも、そうだった、最後にメールを出した(たしか2年ぐらい前)時の返事が"i still remember that you kissed me."とかで、相変わらずだなー、と思ったのだった。ちなみに私が彼にキスをしたことはない(断言)。もし今返事を書いてもまだ同じことを言ってくるのだろうか。というか、彼のメールリストはこれまでキスをしたことある人という基準で設定されているのだろうか。いや、でも男性も含まれているけど。そして、何年たってもそういうことを言ってくれる人がいるというのはある意味貴重なことなのだろうか、と、フェミニストに怒られそうなことを思ってみたり。

デリダが死んで、ブッシュが再選して、初雪がふったこの間に私生活において何かがあったかというと、特に何もなかったりして、その何もなさぶりに焦りを感じたりもするのだけれど。でもそれなりに、毎日書いたりしています。あとNYCにいったりもしました。そして引っ越しもしました。写真はステチーのセクション。 

夏の終わり

08312004.jpgこの更新頻度の低さ...

最近割と規則正しい生活を送っている。夜2時過ぎぐらいに寝て朝8時に起きるというスケジュール。以前は何時に寝ても朝10時前に起きるというのが苦痛で、だから就寝時間を遅くすることで睡眠量の調節をしていたのだけれど、最近6時でも7時でも割と平気。
朝ちゃんと起きられるようになったきっかけは考えることをやめたせいだと思う。「なんで起きないといけないんだ」とか「起きたからといってなんなんだ」とか、起きてからやるべきことがらについて考えることをいっさいやめて、ただ、目覚ましの音が鳴ったと同時に自動的に体が反応するよう訓練すると起きることが苦痛でなくなる。

疲れている時というか苦しい状況に追いやられたときほど人というのは妙に哲学的になって根源的な問いについて延々考えてしまったりするものだと思うのだけれど、そういう意味では朝方の私の哲学度数はかなり高いと思う。生きるとは何か、とかね。かなり真剣に考えてるもの。ベッドの中で。いや、起きるくらいでそんなに悩まなくても、と自分でも思うけれど、でも朝が弱い人間にとってはベッドから出るということはそれくらい辛い問題なのだ。って言い切ってよいものなのか。
とはいってももちろん学校にはちゃんと行くし、基本的にワーカホリックなので、締め切りにおわれているときとか忙しい時には根源的な問いなどほっておいてちゃんと起きる。睡眠時間1時間だろうとすっきり起きる。でも、それができるのはつまり、頭の中も身体もその時々の雑事や限定的な問題に支配されていて、何の役にも立たないようなことを漠然と考える隙がないからなのだろうな、と思う。根源的なことを考えるのにはエネルギーがいるのだ。
考えること自体が仕事のくせに、ちゃんと仕事をするには考えることをやめないといけないなんて、とても矛盾しているようだけれど、でも、仕事の能率に影響を与える問いと与えない問いというのはやはりあるわけで、そのへんはやっぱりバランスが必要なのだろうか。
まぁ、でも、こういうことを考えたりするのもやっぱり起き損なった朝にだったりするわけで、昼も過ぎる頃には「何をあんなに悩んでいたんだ」と思ったりするわけなのだけれど。

授業の方は未だ学生との探り合いという感じ。やっぱり女性、若い(周りの教授と比べてというだけだけど)、服装がカジュアル、変なアクセントの英語、と揃っているので、それはそれなりに努力しないと学生からの信頼など得られない。これはもうどうしようもないことだと思う。でも最初の段階での学生の評価や期待が低いということは、一旦「こいつ、思ったよりできる」と思わせることができれば一発逆転のチャンスがある。あとはもう、とことん誠実にやるしかない。といってもメールをきちんと返す、時間を守る、間違いはすぐに認めて訂正するといったようなことだけれど。
普段の私を知っている人にとって教師としての私は、多分随分と感じが違うと思う。でももともと欠けた所だらけの人間なので、すべての人に対してまめに、そして誠実に接するということがなかなかできないんだよなぁ... 持っている誠実さの99%は学生との関係で使い果たしている気がする。ステチーが私の生徒になりたいというのもよく分かる(もしくはペットでもいいや、とも言っている...苦笑)
駄目だよなぁ...ほんと。
まぁ、でもダメ学生だった過去も物事を理解するのに時間がかかったりする性格や、これまでいっぱい回り道や失敗をしてきたことは、学生との関係という上ではプラスに働いているのかな、という気もしないでもない。哲学が誰にとっても必要な学問ではないように、教師というのを誰もが必要としているわけではなくて、教師なしでもできる人はできる。でも生きる上でどうしても哲学的な助けが必要な人がいるのと同じように、教師、というよりはある種のタイプの人との関係を必要としている人もいるわけで、そういう人の手助けができればいいな、というようなことは思ったりする。それができているとは思わないけれど。必要だったら使ってね、ぐらいのメッセージは伝えられているとよいな、と思ったり。

近況&覚え書き

09022004.jpgえぇと、やる気にムラがありまくりなのをどうにか直せないものだろうか...

最近はもっぱら自分のクラスの準備でてんてこまい。週3時間教えて月給が10万にもならないというのはどうなんだろうという気もするけれど、まぁ、poverty lineギリギリとはいってもやっぱり私たちは特権化された貧困層なので文句はいえない。というか、まぁ、教えるの好きだし。
教えるクラス、最初は「開発と文化」というタイトルだったのだけれど、シラバスをいろいろひねくり回しているうちに、少しづつ内容が変わってきて、最終的に「技術倫理:近代技術の構造とその批判」というタイトルになってしまった。えぇと、中身はそこまでかわっていなくて、理論とケーススタディーズが半々くらい。で、理論については、うちで開講されている他の応用倫理系のクラスは全部分析哲学よりなのでこれは大陸よりに。読むのはハイデガーの「技術論」、ハバーマスの「『イデオロギー』としての技術と科学」、マルクスの「疎外論」、フーコーの「主体と権力」など。あと、後半にハバーマスの「技術の進歩と社会的生活世界」を入れて、あと、民主主義的な枠組みを改良することで技術官僚制に陥らないような、人間の側から技術をコントロールしていくような可能性を探る論文を2本ほど(Ellulが"The Technological Society"の後に書いたものを含)。まぁ、大陸系技術論の授業としては王道な選択だと思う。アドルノ(技術批判)とかアレント(技術官僚制批判)も入れたかったのだけれど、テキストとして使いやすく、かつ他の文献とのつながりが分かりやすいものを見つけられなかったのでこれは今後の課題とする。次回はもうちょっと理論に中心をおいて、Feenbergあたりがまとめたやつを一冊基本テキストとして使うかもしれない。

というか、こうやっていろいろ試行錯誤しているうちに、日本でK教授が環境倫理の授業でやろうとしていたのはこういうことだったのか、ということを、なんというか、しみじみと実感した。分かっていたつもりではいたのだけれど、こう、自分で試行錯誤しつつ、こういう風に話をつなげるにはここでこの文献を読ませて...なんてことをやってできた結果がK教授から習った環境倫理の授業の枠組みと非常に似通ったものになっているということに驚いたというか何というか。単にK教授の影響を受け過ぎ、という風にも言えるかもしれないけれど、でも、今回の授業の内容というのはかなり自分がやりたいことに近いとは思う。

ちなみにこっちで授業をする時一番大変なのは文献の選び方だと思う。日本ではイントロの場合、特に指定文献のないまま、教授が毎回ハンドアウトを配って講義をしたりすることもあるけれど、こっちではほぼ毎回リーディングアサインメントがでて、それにそった形で授業が進む。しかもそのアサインメントはその分野のおおまかな概要をまとめた単一の文献を読むのではなく、部分的ではあっても大本の文献を読むという仕方で進むことが多い。環境倫理で言えば、動物の権利運動とは云々という説明的な文章を読むのではなく、シンガーを読み、リーガンを読み、ファインバーグを読み、という形で進む。だからそれぞれの分野の主要文献の抽出部分をあつめたものがテキストとしていくつもでている。
ただ技術論というのは環境倫理と同じ位か、大陸哲学の分野ではそれ以上の歴史があるのに、アメリカの大学で教えるためのテキストとして使えるものは見たことがない。というか見つけられなかった。大陸よりということも関係しているのだろうけれど。
というわけで一から文献選びをしたわけなのだけれど、一時間の授業が週に3回あって、それが13週分。間に休日やディスカッションのみの日が入るとしても全部で25-6文献揃えなければならない。これって、まじできついですよ。なにがきついって文献コピーしてコピーライト表記とかしてリザーブデスクに持っていくのがつらい。あとそれなりにつじつまあわせながら26文献そろえるのも辛い。
ちなみに技術倫理で検索してみたところ、ほぼ同じ文献で授業をしている人がいて、誰だろうと思ったら先のFeenbergだった。しかもそれは大学院向けの授業だった。やっぱりイントロでは無理があるかもしれないなぁ...とも思うけれど、まぁ、できるかぎりやってみる予定。まぁ、そもそもハイデガーやハバーマスを2日で読んで1時間で理解できるとも思えないし。もちろん理論的な部分にもっと時間を割いてもよかったのだけれど、ケーススタディーズを中心に理論を補足的に使うというプランをたてていたこと、授業をとっている学生の多くが自然科学専攻なこともあって、理論は全体の1/2を超えないようにしたいと思っていて、それでますますスケジュールがタイトに。

そして昨日、先学期のTA評価が戻ってきた。一人の学生からDをつけられたのと、あと一人から英語のことを指摘された以外はおおむね良い評価。まぁ、専門が環境倫理なのに「内容が分かっていない」とか言われたらおしまいだけれど。そして、言語については毎学期一人は必ず指摘されるなぁ...もちろん指摘されてもっともなのだけれど、いつまで指摘され続けるのだろう、という気もしたり。
あと個人的には「○○についての説明が分かりにくかった」とか「あの例題はとてもよかった」とか、授業についての具体的な感想が欲しいんだけど、やっぱりそういうのは出てこないなぁ、というか、まぁ、それはevaluation sheetそのものの構成に問題があるからだとは思うのだけれど。結局、やさしいとか学生思いだとか(そうなのですよ。私は自分の学生はかなり本気で愛しているのですよ。)、それはそれで言われればうれしいけれど、教える技術の向上にはあまり結びつかなかったりもするわけで、まぁ、難しいところだなぁ、と思う。あ、全体像を図化したのが良かったというコメントはあった。なんでも簡略図化する、時としてマイナスに作用しがちなこの性格も分析哲学を教える上では役に立つよう。

空から降ってくるもの

いい天気なんて書いたとたんに土砂降りの雨。
それにしても今年は雨が多い。そのせいで畑の一部が水浸しになって菜っ葉系が全滅してしまったくらい。
水まきをしないで良いのは助かるけれど。

最近何かと気をもむことが多く微妙に落ち着かない日々。
それにしてもちょっと心配事があるとすぐ眠れなくなったり変な夢を見たりする(心配事がそのまま夢に出てくる)私は単純だなーと思う。繊細というよりはただ、いろんなことが気になり過ぎるのだと思う。そう思う一方で、でも多分他人よりどうでもよいことが多いタイプであったりもするから不思議。昔からそうだ。人が気にならないようなことがものすごく気になったり、人がすぐ忘れちゃうようなことをずっと覚えて気にしていたり、かと思えば人が覚えているようなことをころりと忘れる。

それにしてもここ数日家の周りがスカンク臭い。
犬もスカンク臭い。
そして今はネズミの繁殖期なのかあちこちにネズミの赤ん坊が転がっている。というか降ってくる。
天井部分に数カ所、ネズミがかじってできた穴があるのだけれど、そこから時折ぽとっと赤ん坊が落ちてくるのだ。この3日ほどで5匹落ちてきた。どうやら穴があることを知らずに親ネズミが巣を作ってしまったらしい。しょうがないので穴の下にコーヒー豆の空きカンをおいて受け皿とする。一見雨漏り対策のようにも見えるけれど、そこに降ってくるのはネズミ。
朝方などに、時折カンッと小さい音がして目が覚める。
いつのまにか少しづつ子供の数が減っていくのを見て、親ネズミは不思議に思わないのだろうか、と恋人が言う。

近況

ここ数日ノースリーブを心地よいと感じるくらいの夏らしい日が続いている。
今年の夏は全体的に寒くてセーターを手放せない日々が続いていたので嬉しい。
そんなこんなで調子にのって三十路に突入したことも忘れ、帽子もかぶらずシャツも羽織らないままガーデンの草抜きなどをしてしまった。あとが恐い。というか、ここ数年そばかすの数が目に見えて増えつつあるのだけれど、そばかすを可愛らしいと思ってもらえるのはやっぱり10代か20代の初めくらいまでだと思うわけで、やっぱり多少はそばかす対策などもしようかな、と思いつつ、多分なにもせずにそばかすおばさんになるんだろうな... そのへんの不精さをどうにかしたい。

ところでこちらでアドバイザーをしてくれているJが6月末に福岡を訪ねる機会があった。ポスコロ文学を専門としている人で、アジア美術館に行ってみたいからと、韓国での学会の前に一日寄ることにしたとのことだった。それでせっかくだからおもしろい所があったら教えてほしい、と言われ、その時ちょうどやっていた知り合い(NYCでパフォーマンスしたS氏)の展覧会他、福岡でアジア関係のものが見られるギャラリーなどの情報をEメールで知らせた。S氏の展覧会をやっていたギャラリーがへんぴな場所にあることもあって、一応S氏とギャラリーのオーナーM氏にもメールで連絡し、何日頃にこういう感じの人が訪ねてくる/電話で道順を問い合わせてくるかもしれない云々、ということを伝えておいた。そうした所、S氏がわざわざ都合を付けて教授のために案内役をかってでてくれたばかりか、アジ美のキュレイターのK氏等にも連絡をとっていろいろと連れ回ってくれた。しかも次の日の朝、見送りにまで来てくれたという。そういったことは全部後になってJから聞いたのだけれど、「あなたの知り合いというだけで見ず知らずの私にあそこまでしてくれるなんて、本当に感激した」という教授以上に私が驚いた。そして「この人とこの人とこの人からことづけを頼まれてねー」というJの言葉を聞きながら(どの人ももう何年も連絡を取っていない人たちだった)福岡で過ごした7年間という時間が自分にもたらしてくれたものについていろいろと考えた。
ふるさと意識のようなものとはまた別なのだけれど、何かをする基盤が整っているという意味で福岡は私にとってやっぱり特別な場所なのだと思う。居心地の良い場所があって、何かをしようという時、そのために場所や時間やアイデアを提供あるいはシェアしてくれる人たちがいる。もちろんここでだってそういう場所を作っていくことはできるのだろうけれど、そういう場所ができるためには人同士のネットワークやある程度の文化的な土壌といったものが必要なのであって、そういうものがぴったりと合う機会というのはそんなにはない。
ビザの関係上日本に帰ることが義務づけられている身としては、帰るとしたらどこに帰るか、ということをそれなりに考えたりもするわけだけれど、仕事があるかどうかよりそこで何ができるか、ということを重視する場合、やっぱり福岡ほど条件が整っているところは今の私にはないんじゃないかな、という気がする。まぁ、その分しがらみも多いわけですが...

昔の写真

d_nuts.jpg昨日ごろごろしながら中上健次の『夢の力』を読んでいたら、表紙の裏から一枚の写真が出てきた。男の子が山のてっぺんで万歳している写真だったのだけれど、すっかり忘れていたその写真とこんな所で再会したことにびっくりした。

それは私が小学校の頃好きだった男の子の写真で...というとかわいらしいのだけれど、当時の私は本当に他人のことに興味がなくて人を好きになるなんてこと考えたこともなかったにも関わらず、ある時仲良くしていた女の子集団の間で告白大会がおこって半分無理矢理好きな人を作らないといけないような状況になり、なりゆきまかせでこの男の子のことを好きだといってしまっただけだったのだけれど、とにかくまぁ、その男の子の写真が20年近くもたった今ごろになって突然出てきたのだった。
なりゆきまかせとはいっても、一度好きだということにしてしまえば後は気持ちがついていくもので、結局一年ぐらいその男の子のことは気になっていた。私たちの学年は一クラスしかなかったし学級委員とかを一緒にやることが多かったせいかもしれない。それで修学旅行の後、写真を購入する時になって、その男の子が一人で写っているこの写真の番号を購入表のなかにこっそりすべりこませておいたのだった。
その後卒業にあたりタイムカプセルを作ることになった時、小学校の思い出として私は手紙と一緒にこの写真を地中に埋めた。今考えればすごい恥ずかしい。タイムカプセルが掘りおこされたのは私たちが20歳になった時だったと思うのだけれど、私はその場にはいなくて、この写真と対面することになったのはもっとずっと後になってからだった。
私がタイムカプセルに入れたものは、友達づてに実家へと届き、その後何年かたって私のもとに届いたのだけれど、小学生の自分からの手紙など恥ずかしくて読めたものではなく、結局手紙も写真も目に付かない所にしまい込んでしまった...とばかり思っていた。それがこんな所から出てくるとは。それにしてもその時の私は何を思って『夢の力』の表紙裏に写真を挟み込んだりなどしたのだろう。
ちなみにその男の子は優等生タイプで、小学校時代から将来は「エライ公務員」になるなんて文集に記すような人だった。結局一浪して東大に入ったらしいけれど、その後「エライ公務員」になったのかどうかは分からない。

sushi dinner

b_sushi.jpgちなみに誕生日(もう2週間前のことだけれど)にはsushiを食べにいった。初の舟盛り。NYCの日本料理屋さんは日本人経営のところも多く、料理のサイズも盛り付けも味もどんどん日本に近くなっているように感じる。ただ地方に行くとやはり日本料理屋の多くは中国系か韓国系の人によって切り盛りされていてsushiとhibachiと称したパフォーマンス付きの鉄板焼料理がメインになる。sushiもロールが中心でサイズが大きく、お刺身にいたっては厚みが1cm近くもある。
私たちがよく行くB街の日本料理屋さんも、そういう典型的なアメリカのsushiレストランだ。
最初このレストランに行きはじめた時のすし職人の人は多少英語も話すフレンドリーな人で私もステチーもひいきにしていたのだけれど、現在の人は英語は全くしゃべらず無愛想な感じでこれまで会話したことがなかった。でも無愛想なsushi職人の彼も、私たちが舟盛りを頼んだことで、その日が何か特別な日なのかもしれないと思ってくれたらしく、どの魚をにぎりにするかなどなど、積極的に話しかけてきてくれた。とはいってももちろん「アー、サシミ、サバ?」「イエス、イエス」みたいな会話なのだけれど。ブリもすごく良いものをわざわざ下ろしてくれて、これが本当にすばらしくトロトロだった。
残念ながらレストランにカメラを持っていっていなかったので舟盛りのゴージャスぶりは写真に撮れなかったのだけれど、お持ち帰りにした分が上の写真。

それにしても私たちは食費の面では安上がりなカップルだと思う。お互い基本的に食べることにそこまで興味がないということもあるのだろうけれど、今回のsushiにしてもロールが2種類、にぎりが5種類、刺身が5種類のセットで2人分の夕飯と次の日の昼食になるし。pizzaのMサイズ一枚で、やっぱり2人分の夕飯と昼食になるし、中華のテイクアウトとか軽く3食分にはなる。これが他のアメリカ人の友人とだとこうはいかない。pizzaのMサイズを一人でぺろりと食べてしまう人だって多い。大学からのギリギリのお給料(というよりはアルバイト代みたいなものだけど)で生活している身としては食費が普通の学生の半分くらいで済むというのはやっぱり助かるわけで、そういう意味では少しで満足できてしまう体質で良かったなー&少食な恋人で良かったなーと思ったり。ただなかなか食材が減らないという問題もあることはあるのだけれど。

田植えには勝てない

d_creek.jpg先週の木曜日からステ甥ズが遊びにきている。12歳と15歳。テレビもなにもない所だけれど、それなりに毎日エンジョイしている様子。ここ一年ぐらいでずいぶんと力仕事もできるようになって、ステチーやステ弟もいろいろ手伝わせているみたい。昨日はニンニクの収穫にかり出されていた。
それを見ながら、「ネタのある夏休みってお得だよなー」なんてことをふと思った。ネタというのは夏休みの宿題の定番、作文のネタのことで、こっちの小・中学生の夏休みの宿題に作文があるのかどうか分からないけれど、彼らが経験しているような、テレビもない田舎でおばあちゃんのお手伝いをしながら農作業というのは、私が自分の子供時代に決して経験できなかったことなので。なんとなく。別に当時そういうことを経験したかったわけではないのだけれど、そういう経験がネタとして受けるということだけは分かっていたので、って可愛げがないですね。

要領がよく、かつ扱いやすい子供だった小学校時代の私は作文コンクールの常連だったりしたのだけれど、というとなんだか嫌みだけれど、当時の私はそれなりに戦略を立てて学校代表になれる作文の書き方を自分なりにあみ出していたので(そしてそれがまたおもしろいように賞を取るのだった)、それはそれで努力のたまものだったのだと思ってほしい。小学生の私が理解した所の「ザ・学校代表になれるくらいの作文の条件」というのは以下の3点。
1. 家族や友人(老人だとなおよし)とのふれ合い
2. 新しい体験
3. 困難を克服することによる成長の跡(最初はできなかったことができるようになる、家族の絆が強まる、新しい価値観を学ぶ等)
まぁ、当たり前といえば当たり前だけれど、この3点をきっちり押さえておくとかなりの確率で良い評価がもらえる。そして地方にいくほどこういうベタな路線が受ける傾向にあったりする。

たとえ遊園地に行った話であってもこの3点さえ押さえておけば多分評価は高くなると思う。ちなみに私はこの3点を押さえて「ホットケーキを焼く」というだけの話でしっかり学校代表の座を得たこともある。つまり、
1. 弟と協力しあって両親のために、
2. 初めてホットケーキを焼いた。
3. 途中、ぐちゃりとつぶれたりもしつつ、最後には真ん丸なホットケーキを完成させることができた。
ばっちり先の3点を押さえている。この時には自分でもよくこんなしょうもない話題をこれだけ教育的な話にできるよな...と呆れた。そしてそれがばっちりクラス代表になった時にはこういう作文を求める学校教育そのもののに呆れた(生意気)。

ただ、自分でも分かっていたのだけれど、私の作文は学校代表にはなれてもそれ以上の賞は絶対にとれなくて、というのは賞を取るためには上記3点以外に重要な要素というのがあって、それが「老人」「田舎」「農作業」という3大キーワードだった(と当時は感じていた)。私の両親の田舎はともに鹿児島で私たちが住んでいた所より数百倍都会だったし、祖父母は農業とは全く縁のない生活をしていたので、わたしの夏休みには「老人」とのふれ合いは多少あっても「田舎」で「農作業」をする機会は全くなかった。ありえなかった。そして県以上のレベルで賞を取るためには(特に鹿児島の場合ですが)この3つのキーワードはなくてはならないものなのでした。毎年秋に新聞でその年の優秀作文のタイトルを見るたびに「また田植えかよ...」と歯がゆい思いをしたものです。
いやぁ、田植えは本当に強い。今でもそうかどうかは分からないけれど、でも、私が小学生だったころの作文コンクールのトップはほぼ毎年田植えだった気がする。今思うとなんだかとっても政治的だけれど。やはりホットケーキではどんなに技術を駆使しても田植えには勝てないのでした。

ちなみに一度学校代表の座を逃した時の対抗馬もテーマが「田植え」で、しかもその作文は県代表ぐらいにまでなったような覚えがある。その時もきっちり先の3点を押さえた作文を提出した私は、先生から「本当に残念だけど今年は○○君の作文を出すことに決まってね」と言われ、田植えを経験できない以上学校作文で私に勝ち目はないとようやく悟り(そして負ける勝負はしない質)、それ以降勝手に書きたいものを書くことに決めたのでした。ちなみに勝負を捨てた一回目のテーマは「祖父母宅の隣にあるライブハウスにたむろする若者たちの無鉄砲さに憧れる幼い私」というもので、それはそれで今思うとかなり恥ずかしい初々しいお話ではあったわけですが、もちろん学校からは黙殺されました。

なにはともあれ、教育熱心な親御さんは子供を田植えにつれていった上で、上の3条件+3キーワードに添った作文を書かせてみると良いですよ。なんて。
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久しぶりにリンク(登録してあるもののうちからランダムに表示されます)を作ってみました。ブログは一個もないのだけれど。

世界の終わりに飲むコーヒー

fk001_4.jpgこの夏の一大プロジェクトとしてステ母家の大掃除がある。今月末にステ弟が戻ってくることになったので、私たちの物置きと化していたステ弟家(2世帯住宅っぽい感じになっている)を掃除し、行き場のなくなった本やジャンクのために母屋の2階にある、これまで使われていなかった(というかステ母の物置きになっていた)一室をきれいにしていっさいがっさいを移動することになったのだ。
ちなみにステ家の人々というのは揃いも揃ってものが捨てられない人たちで、ステ母の農場にはこれでもかというぐらいものがあふれている。昔馬小屋だった納屋(標準的なサイズの体育館の半分くらいの大きさ)とワークショップと母屋のテラスと二階の一室、屋根裏と屋根裏に続く階段のある一室。このすべてがステ母の持ち物で埋まっている。過去30年にわたる収集の結果だ。でも本人はあまりものに執着がない人なので(矛盾するようだけれど)、結局、自分のもとにやって来たものを保存しているというだけで、何がどこにあるのかとかちゃんと分かっていないようだ。中にはすごく貴重なものとかもあるのでちょっともったいない気もする。

まぁ、ステ母の持ち物のことは置いておいて、
そもそもステ母と今は亡きステ母夫(ステチの養父)が農場に移ってきたのは今から約30年前のことらしいのだけれど、長年住み慣れたブルックリンを離れることを決めた一番の要因は「サバイバル」だったらしい。
「本当に、近いうちに核戦争が起こって世界は崩壊するって、結構真剣に思っていたのよ」と言っているのをずいぶん前に聞いた覚えがある。もちろん農場の地下にはコンクリで固めた核汚染にも耐える(と言われていたらしい)防空壕(?)がある。普段は野菜の貯蔵庫だけれど。
とはいっても、その話がでたのは過去にも一度きりで、それも半分冗談のような感じだったので、私も「へー」とは思いつつもその時のステ母夫婦の思いみたいなものをあまりちゃんと考えてみようとはしていなかった。

農場に移ることを決めたのは「生き残るため」というステ母の言葉を思い出したのは、大掃除の最中に大量のコーヒーを発見した時のことだ。乱雑にものが詰め込まれたその部屋の隅っこにあった段ボールを開けると、真空パックになったコーヒーの豆がぎっちりとつまっていた。
横の箱を開けるとそこにもコーヒー。
結局見つかったコーヒーの量は大きめの段ボール5箱分にもなった。
ステ母もいつ頃買ったものなのかよく覚えていないようだったけれど、少なくともステ母夫が生きていた頃のことらしい。箱が置かれていた位置から考えるとかなり昔のようにも思える。
なぜだか分からないけれど、このコーヒーの山を前にして初めて、
「あー、ステ母たちは本気だったんだ」
という気持ちになったのだった。
他にもプラスチックのふた付きのバケツに豆やお米や砂糖や塩を入れたものが20個ぐらいでてきたのだけれど、それらを見た時にはコーヒーの山を前にした時ほどの衝撃はなかった。それらもそうとう長い間保管されてきていて、お米は完全に痛んでしまっていたり、砂糖は妙な軽さになっていてフタを開けるのもはばかられたのだけれど、とにかく、それら保存食の山を見てもいまいちピンとこなかったのに、コーヒーがいっぱいにつまった箱開けてはじめて、ステ母たちが当時持っていたある種の危機感みたいなものがズンと伝わってきたのだった。

それにしてもなぜコーヒーなのだろう、と考えてみた。
生存とは関係のないし好品だからこそ、かえってそれに対する思いの強さ、あるいは執着みたいなものが伝わってきたのだろうか。でもそこにこめられた思いというのは、コーヒーそのものに対するもの、というよりはもっと抽象的な何か、強いて言うなればコーヒーのある風景、あるいはそれを成立させている諸条件に対する思いのような気がする。
朝起きてコーヒーを入れる過程、コーヒーメーカーの立てるポコポコという音、部屋に漂うコーヒーの匂いに誘われて家族が一人、二人と起きてくるような、そういう日常的な風景そのものにたいする思い。ステ母が大のコーヒー好きであることを知っているからこそ、なおさらコーヒーのある風景が彼女にとって意味するものの深さを感じてしまうのかもしれない。もちろんひとたび核戦争が起これば、たとえ生き残ってコーヒーを飲むことができたとしても、その行為によってかつてコーヒーとともにあった日常を取り戻すことはできない。そんなことはステ母だって百も承知だろう。でも、それでもなお、コーヒーがもつ象徴的な意味は残るのだと思う。箱の中のコーヒーはその象徴的な意味の可能性に対する信頼を意味するのか、それとももっと別なものを指しているのか。何にしても、世界の終わりに飲むコーヒーがかなり切ないものであることにはかわりないだろう。

ステ母をはじめとする、ある意味一般的なアメリカ市民にとって70年代がどういう時代だったのか私はよく分からないけれど、核戦争とか侵略されることに対する潜在的な不安というのは、私たちが思う以上に強い形でこの国に存在していたようで、ステ母のように、半分不安に後押しされるようにしてその後の進路を決めた人たちも実際かなりの数にのぼるのではないかと思う。当時の不安というものがステ母の中に現在どのような形で残っているのかは分からないし、ステ母が30年前の選択をどう思っているのかも聞いたことはないけれど、でも世界の終わりを想定せざるをえないような不安の中で生きる気持ちだったら少しだけ共有できる気がする。そして世界が終わった後に、もう決して戻ってはこない日々を思いながらやっぱりコーヒーを飲もう、というその気持ちも、割と共有できている気がす

迷子犬探しと体質改善

1020mini2.jpg鹿児島にいる友人が、最近占いにはまっているらしい。
占いといってもタロットとか水晶とか手相とかいうたぐいのものではなく、地元の、なんとなくもろもろのことが見えてしまうようなおばさんの所に行ってお話を聞く、というもの。なんというか、ここで、あぁ、あーいう感じのおばさんね、というのが分かる人もいれば分からない人もいるのだろうし、分からない人になんと説明すればよいのか分からないのだけれど、別に占いとかニューエイジとかに興味がなくても、割と歴史の長い田舎の村とか町で育った人だったら、身近に一人や二人はそういう人がいた記憶があるかもしれない。失くしものをしたりしてそれがどうしても出てこない時なんかに、しょうがない、じゃあ、○○さんに見てもらうか、っていう感じで登場する、それ以外はいたって普通のおばさん。
友人がそのおばさんと知り合ったのも、きっかけは犬探しだったらしく、映画の撮影中に出演中(?)の犬が突然いなくなってしまい、にっちもさっちもいかなくなった時にそのおばさんを紹介されたのだとか。結果的におばさんの予言(?)通りの所から犬がでてきて、それ以来なんとなく縁があって、自分の将来についても観てもらったりするようになったらしい。

その彼女が先日メールで「観てほしいことがあったら聞いてあげるよ」と言っていたので最近気になっていたことについて聞いてみた。
気になっていたことというのは妊娠のことで、といっても妊娠の徴候があるというわけではないのだけれど、最近とにかく妊娠に関する夢ばかり見るのだ。それもかなりリアルなものばかり。年齢的なものもあるし、周りに妊娠している人が何人かいたりするせいで影響されているのかな、と思ったりもしたのだけれど、あまりに頻繁に見るので、ちょっと心配になりつつあったのも確か。というわけで、近いうちに子供ができる可能性があるかどうか聞いてみることに。

結果的に言うと、その可能性はゼロ、とのことだったのだけれど、その理由が、「それどころじゃないくらい体調が悪すぎ」るから、子供のことより自分の身体を心配すべき、ということらしく、それはそれで問題だなぁ、と思ったり。キーはアルコールと冷え症と骨格のゆがみとのことで、どれもそれなりに心当たりがあるがゆえに、んー、これは真剣に受け止めるべきかもと思ったりも。
とりあえずの所は、仕事に生きる大器晩成型人生という言葉を信じてがんばります。
あ、あと、男の腐れ縁には気をつけろ、というアドバイスも......

blogにしてみました

oval_szenariodisk.jpgえーと、デザインの自由度が少ないとかいろいろ言っていたにもかかわらずblogにしてみました。blogを作る機会があっていろいろやっていたらおもしろくなってつい自分のサイトのテンプレートも作ってしまったというだけなのですが... データ管理の面ではやはり便利です。とはいっても過去の分を個別に登録し直す気力はありませんが...過去ログは月別に1ファイルにまとまっているので近々月ログの所にまとめる予定です。
やっぱりこのヘッダー、フッター、レフト、ライトに四分割された構造はどうも好きになれない+blogの強みである見知らぬ人との活発なコミュニケーションをする気が......ということであんまりblogっぽい展開にはならないと思いますが、しばらくはこれで行ってみたいと思います。

bgm: oval/szenariodisk

のんべんだらりとした初夏の夜

ステチーが机の上にラムコークを置いていってくれた。
グラスが空になるのが厭で、どんどんラムを注ぎたしているうちにコークの味がしなくなってしまった。
一時期暖かくなったと思ったのに、最近はまた冬の終わりなのか夏の初めなのか分からないような変な天気。野菜の成長も思わしくない。虫が葉っぱを食べるスピードに野菜の成長スピードが付いていっていない感じ。そんな状態ではあるのだけれど、私とステチーは天気がいまいちなことを理由に一日中部屋の中に閉じこもり、自分のことに没頭する日々。農業をする人には絶対なれそうにもない。

ところでお酒を飲むと野菜が食べたくなる。しかも生のバリバリしたやつ。
もともと生野菜は好きで、サラダのボール食いとか結構やってしまう方だ。昨日も両手でやっと抱えられるくらいの大きなガラスのボールに山のようなパスタサラダを作った。パスタサラダと言ってもパスタは1/4ぐらいであとはとにかく冷蔵庫に残っていた野菜をすべて投入。ブロッコリー、アスパラ、ズッキー二、キュウリ、にんじん、トマト、チーズなどなど。それにとりあえずガーリックを混ぜておいて、あとは食べる時に好みのドレッシングを加える。オリーブと玉葱は食べられない人(ステ母)がいるのであとから加える。家で一番大きな鍋でマカロニを茹でて、一番大きなボールで作ったのに、一日中ことあるごとに食べていたら2日しか持たなかった。また明日作ろう。クスクスサラダも良いな。
最近の朝の定番はベーグルにアボカドをのせたオープンサンド。アボカドが安売りになっていたので。南国で暮らせたら、家の庭にアボカドの樹を植えて、毎日アボカド三昧というのは結構本気で考えていたりする。それくらいアボカドは好きだ。コスタリカに旅行に行った時は、本当に毎日食べていた。市販のサルサとあわせるとそれだけでお手軽ワカモレにもなるのでお酒のおつまみとしてもステキだ。

とか書いている内にラムも半分空いてしまった。
もう今日は文章を書く気分でもなくなってきたのでワードはそうそうに終了して、今はスタン・ゲッツなどをかけつつのんべんだらりとしている。夏、ボサノバ、ラムコークって、すごいバカンスっぽいなどとくだらないことを考えつつ。でも部屋には暖房が入っていて私はセーターを着ていたりするのだけれど。

世代と異文化許容能力

ところでNYC滞在の理由は友人母子と観光するためだったのだけれど、今回年の離れたゲストを迎えてみて改めて若い人の異文化適応能力に気付かされた。二人とも今回が初めてのアメリカ旅行、というか非アジア圏への旅行だったのだけれど、お母さんの方が、どちらかというとある程度スタンダードな、というか悪く言うとステレオティピカルなアメリカ像、アメリカ人像みたいなものを強く持っていて、それを通していろいろなことを判断する傾向がある一方、友人(私より5歳くらい年下)の方は英語も話せないのに、それなりに何でも起こることを「まー、こんなもんかなー」とか「おもしろい」といった感じで臨機応変に受け入れ、反応していくような所があって、すごいなぁと思った。

ちょっと前にB大図書館においてある文藝春秋(本当にこれが私の唯一の娯楽になりつつあるよ...)で新たしい年に向けての豊富というか展望を各界の著名人に聞くみたいな特集があったのだけど、そこで中島義道が言っていたことを思い出したりした。この文藝春秋というのは、いっちゃ悪いけどあまりレベルが高いとは思えない。基本的にしょうもない政治ゴシップとかコラムばかりだし、たまに載る文芸批評もどうしようもない(だいたいどうして「親からもらった身体に傷をつけるというのはどーのこーの」なんていう文章が『蛇とピアス』の批評として掲載されるんだ。他にも「痛そうで最後まで読めなかった」とか「見かけのわりにちゃんとした文章だと思った」とか、本気で紙の無駄だと思うような文章の羅列で読んでいて怒りが湧いてきた)。でも読んでいると一人ぐらいはまともなことを書いている人がいて、「新しい日本はこうなる!」特集の時の中島義道がその一人だった。
その特集に寄せられた回答の多くは、政治・経済の改革万歳みたいな現政権よりの話題と、最近の若いものに対する年よりじみた批判で構成されていたのだけれど、その中で中島義道だけが唯一、いや、最近の若い人って結構いいじゃん、という話をしていた。彼の主張を支えているのは以下の3点。
1. 最近の若者は無知だとかいうけど、昔のろくに教育も受けられなかった世代の若者はもっと無知だった。
2. 最近の若者はやさしい。そのやさしさはキャリアだとか経済的な豊かさを獲得するためにやっきになっている/た親世代に対する反省的な所がある。
3. 最近の若者は異文化に対する許容度が圧倒的に高い。西欧に対する劣等感や歪んだ対抗心もないし、外国でも物怖じしない。外国人を見ても驚かないし、基本的人権に対する理解や差別に対する問題意識もひと昔前の世代に比べれば格段に上がっている。
もちろん、こういう見方に当てはまらない人も多いだろうし、すべては相対的な基準でしかなかったりもするわけだけれど、中村氏の観察はあながち的外れとも思えない。特に3については本当にその通りだと思うことの方が多い。
例えば今時の若者で「黒人=犯罪者」といった見方をする人ってどれくらいいるのだろう。もちろんそういう見方がまるで残っていないとは言わないし、やっぱり時と場合によっては黒人の集団を前にして白人の集団に対しては感じないような恐さを感じることがある、という風に言う人はいるけれど、少なくとも最近の若い人というのはそういう見方が差別的であるという意識は持っている気がする。少なくとも「黒人だわ。恐いわねー」といった発言を無意識にするような人はいない(一般的に見てね)。でもそういうことを平気で言う人がちょっと上の世代になると出てきたりして、もう、何というか、これは怒るというよりは単純にあきれてしまう。でも一方で、その世代の人たちがアクセスし得た文化というのは、そういう凝り固まった、あるいは差別的な人種観によってのみ構成されていたわけで、そう考えると無知であることはつくづく暴力的だとも思う。
それに比べて、最近の若い人はといえば、ズボンを腰まで下げてバスケのユニフォームとか着て、一日かけてブレードしてヒップホップ大好き!とか黒人かっこいい!とか言っちゃうわけで、これってやっぱりすごい変化だと思うんだけど。だからといってそういう若者たちが無知の暴力性と無縁かといえばそうではなくて、やっぱりそこにはステレオティピカルな黒人観だとか表面的で過剰な憧れとかいうものがあって、それはそれで無知と等しく暴力的なものだとは思うのだけれど、でも、それでも最近の若者(というかこういう言い方しかできない自分がとてもイヤなのだけれど...)の穏やかさというか、ちょっと引いた感じだとか、あれがいい、これが好き、と言ったかたちでいろんな文化をある意味節操なく受けていく感じというのは、嫌いではない。どちらかというと私なんかの世代はそっちに近いのだろうな、とも思うし。

うん、まぁ、とにかく、黒人に対する見方というだけでなく、本当にいろいろな場面で世代間の異文化許容能力の差を目の当たりにすることになった今回の観光旅行でしたが、友人母子やS氏のアメリカ観というものがどういう所から来ているのかを考えるという点では非常におもしろかった。あとおいしいものもたらふく食べた。

BBQ

この春初めてのBBQはM宅で。
Mのドイツ行きとKの就職とステチーの出稼ぎ終了を祝って。
K&Lが先日結婚したことは日記に書いたけれど、今日パーティに顔を出したP&Rも先週結婚したらしい。「お祝い事だらけだね」なんて笑ったり。
私は基本的に人と打ち解けるのにすごい時間がかかるのだけれど、3年近くたって、やっと最近こっちで知り合った友人たちとの関係に心地よさを感じてきた気がする。みんななんだかんだ言って似た者同士な所があるせいかもしれない。
それにしてもLにしてもRにしても、私の周りの女子はシンプルで、よく言えばナチュラル、悪く言えば女子度の低い人たちばかりだ。類は友を呼ぶのか。あんまりみんな忙しそうじゃないという所も似ているかもしれない。実際は子供が生まれる直前だったり、卒業間近だったり、論文を書いていたりして、決して暇ではないんだけど、あんまり切羽詰まっているようには見えない。ある意味安定感がある。まぁ、どうにかなるだろう、みたいな、適度な投げやり感によって支えられた安定。
それにしてもLとRが旦那のお母さんの文句を言い合っている姿がなんだかほほえましかった。「腕の毛を剃らないときたないって言われるのヨ!」とか(それはあなたの女子度が低いからでは...)。「結婚したら次は子供とマイホームっていうプレッシャーが...」とか。万国共通、姑との確執? 二人とも旦那の家族が割とアッパー寄りで学歴やキャリアを重視するタイプで息子の教育にお金を注ぎ込んでいる感じなので、それに見合った嫁(学歴や身なりにおいて)になれ、というプレッシャーを感じるみたい。大変だなー。

ちなみにLもRも結婚することにしたのは子供のためだという。Lは現在妊娠中だしRは今年中に子供を作る予定だとか。結婚するのってやっぱりそれなりに手続きとかあるし、お互いの両親との関係とかも考えたりしないといけないし、やっぱりそれなりの理由がないとねー、ということらしい。私とステチーも、結婚をまるで考えていないわけではないのだけれど、今の所最後の一歩を踏み出す理由に欠けるので、結局、まぁ、必要になったらすれば良いよね、という曖昧な所で落ち着いてしまう。子供を作るつもりのない共働き(=保険とかもちゃんとある)のカップルが結婚する理由って何なのだろう。

そして明日はNYCに滞在中の某チューブ・アーティストに会いに行くつもり。ずーっと昔の日記で触れたことのあるS氏。最近、黒くて邪悪なチューブ彫刻を背負っていろんな所を訪れるというプロジェクトをしているのだけれど、今回念願かなってNYCで彫刻背負ってうろうろできる運びになったというわけ。あぁ、でも、どこからみても怪しい。すごい怪しい。どうかパフォーマンスの途中で警察に撃たれたりしませんように。
その後、月曜日には友人と友人母がやってくる。NYC観光名所を制覇する予定。おいしいものもいっぱい食べる予定。

近況

先日、Lの友人でつい先日までイラクにいたというDが遊びに来た。こっちではよくある、週末軍人みたいな人で(パートタイムで従軍する代わりに学費などを出してもらえる)、フセインの生まれ故郷である街で仕事をしていたらしい。イラクに実際に行った人と会うのは初めてだったので何となく不思議な気持ちだった。初対面だったこともあって、Dにイラクでの個人的な経験をいろいろ聞くのは憚れたのだけれど、でもとにかく、「無事でよかったね」というと、Dは「ありがとう。本当に、あそこで今起こっていることを考えると自分が無事に戻って来れたことはラッキーだったとしか思えない」と言った。彼の場合、最前線にいたわけではないし、事態が泥沼化してくる(まぁ、最初からずっと泥沼の中だったんだと言われればその通りなわけだけど)ちょっと前にサービスを終えた感じらしいので、そこまで身の危険を感じることはなかったらしい。でも...... 
本当に、言葉にならないものがいっぱいいっぱいあるんだろうなぁ、という感じがした。

それが先週の金曜日かな。その次の日、土曜日にLは引っ越してしまった。
前々から母親と一緒に住もうかなーという話はしていたのだけれど、とうとう決心したらしい。親友というほど近かったわけではないけれどやっぱり寂しい。Lは、まぁ、鬱だったりすごくエモーショナルだったりして、それが理由でカウンセリングにもずっと通っていて、その根本的な理由としてLが若い頃に経験した両親の離婚があるということを言われているみたいで、今回もう一度母親と一緒に住むことで、そういう離婚の経験からくるトラウマがちょっとでもやわらぐといいな、と思う。この辺はもう、本人の気持ち次第なのでどうしようもないことなのだけれど。

そして昨日は近くの教会であった「オーガニックガーデニング講習会」みたいなものに行ってきた。B街のコミカレの先生で30年近くオーガニックファーミングをやっているという人がオーガニックファーミングの心構えとかガーデンデザイン(パーマカルチャーそのものという感じ)をいろいろと話してくれた。おもしろかった。話を聞いた後、私もステチーももりもりと労働意欲が湧いてきて、この夏の畑計画とか立ててみたのだけれど、家に帰ってコンピュータに向かった途端、そのやる気は消えてなくなりました。いや、がんばるけど。とりあえず今年の目標は、去年ウサギに食べ尽くされた枝豆を死守すること。

ちなみに今日はいろいろと良いことがあった。
1. 未払い通知が来ていた留学生用の保険($470)がいつのまにか払ったことになっていたこと。
通知が来た時にはとてもじゃないけど払える状態ではなかったのでほったらかしにしていたのだけれど、大学側が分割でかってに引き落としてくれていたらしい。だからなかなかお金が貯まらなかったのか......
2. 教授がやっとグレードをくれたこと。
一年前に取っていたクラスの教授がやっとグレードを出してくれた。ペーパーそのものは夏休みあけに提出したのだけれど、教授がオン・リーブだったこともあって全然連絡がつかなかったのだ。先学期は大学院のルールがいろいろ変更になって、一旦withdrawされた教科については今後変更は効かないということになったりしたので、今回教授がなかなかグレードを出してくれなくて本当にやきもきした。これで晴れてコースワーク終了。

倦怠感の世代

ところでX generationの一世代後はYで、その後(現在の若者君たち)はPEPSIと呼ばれているらしいことご存じですか?

年齢的に言えば30歳前後がXのボトムラインで、25歳前後ぐらいがYで、20歳前後がPEPSIということになるらしい。
そんな話になったのはK、L、Mと一緒に「これまで何回バイトをくびになったか」という話をしていた時のこと。私もLもMもステチーもバイトをくびになったことなどない中で、Kだけが、くびにならなかったことの方がめずらしいという経歴の持ち主だった。フレンドリーで話がうまくてイージーゴーイングなKが、なんでそんなにいつも仕事をくびになるのか不思議だったけれど、話を聞いてみたらなるほどという感じ。哲学を専攻する学生にありがちなことだけれど、それ以外のことがとことんできない人らしい。自動車の修理工場みたいな所でバイトした時など、自分で自分を轢きかけたこと数回(どうやるんだそんなこと)、何もしてないのに全身油まみれになること数回、最後は雇い主も匙を投げて「K、君はいいやつだし、覚えもいいと思うんだけど、どうやったら君に仕事をさせられるのか分からない」と言われたらしい。
自動車の修理はできなくても哲学を教える職につけばいいじゃない、と言うと、「今でこそちゃんと教えているけど、ちょっと前まではそれすらもできなかったんだよ」とのこと。本を読んだり論文を書くことと、人にそれを教えることはKにとって(多分多くの人にとって)全く別なことらしい。詳しくは話してくれなかったけど、在学している大学での講師職もくびになる直前に自ら止めたような状況だったらしい(KはC市の大学のABDで、そこに講師職を持っていたのだけれど、LがB大に入ったために職を捨ててB街に移って来た)。

私たちがおもしろがって、「なんでそんなにいつもいつもクビになれるわけ?」と聞くとKは、「世代のせいだ!そうに違いない!僕たちの世代には古き良き労働倫理ってものがないんだ」となげやりになってわめいていた(笑)。そこでKって何ジェネレーションなんだっけという話になって最初の話に戻る。

もちろんKにしたってX generationといったネーミングがメディアによって生み出され、ある種のファッションとして商品化されていったことは百も承知だけれど、「でも僕らの世代に共通のある種の無気力さとか無関心さとか厭世観だとかはやっぱりあるような気がするし、それら全部が全部作られたものとも思えないんだよね」らしい。そして多分それは私やMの中にも共通して見られる性質のような気もする。ステチーは私より一回り上で、同じ厭世観とは言っても、どちらかというと60s的なそれに近い感覚の持ち主なのだけれど、60sのヒッピー的なそれとX世代の中産階級的なそれとはやっぱりちょっと違う。そして、もうちょっと下のサウスパーク世代(この辺がYなのか?)になると中産階級者の苦悩(サバーブ、新興住宅団地、人口自然、画一的な建物群、よい高校、よい大学、安定した生活、そしてサバーブ......どこまでいっても絶望的に平均的!)というものがさらに強く押しだされるようになってくるけれど、なんというかサウスパークが中産階級的なものに対する「嫌悪」だとしたら、Xはもっと緩くて......単に中産階級的なものに疲れているだけっていう気がする。サウスパークとか見ると疲れちゃうのはそのせいかもしれない。シニカルだけど熱さがある。その熱さが無気力世代には辛い。よくも悪くも疲れきった、倦怠感を伴った社会からの距離の取り方というのがX世代的なニヒリズムなのかもしれない。圧倒的にパワーレスなあの感じ。

まぁ、だからどうだというわけでもないし、私のなかにどのくらいX的なメンタリティが潜んでいるのかは分からないし、X世代的なメンタリティに何か可能性があるのか、といわれればそんなものは全くないような気もするのだけれど、ただ、バイトの話から思いがけずKやMとの間の共通メンタリティが見えてきたような感じでおもしろかった。ちなみにX generationギリギリ(というよりは彼は根っからのシンプソン世代で会話にシンプソンねたが出てこないことがない、というタイプの人なのだけれど.....)のMは超難関の奨学金を獲得してこの秋から一年ドイツに行く。「おめでとう」と言うとMは、「受かると分かるまではそれなりにドキドキしたりしていたんだけど、受かったと分かった途端、これからしなくちゃいけないいろんなことを考えたらどっと疲れちゃって......なんかまぁ、これで一年くびがつながったかなっていうくらいの思いしかない」と言った。私もアメリカに来ることが決まった時に、全く同じ気分だったというと笑われた。でもアメリカにもドイツにも希望なんてない、という実感は結構大切なんじゃないかと思うのだけれど。 

日曜日

昨夜はKの誕生日だったのでK&Lの所で一緒にブリトーを。おいしかった。
一時は妊娠によるストレスで二人ともぼろぼろだったけど、出産が近付いてくるにつれて随分落ち着いてきた感じ。妊娠を二人の共同のプロジェクトとして考えられるようになったのが変化のきっかけだったと思う。ある時期、Kは子供のことを思うあまり、Lの普段の生活にすごく細かく注文を付けだしたことがあった。あれを食べろとかこれは食べるなとか、あれをしろとかこれはするなとか。最後にはLがキレて、「私の身体のことにイチイチ口を出さないでヨ!」とか叫んだり。大変そうだった。正直、妊娠をきっかけに破局?とかいうような状況になりかけていたこともあったので、二人がまた仲良く楽しそうに子供の話をしたりしているのを見るのは嬉しい。
そしてKとLは先週結婚したらしい。もともとK&Lは、3月に結婚+パーティをする予定だった。でも子供ができたりKのお父さんが亡くなったりしたことで、計画自体自然消滅してしまったような感じだったのだけれど、とりあえず結婚だけはすることにしたらしい。おめでとー。

今朝は初めて行くダイナー「緑ミミズク」で朝ご飯。PYREXのプレートが使われていてちょっと感激。ちなみにこのダイナーはK&Lお勧めのダイナーで、ミミズクコレクションが所狭しとならんでいる。私たちもこの前サルベーションアーミーでみつけたミミズクの置物を持って行ってみた。

その後一旦家に戻ってから家主のBと一緒にB街のはずれにあるアンティーク屋さんに行ってみた。お店というよりは田舎の普通の民家なのだけれど、納屋と牛小屋いっぱいにアンティーク家具やコレクタブル雑貨がつめこまれていた。ただPYREXやFIRE KINGといった食器類は扱っていないとのこと。「私たちにとっては普段使っているものっていうイメージがまだまだ強くて、どうしてもコレクションする対象として見られないのよねー」とのこと。でも古いキッチン雑貨やボトル類がいっぱいあっておもしろかった。日本ですごい値段で取り引きされている古い牛乳瓶を何本か購入。「僕、昔牛乳配達していたんだよ。グラスジャーから紙パックに移行する時、それまで使っていたグラスは全部パイレックスみたいな大きな工場に送られて再加工されたんだけど、あれ、全部とっておいたら今頃大金持ちだよね」なんていう話もでてきたり。お店のオーナー夫婦はすごくのんびりした感じの人たちで、なんだかすごく居心地がよかった。売り上げには貢献できないけどぜひまた行きたい所。

愚痴

この前、夜「お腹減ったなー、ポップコーンでも作ろっかなー」と頭の中で考えていたら、向こうの部屋からステチーが「何?今ポップコーンって言った?」と話しかけてきたので驚いた。い....以心伝心?
その前には学校で「お腹減った、タコベル(タコスのファストフードチェーン)食べたい」と思っていたら、迎えに来てくれたステチーが、何も言っていないのに「帰りにタコベル寄る?」と言ってきたこともあったり。すごいのか恐いのか、単に私の行動パターンが単純なだけなのか(多分そう)。

TA日記となりつつあるD日記を全然更新していないのは、一緒に働いているTA約一名(男子)とうまくいかなくて毎日怒りに震えていて愚痴しかでてこないからです。特定の人に対してここまで強い怒りを感じたことはない。本当に。無能だとは思わないけれど余りに自分本位で融通が効かない上に自己を保身することしか考えていない。先日も、彼がやるべきことをやってこなかったが故に(もちろんそれは私たちの責任にされるんだけど)、やるはずだったミーティングを先延ばししないといけなくなったんだけど、その理由があまりにしょうもない上に彼の言葉が余りに侮辱的だったために、教授と話していて思わず涙がでそうになった。そして教授に慰められている私......なさけない。
あぁ、お願いだから自分の仕事に責任とプライドを持てる人と一緒に働きたい。でも彼みたいなタイプに限って生き残っていくものなんだよな。ホント、ここまでうまくいかないと、問題があるのは自分の方なんじゃないかと思ってしまう。もちろん私だって仕事ができるわけではないし、言葉の選び方だって問題がないわけではない。
でもいろいろ考えても、最終的に何が大事かっていったら、彼とうまくやっていくことよりも学生や教授から信頼される仕事をすることの方がずっとずっと大事なので、この際、彼のことは切り捨てるしかないのだという気もする。すべての人から好かれたいなんてこと思わないし。とにかく今は、早くこの学期が終わって彼の顔を見ないですむようになることだけを願っているような状態。

青い空とか死ぬことについてとか

すごい良い天気。
今週末はプログラム主催の学会があるのでその準備でバタバタ。
なんというか、音楽とか食器集めとかでもそうなんだけど、いったん火がついた時の私のパワーはすごいものがある。参考資料とかがすっと集めてがすっと知識を詰め込んで、短期間でぶあっと一定量のものを揃えて......やる気のなさにかけては人一倍な私のどこからそんなパワーが出てくるのか自分でも不思議だ。
それにしてもこのパワー、ここの所学問方面に関しては全く発揮されていないのだけれどどうしたものか。

先日亡くなったKのお父さんは60代前半だったらしい。微妙な年代かもしれない。一応社会的な領域から引退した後ではあるけれどまだ老後と言うには早いような。でもK曰く「最初はすごくショックだったけど、うちの父親、最近めっきり老けこんでいたから、時間が経つにつれ、何となく、あぁ、これが彼の人生だったんだな、って納得するような所もあって......」らしい。

同じようなことをたまに思うことがある。
例えば若くして亡くなった人に対し、寿命を全うできなかったとか、これからまだまだやりたいことがあっただろうに、というようなことを言う人がいるけれど、そういう言葉の背後には、平均寿命を基準に人生のステップ(幼年期、少年期、青年期等々)というものが設定されているように思う。若い人の死は、人生のステップを途中で踏み外してしまうことと同義で、その中途半端さゆえに、あるいはまだ見ぬ段階を抱えているがために悲しむべきものとされる。
でも、当たり前のことだけど、すべての人が80年分の人生を持って生まれてくるわけではないわけで、世の中には90歳まで生きられる人もいれば10歳で人生を終える人もいる。もし人生のステップというのが平均寿命を基準にした年齢区分によってのみ設定されうるものだとしたら、人は15、6歳(もっと上?)にならないと青年にはならず、30歳なりなんなりにならない限りは中年にならず、55歳なり60歳なりにならない限りは老年にならないということになる。つまり10年分の人生しかもたずに生まれて来た人は、人生の青年期や熟年期や老年期といったものを絶対に経験できないということになる。
でもそれは本当なのだろうか。
死ぬ直前の人が、突然すごく大人っぽく見えたり、何か悟りを開いたかのような意味深い言葉を口にしたりすることがある。後から思っても、なぜその人がその時に限ってそんな風に見えたのか、あるいはなぜその人の言葉がそんな風に聞こえたのか、うまく説明がつかないような。それは、死んだ人のことをずっとずっと考えているせいで、死んでしまった人のささいな行為や言葉に必要以上の意味を見いだしているだけなのかもしれない。人の死を自分なりに受け入れるための、どちらかといえば自分本位なプロセスに過ぎないのかもしれない。でも、人より長く生きることのできなかった人が、長く生きることのできた人より何か経験として欠いているのかと言われたら、やっぱりそれは違うと思う。10年の人生を持って生まれて来た人は、その10年間のうちで、80歳まで生きた人と同じだけのことを、多分、すごい密度でもって経験しているのかもしれないし、30歳で死んでしまった人は、それ以上年を取り損ねたのではなくて......じゃあ何なんだ、と言われるとうまく説明ができないけど、そしてやっぱり若くして死ぬのは辛いこともまた確かなのだけれど、でも、じゃあ80歳の人が死ぬ時に何も思い残すことがないかといえば、多分そうではないわけで、80歳の人が思い残したことと30歳の人が思い残したこととの間に違いがあるかといえば多分ないわけで......そして思い残したものの数と人生の密度とはまた違うわけで......

全然まとまらなくなってしまったけれど、こんな風に雲一つない青空の日に限ってつい死ぬこととかばかり考えてしまう私はやはり暗いのだろうか。でもこれって悩み多き年頃(もう過ぎた)を南国で過ごしたせいなのかもしれない。青空を見ると反射的に暗い気持ちになったり考え込んでしまったり。弱っていると特に、太陽の明るさについていけない。
というわけで、元気をつけるために今日はジャンク探しに行ってきます(逃避)。

猫とアンティーク

自分の年齢を漢字で書く機会があったのだけれど、変換キーを押した途端「二重苦」と一発変換されて複雑な気分に...微妙な年頃なだけにね。

おとといKのお父さんが急死されて、KとLはKの実家に急きょ向かうことに。留守にする間猫を預かってくれないか、と言われたので昨日KとLのアパートに寄って猫と猫のお泊まりセット一式を持ち帰る。自分で動物を飼うつもりは今の所ないのだけれど、ペットのいる生活というのもいいな、と思ったり。それにしてもただでさえ結婚式の準備ですっかりテンパっていたKとLなのに、結婚式を目前にしてKのお父さんが亡くなるなんて...悲しすぎる。いろいろ大変だと思うけど、時間をかけて乗り越えていってほしい。

そして先日学校からの帰り道、偶然見かけたガレージセールを覗いてみたら、PyrexとかFire Kingとかその他コレクタブルなディプレッション・グラスがわんさとあった。その家に住んでいるのは中国系の大家族で、近々フロリダに引っ越すために、家財の処分をしている所らしい。食器類の他にもいろんなアンティーク雑貨があって見ているだけでもおもしろかった。「誰がこんなに溜め込んだの?」と聞くと娘さんらしき人がすっごい嫌そうな顔で「おかーさん」というのも可愛らしかった。きっとこれまでにさんざん「おかーさん、こんなもの買ってきてどうするのヨ!」とかいうやりとりをしてきたんだろう...
結局段ボール4箱分ものコレクタブル食器を買ってしまった。だって私が買わなかったらそのままゴミ箱行きになったかもしれないし...と、言い訳してみたり。こうやって先の中国人のおかーさん2号ができあがっていくわけですね。

学校という場所

最近暖かいせいか、どこからともなく人がわらわらとわいてきています。
春だなぁと思う。

ところでステチーは典型的なドロップアウト野郎で、義務教育をあまりよく知らない(それを典型的というのかどうかは分からないケド)独学の人なのだけれど、そのせいか教科書っぽいものに訳の分からない憧れを抱いていたりして、最近も、"Let's Review: Sequential Mathematics"なんていう本を買ってきては一心不乱に問題を解いたりしている。知識を得ている感じが気持ちいいらしい。
別に義務教育を受けていなくても、その後大学には行ったんだし、大学では普通に授業受けていたんだから、それで義務教育についての憧れも満たされそうなものなのに、中・高教育を知らないせいで自分には何かが欠けているというような引け目をいくつになっても完全には払拭することができないでいるらしい。私は行かないですむなら行きたくなんてなかったけど、学校に行かずに家にいるのは辛すぎる(そして他に行く場所などないほどの田舎)というだけの理由で毎日学校に通っていただけなので、義務教育+αに対する良い想い出などほとんどなく、だからステチーが持っている教育に対する素直な憧れを逆にうらやましいと思ったりもしてしまう。それにステチーの学ぶことに対する積極性は、やっぱりどちらかといえば義務教育をドロップアウトしたからこそ身についたものだという気もする。

それにしても年をとると昔のことを懐かしく思ったり、小さかった頃に戻りたいと思ったりするという話を聞くけれど、私はどんなに論文が書けなかったり授業で失敗したりお金がなかったり辛かったりしても、小・中・高校生の頃に戻りたいという気持ちにだけはならない。大人から見れば子供の悩みなど取るに足らないことのように思われるのかもしれないけれど、私には子供の抱えているものの方がずっと深刻で重たくて真剣なもののように思えてしょうがない。子供であるというだけで降り掛かってくる不条理な命令であるとか時間に縛られた生活とか必要以上に知ることに対する抑圧とか。一見些細なことに見えるかもしれない出来事が子供に取っては世界を根底から覆されるような大事件だったり、自分の短い一生をかけた大問題だったりすることだってよくあることだ。今だったらちょっとぐらい大変なことがあっても、まぁいいや、とか、どうにかなるだろう、とか言いながら割と楽観的に構えたり、嫌なことは見ないふりしたり、優先順位をつけて切羽詰まっていないものはとりあえず保留にしたりすることができる。小さい頃はそんな器用なことはできないから、すべてが同じくらい重くて切羽詰まっていて辛かった。いろんなことが全部辛かった。別にそれが悪いことではないけれど、子供時代のことで単純に楽しかった想い出などまるでない。大変だったなぁという思いだけが残っている。くり返しになるけれど、それが悪いわけでは決してない。自分の子供時代を嘆くつもりもさらさらない。義務教育からドロップアウトした方が幸せだっただろうとも思わない。ただ、もしも今もう一度あの時代を、どこからでもいいからやり直せと言われたら多分すごく困ってしまうというだけだ。 

風邪とか

さっきまた階段室でエクササイズ亡霊を見た。今日は女の人だけで、なんだか心持ちやつれて寂しそうに見えた。

そして週末は極悪な風邪にやられてバタンキュー。
「え?え?それってやっぱり僕のせい?」と10日以上も続いた極悪風邪から完全復活したばかりのステチーが可愛らしくすり寄ってくるも、「お願いだから今度風邪ひいた時はビール飲んだりコーヒー飲んだり朝の5時まで仕事したりしてないで、大人しくひたすら寝て他人に風邪をうつす前に直すようにしてよね」と冷たく突き放してみる。そうしたらステチーは寂しそうに部屋を出ていって......と思ったら10分後ぐらいに薬各種を持って戻ってきた。お湯をわかして溶かして飲むタイプの薬とかを作ってくれてそれはそれは嬉しかったんだけど、でも「何か食べた方がいいよー」といいながら作ってくれる夕食は相変わらずピザとかだったり。喉がイガイガの時にピザはやめてー。
オフィスをシェアしているTAもここ一週間ぐらいの間にバタバタ風邪で倒れていて、みんなきつそう。
そういう時期なのだろうか。

金曜日のフランス語の試験は......微妙。
お題はル・モンドの記事だったんだけど、新聞記事訳すのって普通の論文訳すのとはちょっと違う技術が必要とされるんだよなぁ......というか、新聞記事が出るなんて聞いてないヨ! 一応毎日の訓練としてル・モンドのトップ記事ぐらいは読むようにしているのだけれど、試験前は哲学系の論文に的を絞って勉強していたのでちょっとがっくり。ま、次の機会にかけよう......

ダラダラした日々に過ぎていく時間

大学の学部時代のことを振り返る時、あまりに自分が何もしていないことに驚く。
私は基本的に働き者ではないし、何もしないでいて良いと言われれば、いくらでもただぼーっとしていられるタイプではあるのだけれど、それにしても大学の最初の三年間の空白ぶりはすごい。
今でこそアメリカに住んでいたり、それなりにあちこち旅行したりするようになったのだけれど、当時の私は長期の休みだからといって積極的に働くでもなく、旅行に行くでもなく、一週間に二日程度のアルバイトをする以外は、本当にただ、家でぼーっとしていた。家にいるとはいっても、凝った料理をするでもなく掃除洗濯に励むわけでもなく、極力何もしないで、時々本を読むくらいで、ひたすらダラダラしていた。あの頃のダラダラぶりは結構すごい。
基本的に、一人でどこでも出かけていくし、引っ越しとかもよくするので、周りからは積極的に行動するタイプと見られたりすることもあるのだけれど、自分では、私は同じ場所にずーっといるのが合っているんじゃないか、と思うことの方が多い。というよりは両極端なのだ。

両親の実家が遠方にあったこともあって、小さい頃から長距離の移動をすることや、住んでいる家を長期間空けたりすることはよくあったのだけれど、そういう時にはいつも、わくわくするというよりは不安で不安でしょうがなくなったものだ。自分がそこ(普段住んでいる場所)にいない間に、何かが変わってしまったらどうしよう、という思いがすごく強かった。夏休みが終わって戻ってくる時には、すべてが変わってしまったような気分で、そんな自分をコントロールするのが結構大変だった。その場所で起こることのすべてを、目で見て覚えておきたいという気持ちがあったのかもしれない。あるいは、自分の記憶にあるその場所と戻ってきた後の実際の場所とのギャップに過度に反応してしまうだけかもしれない。とにかく、自分がいない内にいろいろなものが変わっていくことがすごく辛かった。

学部自体の空白も、もしかしたらそんな思いを反映しているのかもしれない、と最近思う。
狭いアパートでぼーっとしながら、部屋に入り込む光の具合や、外を通り過ぎる車の音や、その他もろもろの変化をひとつも見逃したくない、という隠れた衝動があったのかもしれない。なんて、しょせん怠け者の言い訳ですが。
ただ、困ったことに、こういう傾向が極端になると、学校に行ったり仕事に行ったりすることすら苦痛に感じるようになる。どんなに短い時間であっても、その場所を離れることができなくなる。厄介だし、ちょっと病的かもしれない。
すべてを把握することや記憶することはできない。過ぎ行くものはどうしようもない。といったことを自分の中でちゃんと理解できた、というか、ふんぎりがついたのはここ五年ぐらいのことだと思う。ずっと閉ざされた場所で生きていくことは多分できないし、すべていつか手の届かない所に行ってしまう。それはすごく切ないことだけれど、でも、だからこそ今が特別なものとして立ち現れてくるのだろうし、未来に思いを馳せたりすることもできるのかもしれない。

正直いってどちらが良いのか、自分でまだよく分からない所があるし、もし一か所で目の前の変化だけを見つめながら生きていけるのであれば、その方が幸せなような気もするのだけれど、でも、まぁ、いろいろな意味でそれは無理だということは分かっているし、切なさの内で見える幸せというのもあるのだろうとは思う。というか、そうでなければやっていけない、ホント。

アメリカ、アメリカ

雑用続きの日々。
天気が良いのだけが救い。
昨日はインディペンデント・メディア系の活動で有名なAmy Goodmanの講演会へ。
NPR(National Public Radio)の"Democracy Now!"の人と言えば、アメリカ在住の人だったらピンとくるのではないだろうか。
それにしても、こういう政治的な講演会が1000人以上収容できるホールで、無料で、セキュリティチェックもなく行われ、しかも満員になるっていうのがすごいよなー、と、こういうタイプの講演会に行く度に思う。先日のTaqui Aliも立ち見がでたし。5万人ぐらいの規模の街で、アクティビスト系の講演会にこれだけの人が集まるっていうのは、日本ではありえないと思う。
どっちがどうというわけではないのだけれど、こういう場所に行くと日本とアメリカの違いを感じる。

Goodmanはすごく話好きな、いかにもアクティビストといった感じの人だった。
言葉の使い方や話の持って行き方に多少気になる部分もあったけれど、質問者への応答とか、細かい部分に、彼女の人の良さみたいなのが出ていて、なんというか、彼女が一般の人たちからこれだけ支持されているのも分かるような気がした。話の内容はもっともなことが多く、アメリカにおけるジャーナリストの迫害、コーポレート・メディアの戦争描写の虚偽性、アメリカ国内における自由な討論の場の喪失といったことが繰り返し指摘され、すべては良心的な市民の行為にかかっているといった話で終わる。自分達の自由を守ろうといったアメリカ的な主張がされる一方で、ここでも歴史の重要性が強調されていたのが印象的だった。多くのグラスルーツ・ジャーナリストが持っているような、強くて何か、形にはならないけれどそこに存在するような何か、に対する使命感みたいなものを彼女も共有していて、それが彼女の魅力なのだな、と思った。
それにしても、こうやって平日の夜、3時間ぐらいかけてNYCからB街までやってきて、時間を大幅に超過してホールから閉め出されるまで話し続けて、そしてまた3時間かけてNYCに戻り、朝の8時には普段通り"Democracy Now!"の収録をするなんて...タフだよなぁ...


そして、数カ月前からもめていたのだけれど、数日前、とうとう今のアパートが別の人に売却されて、新しいオーナーが私たちの隣の部屋に引っ越して来た。すごく若いカップル。
さんざん悪い噂が飛び交っていたのに、実際会ってみたらすごく気さくな感じの人たちだった。
窓からマクドナルドやウェンディーズといったファストフードチェーンのネオンが見えると安心すると言っていた。アメリカンだー。

再び言葉の力について

ディスカッション・セクションに超キュートな男の子がいるのだけれど、彼が"フミヲ!you are the best TA ever!"って言ってくれた。こういうモチベーションアップに役立つ褒め言葉はきちんと記録しておこう。ぐりぐり。

昨日はイギリスの左派アクティビスト(?)、Tariq Aliの講演を聞きに。
それなりにおもしろかったのだけれど、別に目新しい話はなかった。まぁ、普通にブッシュのイラク政策の違法性やアメリカのメインストリーム・メディアのダメっぷりをくり返した感じ。ただ、おもしろかったのは、ブッシュ・アドミニストレーションのことをこてんぱんに批判する一方で、君たち良心的な市民が最後の砦だっていう感じで、人々を煽動(という言い方はよくないかもしれないけれど)するような雰囲気に持っていくこと。これぞ運動家の講演!といった感じだった。
どういうやり方を取るかといえば、アメリカは最後の帝国で、これに拮抗するような勢力がない以上、アメリカ市民が主体的に帝国の動きというものを決定していかなくてはならない、というような... いや、実際はもっと極端で、ヨーロッパも中国も日本もアメリカ上層部を止める力なんてない。君たちだけが最後の希望だ!みたいな感じ。
市民の意識を高めるというのは確かに大切なことなのだろうけれど、こういう形で訴えかけることはアメリカ市民の間に、根拠のない選民意識を広めることになったり、強いアメリカに対する誇りや、なんでも正義に訴える単純な思考を歪んだ形で助長することになるんじゃないんだろうか、という気もしたり。

あと、一つ気になったのは、中東問題やイスラエル/パレスチナ問題の講演会に必ず出てきて、「お前らみんなグルだ!なんだかんだ言ったってパレスチナのことを全然考えていないじゃないか!」っていうような発言をくり返す、多分パレスチナ人の男性がいるのだけれど、今回も講演の後で、後ろの方から「それで、お前の祖父がしたことについてはどう思っているんだ!」と叫んでいる彼のことを、Aliが「僕が祖父のやったことの責任を取る必要はない」と一言で切り捨てたこと。
いや、確かにこのパレスチナ男性の発言はいつもすごい極端な上に、講演者の話と全くかみ合っていないようなことが多いのだけれど、その直前、話の締めとして、Aliが歴史の重要性について主張した直後の「過去に対する責任はない」発言だったので、少なからずがっくりきた。なんだよ、祖父のやったことやその結果について何らかの責任を取ろうとする態度こそが歴史の重要性を確認するということじゃないのかよー、なんて。
もちろんAliのレベルになれば、講演会を妨害されたり、いわれのない言いがかりを付けられたりすることもよくあるのだろうけれど、だからといってそういう人たちを邪険な態度で扱う講演者の姿を、初めて彼の講演を聞く聴衆はどう思うのだろう。少なくとも私は良い印象は持たなかった。

ちなみに、講演会の後、家に戻ってからステチーが図書館から借りてきたMichael Moorの"Bowling for Columbine"を見たのだけれど、なんというかブッシュ・アドミニストレーションに対する批判とかイラク戦争に対する立場においては似た部分持多い二人なのに、その主張の仕方にすごく大きな違いがあるような気がして興味深かった。

MoorもAliも、基本的には、上はダメだから市民ががんばろうっていう運動路線なのだけれど、Aliが、ある意味洗練された言葉と理論を用いた、煽動的とも言えるような手法に訴えかけるのに対し、Moorのそれはどうしようもなく混沌としている。彼は政治的で、メリハリの効いた、それこそ一種の煽動のようにも取られかねないようなパワフルなドキュメンタリーを撮るけれど、その内容は実に混沌としている。そこには矛盾するいくつもの主張や主義や生き方というものがあって、カメラが映し出すのは、現実の複雑さやどうしようもなさばかりだ。しかもMoorという人は、映画の編集能力はとんでもなく高い人だと思うのだけれど、普段、カメラを意識しないような状況で話す場合の編集能力は皆無に等しくて、すごく冗長で同じ所をグルグルと回るような、分からないことを分からないと言い続けるような、ダラダラした話し方をすることがある。気持ちに訴えかけてくる力はあるけれど決して話のプロではない。

でも、AliとMoorを比べながら思ったのは、その冗長さや、まだはっきりとは見えないようなものをなんとか言葉にしよう、という態度こそが大事なのではないかということだ。分かりやすくて盛り上がれる言葉より、支離滅裂で、ストレートじゃなくて、うまくまとまらないままにもがいている状態の言葉の内に、より大切なものが隠れていたりするのではないだろうか。 

言葉の力

2月はBlack History Monthでいろいろな催しが行われている。
昨日はその中の一つである詩の朗読会に行ってきた。
ただ何となく出かけて行っただけだったのだけれど、とても良い感じだった。
詩の朗読会というよりはオープン・マイクに近くて、喫茶店を借り切って、ステージを組んで、ゲストがその上でパフォーマンスをするといった感じ。普段白人客しかいないような、どちらかというとコジャレ系のカフェが黒人学生で埋め尽くされているというだけで、なんというか、かなり圧倒的なものがある。パフォーマンスはB大の学生と卒業生が中心で、どれも詩というよりはヒップホップに近い感じ。まぁ、英語における両者の違いなどあってないようなものなのでしょうが。
ゲストで呼ばれてきた人たちは、本当にプロフェッショナルで、政治的なものとエンターテイメント系のものをうまく混ぜ合わせた、力のあるパフォーマンスに会場も総立ち状態。本場の、ルーツ系というかストリート系のヒップホップを見たのって実は初めてだったのだけど、なんというか、言葉の力というものを強く感じた。言葉が場を繋ぎ、人々の感情を揺らし、意味を伴って迫ってくる感じに少なからず興奮した。


最近よく考えるのだけれど、例えばAさんとBさんがいて、それぞれにお互いのことを思っているとして、AさんはBさんの気持ちに気付いているけれどBさんはAさんの気持ちに気付いていない場合、AさんからBさんへ向かう気持ちというのはどこにいってしまうのだろう。
言い換えるならば、AさんはBさんのことをすごく好きで好きだということをAさんなりに行為で示しているつもりなのだけれど、それをBさんが全く気付かないとしたらAさんの気持ちだとか行為だとか行為が孕む意味だとかいったものはないのと同じなのだろうか。あるいは、Bさんがすごく鈍い人で、言葉になったものしか受け止められない人だとしたら、言葉にならないちょっとした仕草や、会話のもつ微妙なニュアンスなんかは、受け手を持たなくなるわけで、ということは、そういうものは存在しないということと同じことなのだろうか。
多分違うとは思う。
特定の相手に向かって投げかけられたものが、投げ手の意図通り相手に受け止められることなんてまずないし、どんなにお互いを分かり合っている者同士にも、受け止めきれないものというのはある。でも、だからといって、相手に受け止めてもらえなかった言葉や思いや行為の意図といったものは消えてなくなるのではなくて、やっぱりどこかに何らかの形で残っているはずなのだ。でもどこに?どうやって?受け手のないままさまよっているような思いや言葉に意味はあるのか、ないのか。
言葉の力というのは、投げ手の意図がまっすぐに受け手に届いた時に生まれるのか。それともそれは純粋に受け手の中で起こっていることであって投げ手の意図とは関係がないのか。あるいは言葉の力は、誰にも受け取ってもらえないままにその辺を漂っているものの内にこそ宿っているようなものなのか......

ひとりもの

津野海太郎の『歩くひとりもの』に「手紙ぎらい」というエッセーがある。ひとりものの生活というのは気楽であるように見えて、実は様々な条件の上にかろうじて成り立っているような所があって、その生活を維持していくには、ひとりでの生活のテンポを乱しかねない要素を生活(少なくとも家の中での生活)の内から注意深く排除していかなければいけない所があって、手紙というのもその一つなのかもしれない、という内容なのだけれど、読んでいて共感する所が多い。

かくいう私も手紙の返事を書くのにとんでもなく時間がかかったり、あるいは全く返事を書けなかったりすることの多い人間なのだけれど、おもしろいのは、そういう傾向が現れだしたのが一人暮らしをはじめて以降である、ということだ。
両親や弟と一緒に暮らしていたころの私は、どちらかというと手紙魔で、理由を付けてはなんだかんだと手紙を書いた。相手がいない時にはペンパルを探して毎日のようにせっせと手紙を書いた。交換日記みたいなものをする時には一日も間をおかずにきっちり次の人へノートを廻したし、日記仲間のうちの一人が何日もノートを止めてしまうようなことがあると、やたらとやきもきしながら自分が書く番が回ってくるのを待った。

そういう傾向はひとり暮らしを始めてからぱったりと止まってしまった。
両親と生活していた頃に手紙が果たしていた機能というのを、ひとりになった私は必要としなくなったのか、あるいは生活の基本的なことに追われて手紙を書く余裕を失ってしまったのか。

ちなみに津野氏曰く、手紙嫌いというのは「受信嫌い」と「送信嫌い」とに分かれるらしい(もちろん両方持ち合わせている人もいるわけだけれど)。筆無精という言葉は主に「送信嫌い」の人を指し、手紙嫌いの中でも割とメジャーなタイプなのではないかと思う。私も長く、自分はこちらのタイプだと思っていた。

手紙を貰うと嬉しくて、いろいろ考えて返事を書きはじめる。
勢いがある内に返事を書ききってしまえる場合にはすぐに返信できるのだが、多くの場合は何となく言いたいことが言葉にならず、中途半端な状態のまま筆を置いてしまう。そうなるともうダメで、何日かおきに書き直してみたりするのだけれど、まず完成することはない。時間が経つにつれ、「ここまで遅くなったのだかがもうちょっと気の効いたことを書こう...」なんていう気持ちになり、そうしている内ににっちもさっちもいかなくなってとうとう手紙そのものを放り出してしまう。だいたいいつもこの繰り返しだ。
そうやって書きかけのまま返信されなかった手紙だけが後に残る。
返事を書くことを初めから試みない人も多いのだろうけれど、書かなくては書かなくては、という思いが積もり積もってますます返事を書けなくなるというのは、まさに「送信嫌い」の典型的なパターンらしい。

ただ、津野氏のエッセーを読んでいてドキッとしたのは、これまで単に筆無精(送信嫌い)なだけと思っていた自分の中に、実は「受信嫌い」の徴候までもが出始めていて、そういう意味でかなり末期的な「手紙嫌い」になりつつあるのではないか、なんてことを思ったからだ。
例えばおととしの夏から秋にかけて、私は三ヶ月近くメールの受信をやめた。正確に言うとインターネットにアクセスできなくなった。それが誰からのものであったとしても未読メールのサインを見るのも嫌になっていた時期があった。外からの情報なり言葉なりを全く受け付けなくなっている自分に気付いた。「元気?」といった言葉ですら私の生活の境界を侵犯してくる脅威のように感じていた。
そういう風に、外からの語りかけに敏感に反応してしまったり、それに対して自分の生活なり精神状態なりをかたくなに守ろうとする態度は、私の中のひとりもの的な部分から来ていたのかもしれない。考えてみれば、それ以前から電話に全く出られないなど、受信嫌いの傾向はあったのだ。

ここまで書いて、結局の所何が言いたいかというと、メール出さないでごめんなさい&返信が遅くてごめんなさい、ということです。なんとなくそれっぽい説明を延々して、自分を正当化しようとするのは哲学とかをやっている人間の悪い癖だということもよく分かっています...... ちなみに今ではメールを未読のまま何ヶ月も放置しておくということはしなくなりました。もうちょっと筆まめになろうと日々リハビリ中です。

反戦とか教えることとか

日曜日はプラネタリウムでステチーのライブ。
プラネタリウムは美術館の一角にあるのだけれど、昨日は丁度美術館のオープニングと重なっていたので観客の数も普段より多かった。ただ、美術館側とプラネタリウム側のやり取りがうまくいっていなくて、プラネタリウム側から演奏してくれと頼まれたはずのステチーが美術館側からひどい対応をうけたりも。
展覧会はB街ではめずらしく現代美術作家の新作を集めたもので、9.11に対するリスポンスというテーマ。作品はほとんどがペインティング。ドローイングやスカラプチャーも数点。
どういう基準でアーティストを集めたのかは分からないけれど、個人的にはあまり良い展覧会だとは思わなかった。まず、どういう基準でアーティストを集めたのかが全く分からないという時点でキュレイター失格だし、キュレイターの個々の作品についての説明が作家のそれとかみ合っていなかったり、とってつけた感じだったりするのもなんだかなぁ、という感じ。集められた作品そのものの質もあまりよくなかったし、それよりなにより、作家のステイトメントのほとんどが、もうどうしようもなくダメだった。
「僕がやっているようなことの正当性はきっと近い将来認められるに違いない」とか。
「コンピュータが現在のアンチ・ヒューマニスティックな動きを助長している」とか。
やっぱりコンセプトがしっかりしていないものは弱い。なぜ描くのかとか、どうしてこのやり方を取るのかとか、時代性とか、そういうものをきちんと考えている人のものには、どこか人を惹き付ける力がある。何かを作るという仕事には、できあがったものの背後に、できあがったものの内には必ずしも現れてこないような膨大な時間と思考の蓄積があるのであって、その部分を、見えないからといってないがしろにしては、良いものは絶対に生まれない。


話は変わって...
アメリカの教育システムにも良い点と悪い点、両方あるのだけれど、少なくともこちらに来て良かったな、と思うのは、自分で授業を持つ機会を与えられたり、教えるための技術を周りの教授から学んでいる時だ。こちらに来て以来、日本の大学では出会ったことのなかったような、本当にすばらしい学部向けの授業をする人たちと知り合って、いろんなことを学んだ。ちなみに大学院教育という点では日本もアメリカもそんなに変わりはないと思う。ただ、大学教育の一番大事な部分である(と、思う)学部向けの授業の質...というか、学部向けの授業に対する態度という点ではこちらの方が上ではないかな、と思う。もちろんどうしようもない先生もいることはいるんだけど、すごい先生は本当にすごい。目の覚めるような授業をする。あと学生に対する態度という点でも学ぶことは多い。
なんてことを考えたりするのは、実は、今TAしているクラスの雰囲気がどうもあまりよくないせい。短期契約で派遣されてきた教授はいつも学生に対して文句ばかり言っているし(学生の目の前ではさすがに言わないけれど)、TAも、それにつられて学生のネガティブな側面ばかり取り上げようとする。確かに学部の必修クラスだと、学生のモチベーションも低いし不真面目な学生も多い。でも、私にしてみれば、B大の学生は、さすがにパブリック・アイビーと言われるだけあって、すごくレベルが高いし、真面目な学生もできる学生も少なからずいると思う。学生のモチベーションを上げて引っ張っていくのも教える側の役目だとも思うし、少なくとも授業で見られる学生の限られた側面だけをもってして、その学生の能力を判断することはできない。
それに、クラスの大小に関わらず、できる学生っていうのは全体の10%未満、というのは、まぁ、ほとんど定説みたいなものだと思う。200人のクラスだったら20人。50人のクラスなら5人。真面目に授業を受けて、きちんと学んで、それなりの成果をあげられるのはそれくらいの人数しかいないのであって、残り90%にこの10%の人たちと同じことを求めても無理だし、そもそも残り90%の人たち全員ができる10%のうちに入りたいと思っているわけでもないのだ。教える側としてはつい学生全体にトップ10%の人たちと同じだけの努力や勤勉さや成績を求めがちだけれど、そういう授業のしかたは結局の所、クラスの大半の生徒を無視したものになりかねない、ということも分かっておいた方が良いのではないかと思う。
あと、これまでの経験でなんとなく思うのは、たとえ理由なんかなくても、こちらが学生のことを尊重して、そのポテンシャルを認めているということを示すことで、学生の教える側に対する態度も大きく変化するということ。教える側が「あなたたちには何も期待していない」という態度を示せば、学生はそれを敏感に感じ取ってネガティブな反応を返してくる。なんというか、こういうやり取り自体子供じみているように見えたりもするのだろうけれど、でも、教える側と学生とをつなぐ接点が少ない(「必修科目だから」といった)場合には、こういう所でお互いの信頼を作っていくしかないのだと思う。それに一旦、気持ちの上での信頼関係を作ることができれば、学生は何も言わなくてもついてきたりするわけで、そうするとクラス全体の雰囲気も良くなっておもしろい議論が飛び出してきたりするわけで......
と、いったことを書いている途中でオフィスをシェアしているTAの一人がやってきて「今、教授にも相談して来たんだけど、学部生のライティングが全然ダメなのよ。どうやって評価しろっていうのかしら」と言いながら去っていった...... でも、そういう時、それぞれのライティングに適切なコメントを返しながら、必要な場合には書き直しさせたりして、学部生の為に努力するのがTAの仕事であって、たった一度のアサインメントで学生の能力に見切りをつけるなんてとんでもない、と、私なんかはつい思ってしまう(そして自分の仕事を増やしてしまう)のだけれど、彼女にとっては一つ一つのアサインメントを完璧にできない学生は単に面倒でお荷物なだけなのかもしれない。 余りそう思わないように努力していたのだけれど、彼女の話を聞いていると、どうしても彼女よりも彼女の学生に同情してしまう...... 

ホラー三昧

雪のせいか、今日は一段と人が少なくて、哲学科のフロアにいるのは私と秘書の人たちだけだ。

おとといの夜、ステチーが借りてきたサイコ・スリラー系のDVDを見た。
"What Ever Happened to Baby Jane?"というクラシック・スリラーと"The Blair Witch Project"。
ホラーとかスリラーって、内容が、というよりはドキドキ感だとか気味悪さだとかがいつまでも頭に残るのが嫌で、めったに見ることがないのだけれど、なんとなく魔が差したというかなんというか...
案の定、"What Ever Happened to Baby Jane?"を見た後、やけに目は冴えてくるし、ドキドキ感は止まらないしで、えーい、こうなったら行く所まで行ってしまえ、と結局"The Blair Witch Project"まで見てしまった。(大間違いだった)
そして目はさらに冴え、ドキドキはさらに高まり、悪夢にうなされることになったのでした。
内容的には、両方とも心理的な恐怖をそそる感じでおもしろかったんだけど、やっぱり、あの、叫び声とか怒鳴り声とか...切羽詰まった人間同士の醜さというか狂気というかは見ていて疲れる...それもまた人間が本質的に抱えている一面ではあるのだろうけれど。

最近ネーゲルを読んでいる。
アメリカで哲学をやる以上、D論はきっちり分析哲学を押さえつつ、その批判まで含めることができれば...という風になりつつあるのだけれど、オーソドックスな分析哲学よりの環境倫理とその批判とをつなぐ部分にネーゲルの価値多元主義をおくつもりでいるのだ。分析哲学をやることに対して割り切れない気持ちとかもいろいろあって、バランスを取るのが自分の中でも難しかったのだけれど、多分、これでいくと思う。
ネーゲル、日本ではそんなに翻訳本とかも出ていないし、なんか「こうもりの人」(ネーゲルの本として日本で多分一番有名な哲学入門書みたいなのがあって、そこで、Philosophy of Mindにおける基本的な問題を論じる時にこうもりの例が出てくる)のみたいな感じでしか受け入れられていないような気がするんだけど、結構、既存の分析哲学(主にPhil of Mindですが)に対する批判という点ではおもしろいこともいろいろ書いている。オプティミスティックなアメリカ人知識人の中で、強くペシミスト路線を貫いているというだけで、なんとなく親近感を覚えてたりも。でも、アイデンティティ論にしても志向性論にしても、やっぱり分析的な理論展開って抵抗を感じてしまうのだけれど...
 
それにしても環境倫理をやっていて思うのは、帰結主義の呪縛は果てしなく強く深いということだ。環境倫理といった応用倫理学は、政策に応用可能なプラクティカルな側面を求められるのだけど、この実践性というのが絡んでくると、帰結主義的な縛りは、もう、逃れようがなくなる。政策というのは良い結果を導くために作られるものであって、そういう意味で、優先されるべき価値の設定とその価値の最大化という帰結主義的な枠組みと切っても切り離せないようなものだからだ。何の価値もなくて、何のためにもならなくて、しかも最大化される必要もないようなものを守ったり生み出したりするための政策は存在しない。一見、全体的な幸福あるいは善の増大とは相反するような政策(世界最大量の石油が埋蔵されているとされている地域をあえて開発せずに自然公園として保護する等)も、結局は、その場所の自然価値は石油によってもたらされるものの価値(経済的な豊かさとか)よりも上で、であるがゆえに最大化されるべきである、という帰結主義的な論理に貫かれている。功利(utility)というタームに変わってvirtue(徳)だとかdeontological constraint(道徳的義務)だとかを持ち出してみても、例えば特定の道徳的制約を守る理由は何か、徳を重視する理由は何かと言われたら、それはやっぱりそれを行うことが最終的に良い結果につながるからだとか、あるいは特定の道徳的制約なり徳なりに価値があって、それは最大化されるべきだから、ということになってしまう。ハードコアな義務論や徳理論では必ずしもそういう話にはならないのだけれど、それらをどう実際の政策に応用していくのか、ということになれば、どうしても帰結主義的な話になってしまう。そして帰結主義である以上、政策の内に含まれているマイナスの要素はプラスの要素の内に還元されてしまうことになる。単一の価値評価軸に添う形で。
帰結主義の呪縛については先学期ビジネス・エシックスのTAをしていた時にも出てきたし、メディカル・エシックスでも延々議論されていることだったりもする。やっぱりこれは応用倫理学が、その構造上、絶対に逃れえないものなのでしょうかね...なんていう話を教授としてみたり。 

sushiイロイロ

突然吹雪。

サイトのデザインを変えたくてしょうがない。
そんなことしている場合じゃないんだけど。
tokyo bbs(cgiスクリプト)を使ったデザインにしたいのだけれど、まだ自分で使いやすいレベルまでスクリプトを操作しきれていない感じ。なんだかんだいってakiary(今日記で使っているやつ)はすごく使いやすい。特に初心者には。

この前ステチーと最近出来たばかりのChinese&Japaneseレストラン、Lにお寿司食べにいった。
こっちだとやっぱりロール(巻寿司)が主なのだけれど、どのレストランもそれぞれに趣向を凝らした感じのロールを揃えていて結構楽しめる。ちなみにこのLオリジナルのロールとして"fried sushi rice with spicy tuna, takuwan, and caviar"(揚げたすし飯にスパイシーなまぐろとたくわん、キャビアをトッピング)というものがあって、「揚げたすし飯」見たさにオーダーしてみた。チャーハンを海苔で巻いてあるのかなーと思っていたのだけれど、出てきたものをみてびっくり。なんとすし飯を海苔で巻いたものにてんぷら粉をつけて丸ごと油で揚げてあった。豪快...っていうか、これは日本人には考え付かない寿司のアレンジ方法だな...なんて思ったり。寿司とてんぷら一緒にしちゃえっていう所からきたのかな、やっぱり。
最終的にはこの揚げた太巻きをいくつかに切り、断面の部分にスパイシーツナとたくわんとキャビアを混ぜたものをどかっと乗っけるんだけれど、でかいしご飯ぎゅうぎゅうだし、油っぽいしということで、全盛期を過ぎた胃にはちょっときつかった... あと、春巻きとか他の中華の材料を挙げる油ですし飯を揚げているので衣にいろんなものの味が混じっちゃっていてそれもちょっとという感じ。変わり寿司としてはおもしろいし、胃もたれとかとは無縁でとにかくいっぱい食べたい若者には嬉しい一品かもしれないけれど。

ちなみに私とステチーのお気に入りは大学の近くにある中国人経営のF。
他にも日系人経営の老舗、Kというレストランがあるのだけれど、こちらはなんというかオーセンティックな日本食を目指す感じで値段も少し高め。それに比べてFはもうちょっと庶民的な感じ。雰囲気やメニューの内容が。寿司メニューもKがニギリとロール半々なのに対し、Fはロール中心。具沢山で大きいのですぐお腹いっぱいになる。お茶を頼むとでっかい湯飲みに入った緑茶が出てくるのもうれしいし(Lではお茶といったらジャスミンティだった)、なんといってもつきだしがついてくるのがすごい。なんだかんだいって一番日本っぽいかもしれない。やり方が。 

バイバイJ

昨日はJが遊びにきたので一緒にご飯。途中K、M、Lも混ざったりしながら雑談。
あの、スーパーのレジ横に置かれている"The World News"(主要ニュースのパロディとか「エイリアンが!」みたいな話ばっかりの新聞)のこととか。すっごい下らないことを書いているようで実は辛らつなメディア批判になっていたりすることもあるこの新聞のファンは割と多い。

Jは明日B街を出るらしい。実家でしばらくお金をためて二ヶ月後にフランスへ向かうとのこと。Jが昔フランスにいた時知り合ってこっちに帰ってきてからもずっと忘れられなかった女の子との関係が修復しそう...という話は聞いていたのだけれど、本気でやり直すことに決めたらしい。
Jはフェミ二ンでスマートで静かで礼儀正しくて(酔っぱらうとひどいけど)、なんというか、とても雰囲気の良い男の子で、私もステチーも彼のことが大好きだったので、引っ越しするということを聞いた時にはちょっと感傷的な気持ちになった。まぁ、これが永遠の別れっていうわけではないんだけど。
なんとなく別れ難くてダラダラと他愛もないことを喋っていて、ステチーが「明日は仕事だから...」とベッドに向かった後にも二人して、本当に、どうってことないようなことばかりただ延々と話していた。B街のこととか日本とアメリカの郊外比較とかフランスにある変な建築のこととか脱構築とかアウラとかゴダールとか。互いになんの脈絡もないようなことを延々。ただ時間を引き延ばしたいがためにそうやって他愛もないことを繋げていっているんだということは多分お互い分かっていて、でも、なんというか、話の内容なんてどうでもよくて、ただもうちょっと一緒にいたいという気持ちだけでその場所が保たれている状態というのはなんだか久しぶりな気がした。心地よかった。

ほんの少ししか話したことがなくても、離れていても、もう二度と会うことはないだろうと思っていても、その人が世界のどこかで生きているということを思うだけでなんとなくほっとしたり幸せな気持ちになったりするような人というのはいるもので、Jも多分そういう人の一人になるんだと思う。私やステチーにとって、というだけだけれど。でも、そういう人って、その人の思い出やその人と共有した時間のことも全部含めて、大切だ。すごく。

近況

ただでさえ少ないやる気がさらに低下中の今日この頃。
とりあえずつらつらと最近あったことなど。

ステチー、プラネタリウムでライブ
音響も割とよくて、全体的に私好みのドローン系で、個人的にはこれまでのライブで一番よかったかと。プロジェクターが使えるということだったので私もiBookを持って行って、やっつけで勉強したJitterを使ってビジュアル関係を担当。Jitterはステチーの使っているMAX/MSP(ddayのすっごい昔の方にMAX/MSPについて書いたものがあります)をビジュアル向けにしたプログラミング・ソフト。今回は基本的にチュートリアルに入っているようなやつを組み合わせたりして簡単なエフェクティング・プログラムを組んだだけ。写真を上下左右に引き伸ばしたり縮小したりして動きを作りだす感じで。サイケデリックな香り。
MAX/MSPとかJitterはインタラクティブなコンピュータ・ジェネレイテッド系のサウンド+ビジュアル・アートではマスト・アイテムとなりつつあるのでこれが使えたらIAMAS(岐阜の芸術工学系大学)とかに就職できるかもしれない......なんて、また逃避とも野望ともつかぬことを言ってみたり。いや、100%逃避だけれども。

昨日からストーム
歩きにくくてしょうがない。Lとパウダースノーの上を歩く時のキュッキュッっていう音が嫌いだ、という話に。窓ガラスを爪でひっかいた時のような、微妙に気になる細くて甲高い音。


一週間以上耳がつまった感じが取れない。あの、飛行機で離陸する時とかになる感じ。
最初の数日はすごく気持ち悪かったけどもう慣れた。でも一向に直る気配がないのでさすがに問題ありかなぁという感じ。

授業
教壇に立っている時と普段とでこんなに感じが変わる先生っているもんなんだな、と思ったり。
あと、同じ内容でもレクチャーする人によってこんなに雰囲気が変わるものなんだな、とか。
今学期は二つディスカッション・セクションを持っていて、それぞれ20人前後。先学期の倍以上の仕事量。でも楽しい。

結婚とか子供とか

久しぶりに太陽を見た。

昨日はKとMが遊びに来たのでピザを作った(ステチーが)。
最近子供ができたKを囲んで、結婚とか家庭とか父親になることとかを巡ってボーイズトークが繰り広げられていた。男の子の結婚観みたいなものが見えておもしろかった。
KとLはもともと3月に結婚する予定で、結婚したらすぐに子供を作りたいということも言っていたので、今回「子供ができたんだよー」という話を聞いた時にも二人にとっては計画通りだったんだろうなぁ、と思っていた。でもK曰く「子供作るのってもうちょっと時間がかかるんじゃないかと思っていたんだよねー。周りにもなかなか子供ができないカップルとかいたし、僕たちだって、これまでも、まぁ、ちゃんと気をつけてはいたけど、ずっとできなかった訳だしさー。まさか一回でできるとは思っていなかったんだよ.....」らしい。ジューイッシュでありながらもあまり宗教的なことにはうるさくないKの両親も、結婚式前に子供ができたということを聞いた時にはちょっと顔が強張っていたらしい。

「うちの両親はLのことジューイッシュじゃなくてもかまわないって言いながらもやっぱり『Lは改宗する気はあるのかしら』とか言ってくるし、僕たちは結婚式の食事はベジタリアンにしたいんだけど両親はちゃんと肉も出したいとかいうし、お母さんは結婚式で息子と踊るのが夢だとかいうけど、その為のバンドとかはどうすればいいんだって感じだし、Lはもう疲れ果てていて結婚式のことなんて考えるのも嫌だとか言うし......」と、Kにしては珍しく弱音を吐きまくっていた。両親が望むような結婚式と自分達の想い出に残るような結婚式とのギャップに悩むカップルの姿というのは世界中どこにでもあるものなのだな、と思った。
「お母さんの希望を聞いてあげたい気持ちはあるんだよ。僕はお母さんの一番お気に入りの息子だってことは分かっているし、僕の結婚式っていうのが、それがどんなものであったとしても、彼女の人生のうちですごく大切で想い出深い一日になるっていうのは分かっているからさー。でも結婚式っていうのは僕とLにとっての特別な一日でもあって、その想い出っていうのは僕の両親が死んでからあともずっと僕たちの中に残るものなわけでしょう。そうするとやっぱり自分たちが理想とするような結婚式っていうのをすべきかなっていう風にも思うわけだけど......」
結局、自分達の為の結婚式と親の為の結婚式&披露宴は分けて考えないとダメだよね、という結論になったのだけれど、それじゃぁ、自分達の為の結婚式をどうするかっていう話になるとステチーもMも、それは二人きりで二人の想い出の場所とかで厳かに誓いをたてるんだ、とか2月29日に山の中で二人っきりで...とか、朝日を見ながらとか、月の光の下でとか、男のロマンティシズム爆発みたいなアドバイスばっかりするし、Kもそれを聞いて「それすごいいいアイデア!」とか言って盛り上がっているし、なんだかなーって感じだった。いや、まぁ、いいんだけど。

ジャンク市いろいろ

ところで、これまでの日記に何度も登場するサルベーション・アーミーはいわゆるジャンク市みたいなもので、各家庭から寄付...というよりはいらなくなったものを処分しているだけなんだけど、とにかく、まぁ、そういうものを格安で売っている所で、イギリスにはこれと似た感じのものとしてカーブーツというのがある。
カーブーツは、ガレージセールの出張版みたいなもので(でもフリーマーケットとはちょっと雰囲気が違う)、いらなくなったものを車につめて持って来て売るというやつで、週末の午前中、街からちょっと離れた郊外の公園や広場なんかで開かれている。規模も様々。
もちろんカーブーツは基本的に自分達で準備して自分達で売って、利益も直接自分たちにかえってくるわけで、厳密に言えばサルベーション・アーミーとは異なるわけだけれど(どちらかといえば家庭からの寄付品をチャリティの為に販売しているOXFARMの方がやり方としてはサルベーション・アーミーに近い)、でも、売られているものとか値段の設定といった点では共通する部分が多い。掘り出し物を求めて毎週末やってくるジャンク・ハンターがいるのも同じ。

私もイギリスにいた時はよくカーブーツに出かけていたのだけれど、一つ問題なのは朝がとんでもなく早いということ。どのカーブーツも9時前後から始まるのだけれど、掘り出し物を見つけるためには早く行くにこしたことはない。プロフェッショナルなジャンク・ハンターは開始の一時間とか二時間から会場入りしてセラーが品物を陳列しているうちから交渉に入っているわけで、開始直前に会場入りしたのでは遅いくらい。もちろんアーリー・バード(早起きという意味だけどこの場合は開始前に物色しにくる人たちのこと)禁止という張り紙はどのカーブーツでも出るわけだけれど、それでも塀を乗り越えたりセラーを装ったりしながら開始前の会場に忍び込む人は後を絶たない。というわけで、真剣に掘り出し物を探そうと思ったら7時ぐらいには会場周辺にスタンバって侵入するチャンスを伺っておかなくてはいけない。ということは起きるのは6時とか6時半ということになる。週末の朝6時半に起きるのって...辛いっす。

ちなみに今思い返してみると、当時あんなに通いつめていたカーブーツで何を買ったのかは全然覚えていない。とりあえず当時60sものとかオリエンタリズムものが好きだったので、そういうものを集めていたんだとは思うんだけど、オリエンタリズムものとかって中途半端にあっても単に趣味の悪い人みたいにしか見えないから微妙。ほとんどはイギリスにいた頃一緒にいた人の家のガレージに置いてきてしまった気がする。帰国直前にレトロな広告のために昔のナショナル・ジオグラフィックを50冊ぐらい衝動買いして、最後は半分涙目になりながら広告の切り抜きをしたのは覚えている。これは今でも日本の研究室においてある...はず...(こんなもので本だなを占領してごめんなさい)。ちなみに集めていたのは50sや60sの観光広告でした。オリエンタリズム炸裂で結構おもしろいものがあります。あと当時のエア・フランスの広告って常にストイックに機内食でいい感じだったり。 

お菓子三昧

ふと思い立ってお菓子を作りまくる。
冷蔵庫の中にあったものを総動員し、ないものはあるものを適当に代用しながらベイクドチーズケーキと柑橘クッキーとブルーベリークッキーを。ひたすら混ぜて焼いてをくり返していたらお菓子作り欲求も収まってきた。
明日、KとLからポットラックパーティ(ご飯を持ち寄って食べるパーティ)に誘われているのでその時にでも持っていこう。

でもK曰く「このパーティはね、食欲をそそらないご飯コンテストでもあるからね。間違ってもおいしそうなものとかもってきたらダメだよ」ということらしい。ヤだ、そんなパーティ。アメリカ人の食欲はそそらなくても私はふつうにおいしく食べられるもの(だってやっぱりおいしいものが食べたいし...)ということで、素とうふとかいろいろ考えていたんだけど、結局普通に料理して上からフードカラーをかけて緑とか黄色にするとかでいいんじゃない、ということで落ち着く。いや、落ち着いていない。真緑な肉とか絶対食べたくない...

冬の夜長

昼頃ごろちょびっと吹雪。
お風呂でいつものように本を読んでいたら、うっかり本を湯船に落としてしまった。いそいで救い出したけれどぶよぶよ...
まぁ、もともとサルベーション・アーミーでタダで買った(?)転売不能(表紙が切ってあるやつ)の本だからぶよぶよになってもいいんだけど... これが$50とかの哲学書だったら泣く。
ちなみにこの本はモンタナで土地を買って自分達でエコな家を建てて生活しているカップルとその友達夫婦の話。興味のある分野だし結構プラクティカルな話もあってまぁまぁ。最初の方は著者がいかに自分の若い嫁を愛しているかとか、著者のアイデアリスティックな自然観とか、世界はどうあるべきかとか、まぁ、こういう本にありがちな、こちらとしては別に知らなくてもいいや、とつい思ってしまうようなことがつらつら書かれていたりもするのだけれど。(Manning, Richard. "A Good House." Penguin Books. 1993)

夜、パスタを茹でていると電話。
「にほんごみたいー」と言いながらステチーが持って来た受話器を受け取ると、なんと長距離電話サービスのセールス電話。どうやって私の電話番号と国籍情報をゲットしたのだろう。こわい...
そういえば最近アップル営業所と名乗る所からも電話があって、お宅のマックに問題はないですか?と聞かれた。なんでも、購入時3年間有効のケア・プラン(3万円ぐらいする)に入っていなかったマックユーザに対して電話してまわっていて、問題があるようなら修理とケア・プランへの加入を云々という話だったのだけれど、私、iBook買ったの日本でだし... なんでこっちに来ているっていうのを知っているのさ、って感じ。アップルに住所変更のお知らせとかした覚えないんだけど...

パスタを食べていると、Jがふらりと遊びにきて忘れられない女の子の話をして帰っていった。

チーズバーガー

今日も暖かい。
ステチーが「なんかハンバーガーな気分」というので、半年ぶりぐらいにハンバーガーを作った。といっても作ったのはステチーだけど。チーズバーガーとフライドポテト、コーンにサラダ(ブルーチーズドレッシング)がワチャッと盛られたお皿を見ながら「アンチ・ロー・カーボ・ダイエット定食って感じかね」などと言い合ってみたり。それにしても炭水化物を取らないロー・カーボ・ダイエットはこっちでも大人気で「ちょびっとオーバーウェイトぎみでロー・カーボ・ダイエット中」というのは典型的なアメリカンの条件の一つになりつつあるとかないとか(>友人L)。それにしても男性が料理をした後というのは、なぜにこんなに洗い物が多いのだろう...

時々どうしようもなく不安な気持ちになる。先行きの見えなさとか、今やっていることに対する不満足さとか、自分の能力のなさとかを思って。買い物をしていたり、古本屋で本を選別したりしている時に、突然、もう、どうしようもなく不安になって手が震えてきたりする。それでも結局はできることから少しづつやっていかなくてはいけないわけで、というかやり始めなければどこにもいけないわけで、まぁ、がんばるしかないのだよな、と気を奮い立たせてみたり。何年後かに、この時期のことを懐かしく思い出せるようになっていると良いのだけれど...

新年の夕焼けを見ながら

もう2004年か... いろんなタイムリミットが迫ってくる感じ。わー。

1月だというのに信じられないほどの暖かさ。
年末にしたことといえば、ステ姉や日本の家族・親戚へのクリスマスプレゼントを郵便局に出しにいったくらい。う...だってクリスマス前って郵便局が殺人的な混みようでとてもじゃないけど近付く気になれなかったんだもの!(言い訳)
お正月だというのになんか疲れ果てていて外に出る気も人に会う気もまるでナシ。結局家でダラダラと本を読んだり、ちょっと豪華な夕飯を作ったり。

そういえばブラジルがアメリカ人観光客に限って指紋の提出を義務づけるという法律を作ったとか。アメリカの最近の移民法の改悪に対する反応みたい。最初は学生ビザホルダーのみ指紋を採取するということなのかと思っていたけれど、観光客も含め外国からの入国者は全員指紋を採られるみたいですね。アメリカをサポートしている国からの観光客は免除とかあるのかもだけど。
なんだかなぁ... 
やることが後ろ向きというか、歴史とか人々の記憶とか、そういうものによって築き上げられてきた何か、みたいなものに対してとことんインセンシティブだよな、アメリカの政治って、と思ったり。まぁ、日本も似たりよったりだけど。

そういえばこの前Lが遊びに来ていた時、「フミヲは人がネガティブになっていると、『何でそれが悪いことなの?』みたいな形で、人がネガティブに思っているようなことを一回転させて肯定するような所があるけど、でも根本的には誰よりもネガティブでペシミスティックだよね」とかなんとかいう話になって、ステチーまでが「僕もたいがいペシミストだと思っているけど彼女はそのさらに上を行く」とか言い出して、さらに、アメリカの場合は階級ごと(人種的なものだったり収入によるものだったりするわけだけれど)にそれ相応のメンタリティみたいなものがあって、この辺の人たちはこういう生活をしていてこういう身なりをしていてこの程度の教育水準で、だからこそこういうペシミズムを共有しているみたいなことが割と分かりやすい形で存在しているんだけど、日本の場合はそういうのが分かりにくい、という話に。ステチー曰く、私のように学歴のあるミドルクラスの両親の下に生まれ南国の田舎で何不自由なく育った女の子は、ベルベットアンダーグラウンド(60年代のNYCアングラバンド。この場合は単に音だけでなく政治的な意識とかを含んだものとして取ってもらえればよいかと...)を好きになったり変な映画を見たり大学院で哲学を専攻したりはしないらしい。ステチー曰く「まぁ、そういうのは表面的なイメージで語っているだけだから、実際何が人の内面に影響を与えるのかは一概には言えないものだけど、でも日本の田舎で暮らしているごく普通の女の子がベルベットアンダーグラウンドを聞いている光景ってやっぱりなんかすごい不思議」なのだとか。
似たようなことはこれまでに何度も言われたことがある。でも、個人的には、それなりの家庭環境でそれなりの物質的豊かさを享受し、それなりの容姿とそれなりの学力を持ち合わせ、それなりの可能性を与えられつつ、であるがゆえの限界にもまた敏感だったりする、この階級というか世代というかに特有の何かがあることは、すごく実感を持って感じていたりもする。それは中産階級の悩みとかではなく、悩みがないことの悩みでもなく、こういう環境で育ったがゆえに見える世界の有り様であるとか、こういう環境であるがゆえにはまり込んでしまった場所、みたいなものなのだけれど、それを言葉にするのは、今の私にはまだ難しい。

今年一年でどこまで行くことができるのか... ふんばりどころの一年となりそうです。

写真を撮りに

12月とは思えないほどの陽気でここ二日ほどはコートもいらないほど。
あまりに良い天気なので久しぶりに街角写真を撮りにでかけた。

B街は主要産業が崩壊後一気に寂れた、ある意味典型的なアメリカの工業跡街なのだけれど、おかげでというかなんというか、私の好きなどっしり重い近代的な建物の廃墟がいっぱいある。今回は以前から一度写真を撮りに行きたかったアンティークショップのストリートに出かけていって古ぼけたホテル跡や工場跡なんかを撮ってきた。フラフラしている内に、住居の並んだ一角に地下通路を発見。なんだかとても牛臭いそれは線路の向こう側とこちら側をつなぐペデストリアン用の通路だった。昔はたくさんの人が行き来していたのかもしれないけれど、今ではやたらと装飾的なコンクリートの外観が街全体の寂れ感を増長しているだけだ。経済的なシステムのことを考えると、この街がかつてのような賑わいを取り戻すことは絶対にないわけで、過去の栄光の残骸とかもう何もそこには戻ってこない空っぽな場所とかを日々見つめながら生活している地元の人たちは、やっぱり辛かったりするのだろうか... 

あと、B街の高校って、いかにも工業街の高校という感じで、ブルーワーカーの息子や娘がブルーワーカー的な労働倫理みたいなものを持って勉強しにきている感じの所で、というのは、まぁ、義務教育期間は最低限の勉強をしつつそれなりに恋人を作ったり同性の友達とつるんだりして楽しみつつ、卒業後は街のどこかの工場に入って父親のような職人になるっていう風な人生設計が教師にも生徒にもある程度受け入れられている(た)ような感じの所で、でもってそういうのって街自体に活気があって、産業の側が若くて安い労働力を必要としていた時代にはうまく機能していたのだけれど、一旦街の産業が崩壊するとどうしようもなくなっちゃって、結局今ではB街の高校は不良のたまり場、学級崩壊、ドラッグと飲酒、みたいなイメージでしか語られなくなってしまっている。去年アパートを探していた時に手伝ってもらった隣街の高校生がB高校のことを「こんな所にきちゃったらオシマイだよ」と言っていたことを思い出す。今B高校に通っている世代にとっては、高校の現状とか街の経済状況とか父親が失業していたりすることとかをつなぎ合わせて見ることは難しいのかもしれないけれど、でも、高校を出ても何もないとか、この高校に来てしまったら、あるいは高校時代に遊んでしまったらもうやり直しが効かないとかいう漠然とした行き詰まり感みたいなのはあるのかもしれなくて、そういうのって何だか、どうしようもないだけに、すごく切ないと思ってしまったりする。

残り物を処分する日々

クリスマスは七面鳥とかチキンとかケーキとかパイとかをいっぱい食べた。
そして小さくて細々したものをたくさん受け取り、ビリビリと豪快にラッピングを破いて楽しんだ。
途中、ステチーの甥っ子君たちが私たちのアパートに遊びに来たいと言い出したのだけれど、結局やっぱりバスに乗って帰るのは嫌だ、ということで中止に。なんの娯楽もない我が家に来てもしょうがないかもしれないけれど、知らない街に行ったり子供たちだけでバスに乗ることを冒険と思えるうちに一度くらい遊びにきたらいいのにね、という話をしたり。

そして昨日、おとといはクリスマスの残り物をひたすら整理。ある意味日本のお正月明けに近いと思う。残りもののターキーはおとといのお昼にサンドイッチ、その日の夜にシチュー(二日分になった)、今日の夜炒め物にして処分した。でもまだ数切れ残っている。チキンもまだたくさんある。クリスマスクッキーとかは、もう、どうやって処分すればいいのか分からなくて途方にくれるくらいたくさんある。

ちなみにステチーからのクリスマスプレゼントはRAM(512MB)でした。これで一気に私のマシンも640MB。多少サクサクする感じ。これを機会に、ということで、今日は一日ハードを整理(パーティションの中身を移し変えたり)したり、OS、その他のアプリケーションをアップデートしたり、嬉しくって写真をいっぱい撮ったりした。 

クリスマスに向けて...

ちなみにDIYショップの植物コーナーでサボテンをいくつか買って来た。
ちょっと珍しめの、アフリカ産のものを中心に。

ステ実家でのクリスマスに向け、ひたすらプレゼント準備の日々。
毎年この時期はとんでもない忙しさで、クリスマスどころではない!って感じなのだけれど、今年は多少時間的にも気もち的にも余裕があるので...
とはいってもお金がないのはいつものことで、しょうがないのでサルベーションアーミー(ジャンク屋)で買ってきたものをいろいろ組み合わせたりしつつクリスマスのオーナメントを作ってみたり。
あとはクッキー等々。手抜きだよなーと思いつつも新聞でラッピングしてリボンをグルグル。
ふと気付くと、死亡通知のページだった... わー。焦ってヤンキース優勝のやつに変えてみたり。


別に不幸な境遇に生まれついたわけではないし、どちらかといえば運は良い方だと思うけれど、生きることは根本的に辛いことだという気持ちがある。せっかく生まれて来たのだから楽しまなくちゃ、と言う人の気持ちは分からないでもないけれど、人生は楽しくなければ意味がないといった考え方には全力でもって抵抗したい。

楽しい人生を送ることは単純に良いことだと思うし、それが、その人の望むことなのであれば言うことはない。でも、だからといって一見全く楽しそうに見えなかったり、お金がないとか健康な身体がないとかいう理由で何らかのリスクを負いながら生きている人たちが不幸だということにはならない。それは不運なことかもしれないけれど、でも不幸なことでは多分ない。それぞれに異なる人生の豊かさだとか幸せだとかを一つの尺度で測ることはできないし、自分が正しいと思う尺度を相手の人生に当てはめることもできない。

ちなみに、人生の価値を測る唯一の尺度がないということは、どんな人生も等しく価値があり意味があるということとはちょっと違う。どんな人生であっても生きることに意味があるといった言い方は、個々人がその個別的な生の営みの内で経験してきた痛みや傷や喜びといったものを、人生という言葉で大雑把に同質化してしまっているのであって、それは単一の尺度によって他者の人生の価値づけをすることと変わりがない。それは結局の所みんな同じ人間なんだから、といった言い方で同意を求めてくる表面的なヒューマニストのやり方に似ている。生物学的に同質であるからといって、全く異なる民族的、文化的、社会的、宗教的背景で育ってきた人々を同じように扱えるなんていう考え方は暴力的だ。どうやっても一括りにできない、分かり合えない、という現実と格闘することを初めから拒否しているように感じる。同じように、個々の人生にはそれを生きている人のみが感じることのできる喜びだとか哀しみだとかがあるはずだ。それは決して他人と共有できるようなものではないのだけれど、共有できないからこそ関係することの可能性が要求されるのだと思う。完全に相手と一致できるのならば、関係は成立しない。というのはつまり、関係というのは本来独立した別々のものを繋ぐ部分のことをいうのであって、完全に一致した状態には繋がりあう空間というものが欠けているからだ。そういう意味で、繋がりを求めることは相手を完全に理解したいとか一緒になりたいとかいうことと本質的に相反するものであるはずだ。

話がズレてきてしまったけれど…
結局の所、ある一つの絶対的な価値基準に基づき、その量によって生きることの価値を決定するような帰結主義的なやり方だと、そこからこぼれ落ちてしまうものがたくさんあると思う。個々の生には決して数量化し得ないような、質的な深みというものがあるわけだし。そしてこの質的な部分にもいろいろな違いがあって、だからこそ、人間であればみんな質的に均しい生を共有しているという風に質の普遍化を測ることもまたできない。
でもそういいつつも実際には、生きることの価値とか意味がすべて個別的なものであってある絶対的な基準だとか他の人の人生に対して相対的に決定されるものではないと言い切ってしまうことの難しさを感じることの方が多かったりするわけだけれど... 

クリスマス前のDIYショップ

今日は朝少し雨が降った後一日中雪。
家で作業をしていた所、下の階に住んでいるLが遊びにくる。仕事休んだらしい。
彼女の仕事のこととか将来真っ暗とか家族のこととか恋人のこととかをなんとなくだらりとおしゃべり。
彼女は表面的には社交的で友人も多くて、彼女の部屋がパーティ会場になったりすることも多いのだけれど、ということは私とは一見正反対な感じなのだけれど、でも、本質的には鬱っぽい所がある。最初は私なんかと一緒にいて楽しいんだろうか、もっとにぎやかなのが好きなんじゃないのかな、と思っていたけど、そうでもないっぽい。むしろ私よりずっと、神経質なほどに独りの時間とか空間とかに執着しているような所がある。今日いろいろ話を聞いていて、思った以上に彼女は助け、みたいなものを必要としているんだな、と思った。そういうのは、なんというか、求められたことのある人とか助けが必要な状態になったことのある人じゃないとなかなか伝わりにくい感覚だとは思うけれど。

おととい仕事が一段落ついたので(明日からまた修羅場)、昨日はステレオを置く台を作った。
DIYショップで木材を買って。
買い物は基本的に好きじゃなくて、食料品の買い出しとか、もう、頭痛がするくらい嫌なのだけれど、ジャンクショップとDIYショップだけは何時間いても苦痛じゃない。んー、何時間でもってことはないか、さすがに... でも一時間ぐらいだったら大丈夫。DIYショップで一番好きなのは釘やネジのセクションだ。微妙に形状の異なる釘やネジが何百種類もずらーっとならんでいるのを見ると満たされた気持ちになる(あやしい)。ドアノブのコーナーとかもたまらない。でもランプのコーナーとかはそんなにひかれなくて、きっと、単体としては役に立たないということが大事なんじゃないかと思う。まぁ、釘はそれぞれに特別な役割があって、というか、個別的な状況にフィットするように機能を追求した結果、何百種類もに細分化されたわけであって、単に選択肢の拡大の為だけに何十種類も作られたようなノブとは格が違うっていう感じもするわけだけれど、それでも、単体では何もできないという点では釘もノブも変わりがない。
それにしても釘の中にも本当に目を見張るような美しいフォルムのものはあって、何の為に使われるのかさっぱり分からなくても、とりあえず家につれて帰りたい、と思うことはよくある。長さと太さのバランスが絶妙とか。質感がすごいとか。
うん、でも、こういうことはあんまり気合いを入れて人に話すようなことではないというのは分かっているんだけど...

ノストラダムスとタイプカプセル

知り合いにいつもすごく長期的なプランを持って生活している人がいて、すごいな、と思うのだけれど、私はとにかく計画をたてるのが苦手だ。一日の計画ぐらいだったらまだしも、一ヶ月先の計画とかとてもじゃないけどたてられない。現実味がない。小学生の時、クラスでタイムカプセルを作って埋めた時に、20才の自分への手紙みたいなのを書かされたのだけれど、何を書けばいいのかさっぱり分からなかった。それは20才の自分をイメージしにくいというよりも、8年後(タイムカプセルを作ったのは12才の時だった)の世界に自分が存在していることを信じることができない、という方に多分近い。

以前、母親が「そういえばT(弟)は、2000年に地球は滅びるってずっと信じていたんだってよ。」と言っていたことがある。彼女の話によると、弟の小学校の時の担任の先生が、くり返しくり返しノストラダムスの予言について話す人で(どういうやり方だったのかは分からないけれど)、幼かった弟はいつのまにか、心のどこかでそれを真実と思い込んでしまったらしい。「どうせ全部なくなるんだと思ったら勉強もなにもする気にならなかったんだよね」と言うのを聞いて初めて、母親は弟のそれまでの行動を理解できた気がしたらしい。「でもそんなこと子供に言うなんてひどい話だと思わない?夢も希望もなくなっちゃうじゃないねぇ」と、母親は憤慨したような様子で言った。夢とか希望といった言葉を口にする人ではないと思っていたのでなんとなくおかしかった。

ノストラダムスの予言は別に信じていなかったけれど、ある時点を越えてなお生きている自分を想像できないという感覚はよく分かる。ワーカホリックな仕事人間が定年後の自分を想像できない、というのも、形は違うかもしれないけれど似たような感覚なのかもしれない。
それにしても、何ごともなく2001年になってしまった時、弟は何を思ったのだろう。世界は滅びず、自分はこれからも生きていくようだ、っていうことを認識した時の気持ち。それよりなにより、弟が大学で哲学なんかを専攻していたのは、どうせ全部なくなるんだからっていう投げやりな気持ちからだったのか、と思うと微笑ましい。

ちなみに私が、これからも生きていくということを強く意識したのは18歳の時だった。いろいろなことがあって、最終的に、どうやら私はこれからも生きていくらしい、と気付いた時の衝撃を今でも覚えている。それまで20才の自分とか30才の自分とかイメージしたこともなかったのに、その時に初めて、私は多分これからも生きていくし、そうするといつか20才になり30才になり、ということは、やがて仕事をしたり家庭を持ったりすることになるのかもしれない、ということを考えた。その時の正直な気持ちは、やばい、だった。不思議なことかもしれないけれど、本当に、それまでそんなに先のことを考えたことは一度もなかった。どうやら生きていくらしいということが分かってからも、どうやればこれからも生きていくことができるのか、その方法が分からなくて、生きていく為にこれだけは必要と思われることをいろいろ箇条書きにしたりしていた。そしてその結果芸術系の大学に行くという、極めて過った選択をしてしまったわけだけれど(笑)。そして今は哲学だなんて! 人生誤りすぎだと思う、ホント。

七面鳥と裁判

Thanks givingはステ実家で。今回ステ弟が4年ぶりに子供を連れてステ母の農場に遊びに来た。ステ弟一家は4年前までステ母と同居していたのだけれど、お嫁さんがある日突然子供とコンピュータを持ってNYCの実家に戻ってしまい、ステ弟も彼女たちを追う形でNYCへと移った。結局お嫁さんとの関係は回復しそうにないということが明らかになったのだけれど、大の子煩悩なステ弟は少しでも子供達の近くにいたい、とそのままNYCに残った。それから4年、それはもう信じられないくらい苦労して(私だったら絶対に挫ける)、ステ弟は一ヶ月の内2回、子供達を家に泊める権利を獲得した。その一回目がこのthanks giving。

子供達は懐かしそうに家の中を歩き回っていて、ステ弟はそんな子供達を見ながらニコニコ、ホットチョコレートを作っていた。ステ母もステ姉もみんな幸せそうだった。当たり前のようにしてそこに存在していた人たちを失うのは辛い。それを当たり前であると思う気持ちが強ければ強いほど、それを失った時のダメージは大きい。ステ弟、ステ母、そしてステ弟のお嫁さんと子供達、程度の差や意識の違いはあるとしても、みんな失うことの痛みを感じながらここまできたのだろうし、これからも感じながら、あるいは何かの拍子にその痛みを思い出したりしながら生きていくのかもしれない。それってやっぱり途方もないことだと思うけれど、でも、痛みがあることは悪いことではないと思いたい。

ところで、ステ家はステチー以外は敬けんなカソリックで、ステ弟も教会関係のボランティアをいろいろしている。その流れでステ弟は最近、教会で行われるカウンセリングの手伝いをはじめたらしい。以前NYCに遊びに行った時、カウンセリングの為のサンプルあつめの一環として心理テストみたいなものを受けさせられたのだけれど、その結果を休暇中に見せてくれた。社交性、自己コントロール、愛情の三つの分野に渡って、個人の傾向とその対策について分析されているのだけれど、思ったより細かくいろいろ書かれていた。
それによると私はトリプル・メランコリー(三重鬱)なのだとか。
ある意味予想通りだけど、それにしてもトリプルって…
メランコリー気質と言っても、要は内向的というぐらいで別に鬱病というわけではないんだけれど、それにしたってトリプルって…
ステ弟からは「徹底してメランコリーだから分かりやすいよね、フミヲの場合…」とか言われるし…

ちなみにそれぞれの分野において能動性と受動性を比較するグラフ(例えば社交性であれば、それを人に対して示すことに喜びを見い出すタイプなのか、相手から社交的に振る舞われることを受動的に望んでいるタイプなのかといったことが分かるらしい)とかも付いているんだけれど、ハードコア・メランコリーな私のグラフには能動性も受動性もなーんにも示されていなかった。何もしないし求めもしないってことらしい。すべてに対して懐疑的とか書かれているし… それって人間的にどうよ、って気がすごくするんだけれど…
逆にステチーの結果を見ると、社交性の欄と愛情の欄両方で、グラフがグイーンとマックスまで伸びていた。つまり彼は自分から進んで人と関係を持ったり親愛の情を示すと同時に相手にもそういう気持ちを見せて欲しいと思うタイプということになる。あぁ、ゴメンねステチー、それは私にはできないよ。

このテスト、基本的にカソリックの教会で使われているものなので、アドバイスの欄はすべて「神様は…」「神様を…」みたいな言葉でうめ尽くされているわけなのだけれど(例えば「拒否されることを怖れる傾向がある」という分析の後には「神様は決してあなたを拒否しないということを理解することで救われるでしょう」といった感じ)、そういう部分も含め結構おもしろかった。こういうテストから宗教に入る人も多いんだろうなー、とか思ったり。というか、まぁ、宗教勧誘用に作られたものなんだよ、と言ってしまえばそれまでなわけだけれど。んー、でもそう思ってしまうのも内向的で懐疑的なメランコリー気質ゆえなのだろうか。 

PowerBookとライブ

ステ君がPowerBook G4 15inch買ったー。
彼はOS9原理主義者なんだけど(OS10はまだいろいろと問題が多くて、パンサーになってもまだOS9と同じだけの処理能力がない。ステ君がやっているような特殊な使い方をする場合に限ってだけれど)、OS9が使えるタイプのG4はもうほとんど在庫がないみたい。最初は「値段調べるだけだから...」とかいろいろ言っていくせに、結局旧型G4を扱っているマックのディスカウント店は一ケ所しかないことに気付いて、これはヤバいと即購入。
ついでにスピーカーとかいろいろ買おうよー、おまけしてくれるかもよーとうまく言いくるめたのだけれど、おまけ率が低かったのでかなわず。ちっ。

そして昨日は近くのカフェでステ君のバイクロフォン・ライブ。同じ大学の人とかが結構見にきてくれた。ちなみにバイクロフォンというのは自転車のフレームにベースの弦を張ったステ君手製の楽器。いろんな音が出る。基本的にはハープっぽい。演奏しつつ、その音をコンピュータに取り込んで、max/mspというラップトップ・プレイヤーの間ではメジャーなプログラミングソフトを使って作ったエフェクターやループ機能を持ったパッチを使いながらリアルタイムで編集するという手法を取っている。はっきりいって技術的にはすごい。実際に演奏しながらmax/mspを使うタイプの演奏家は、私の知る限りではステ君しかいない。ワンタッチでmax/mspのあやつれるように100個近い数のファンクション・ボタンを用意しないといけないし、ケーブルの数もものすごくて、ホント、アニメに出てくるwired世界っぽい。
ちなみに、昨日のライブにはステ君がmax/mspのMLで知り合った人もきてくれたんだけれど、アップステイトNYでこんなライブが見られるなんて!と感激していた。よかった。彼はラップトップ・プレイヤーらしい(楽器は演奏せず、あらかじめ音のソースを入れたCDなんかを使って、それをmax/mspで編集しながら流すタイプ。最もメジャーなmax/mspの使い方。)。ithaca(コーネル大学のある街。音楽関係に力を入れているカレッジがあることからmaxプレイヤー率も高いらしい)とかsyracuse(シラキュース大学にmax関係の学科があるらしい)だったらきっともっと興味深く受け取ってもらえるはず、といっていた。確かに、昨日のライブに来てくれたうち、大部分の人はステ君がなにをやっているのかさっぱり分からないようだった。「何で演奏していない時でも音がするの?」とか。「ループって何?」とか。確かにコンピュータ・ジェネレイテッドな音構築に興味がない人にとっては、見たことも聞いたこともない世界だと思う。ぽかんと口を開けて音楽を聴く人とか久しぶりに見た気がする。

idealism and pessimism

今日の授業は割とうまくいった。
授業の後、いつも質問してくる学生の一人とノージック、ロールズ、ネーゲル、シュミッドの正義論について30分ぐらい話をした。「つーか、ノージックの言うことってとことん間違ってない?」とか。彼は資本主義礼参、自由主義万歳みたいなシンプルな思考にどうしてもついていけなくて、どうしてこういうことを言う人がアメリカ合衆国のアカデミアのトップにいるのかが分からないと言っていた。その気持ちはとてもよく分かる。それにしてもメインストリームのアメリカ人知識人というのはなんでこう、理想主義的なのだろう。理想的なシステムを構築すれば万事OKみたいな。その理想に向かってプログラムされたシステムの内に、自らを破壊する要素というものが否応なく含まれているものなのだ、という風に考え出したらもはやメインストリームではやっていけないような風潮すらある。というかまずやっていけない。でも私みたいに初めからメインストリームに乗る条件を満たしていないような人間は別としても、メインストリームに乗っていけなくなってはじめて見えてくるものは沢山あると思う。失敗したり限界を知ることは大切だ。その度に自分を立て直すのは大変かもしれないけれど、一旦崩れて、そこで初めて考えることとか、言葉にすることとか、書くことの意味といった基本的な問題を真剣に考えるようになる気がする。そして崩壊の経験は、論理にある種の深みみたいなものを与える。そんな気がする。

雪と樅の樹

雪。
急に寒くなったため風邪でバテた学生が何人か。
ディスカッションクラスの後はいつも力尽きて、学生がいなくなった後10分間ぐらい放心状態になっている。ぼんやりしながら、自分が黒板に書いたものをたどり、ここはああすればよかったなぁ、こうすればもっと分かりやすかったかもなぁ、これはあまりにも簡略化しすぎだよなぁ...と反省したり。その後は誰もいなくなった教室で一人、黒板に書いたものの書き直しとかしている。みんな先生になりたての頃とかってこういうことしたんだろうか...いや、私だけか...だいたい端から見たらブキミだし...

昨日のランチは楽しかった。留学生係の人からいろいろおもしろい話も聞くことが出来たし。留学生係の人にしてもIIEの人にしても、心から自分の仕事を楽しんでいる人と話をするのは楽しい。そして二人とも仕事に対する誠実さを持った人たちだった。自分がやっていることにたいして誠実であることは思う以上に難しいことだと思う。

そしてステ君は最近クリスマスツリー・ファームで樹の剪定をしている。ある日、持って帰ってきた樅の葉を「いい匂いだね」と褒めたら、次の日には樅の樹2本(商品にならないようなひょろひょろのやつだけど)リビングに生えていた... ほっておいたらまだまだ持ってきそうな勢い。 

みそ汁と酢の物

先週のクイズを採点している。
昨夜は風が強くてあまり眠れなかった。
アパートの裏にあるオークツリーの葉っぱがみごとに全部散ってしまった。

昼はIIE(institute for international education?)のNY支部の人と一緒にランチの予定。IIEはお金くれたりビザくれたりする所(というと語弊があるけれど)。NY担当の人はお役所関係にしては珍しくすばらしく仕事が早くて親切な人。会うのが楽しみ。

今日はステ君のお給料日なので、もしかしたらお寿司を食べに行くかもしれない。その前に近くのプラネタリウムである音関係のイベントを覗きに行く予定。週末のうち一日はk君とlちゃんを呼んでベジタリアンディナー。これまでの引きこもりだった日々が嘘のよう。といっても二人とも基本的に家が好きなんだけれど。

ちなみに昨夜は鍋をした。鶏ミンチと大量のレタス。冷蔵庫のお掃除。普段、夕食は私が作る。お皿洗いやその他掃除全般はステ君がする。ラクチン。一人だと食べなくても全然平気なのだけれど食べてくれる人がいればがんばって作ろうという気になる。最初は肉食なステ君に合わせて肉多めの献立にしようかなぁ、と考えていたのだけれど、彼の場合作ってくれるのなら何でもいいというタイプなので、必然的に私が作り慣れた献立が多くなりつつある。唯一変わった点と言えば無類のみそ汁好きのステ君のために毎日みそ汁を作るようにしたことぐらいか。それにしてもみそ汁(しかも濃いやつ)好きなアメリカ人って... 昨日は酢の物なども作ってみたりして、何気なくステ君の日本食許容力を試してみたり。

あったらいいものと必要なもの

もっとお金があったら楽だろうなーと思うことはある。
躊躇せずに好きな本を買ったりCDを買ったりできるだけのお金とか。
ちゃんとした本棚やオーディオセットを買えるだけのお金とか。
フラッと海外旅行に行けるくらいのお金とか。
金銭的に安定した生活を求める気持ちだってないわけではない。

定期的に転職したい病とかがでて、むやみやたらと求人情報をチェックしてしまったり、やっぱり資格かしら、とか思ってCADの勉強しちゃったりすることもある。
企業に勤めている人を見ると、スーツ着て、オフィスで働く姿ってなんとなくプロフェッショナルだよねー、とかってたいした根拠もなく思ってしまったりするし、社畜になって言われるままにガツガツと働くのも、それはそれでやりがいがあって良いかもという気にもなったりする。

まぁ、でも、会社に拘束されるサラリーウーマンになって、スーツとか着て、バリバリ、キャリア街道をまい進する人生に乗っかったとしても(今からじゃ無理だけど)、例えば、そういう生活を手に入れることによって、必然的に失ってしまうかもしれない様々なこととかを考えると、それは私には耐えきれないかもしれないと思ったりするのもまた確か。

考えてみれば、お金にはならないけれども大事な時間とか必要な距離感だとか心地よい空気みたいなのはいっぱいある。そして、その辺の微妙なバランスって、多分すごく気をつけて、常に気を配りながらやっていかないと保ちきれないもののような気がする。

夜一人で映画を見にいって打ちのめされて、そのまま夜の街を徘徊する感じや、
夜通し本を読んだ後にふと気付く朝日の暖かみ、
天気のよい昼間にふらりと電車にのって郊外に出かける楽しみや、
天使が舞い降りてくる(ライターズ・ハイって感じでしょうか)興奮、
どこにでも行ける身軽さ、
どうしようもなくダメな一日を、本を読みながら過ごす緩やかさ、
晴れた日の昼間に、ゆっくりお風呂につかったりするゆるさ。
そういうものの入り込む余地のある生活。

不安定だし、貧乏だし、長期の見通しなんてなにもたたないけれど、
なんというか、さすがに29年もつき合っていると、自分にとって居心地のいい状態とかも分かってくるし、身の丈に合った暮らし、みたいなものも見えてくる。
時間とかお金とか、あればいいな、とは思うけれど、別に必要以上に欲しいわけでもないし。
何か不相応な生活がしたいわけでもないわけで。
そうなるとやっぱり私はここでこうやってやっていくしかないのだろうか、なんて。
まぁ、人には向き不向きがあるということですね。うん。

消えた郵便物とか切羽詰まった感じとか

2ヶ月ぶりに自分のアパートに戻ってきてみたら、なんと郵便物が全くなかった!
あまりに溜め込み過ぎていたため、郵便局の人が、私は引っ越したものと思って全部持っていってしまったらしい。
郵便受けに「新入居者の方は裏に入居者全員の氏名を書いて云々...」っていうカードが挟まっていてびっくり。

知らない内に荷物とかまで全部処分されていたらどうしようと思ったけれど、それはなかった。
レコードも本も無事だった。ほっ。
おんぼろ冷蔵庫の冷凍室は霜とつららでいっぱいになっていた。
さぼてんにお水をあげて、換気をして、水回りを掃除して、56件の留守電を聞く。
うち3件が、TA室の鍵を戻してくれ、というものだった。ごめんなさい。

恋人から、「君の生活能力のなさにはほとほと呆れる」といわれながら、図書館に本を返しに行ったり、郵便物の手続きをしたり(ほとんど差し出し人のもとに送り返されてしまったらしい)、鍵を返しに行ったりする。だって、郵便屋さんが郵便物持っていっちゃうなんてしらなかったし!鍵返さなくちゃいけないなんて知らなかったし(常識)!

留守電に「あなたのことに関わる重要なお知らせがありますので折り返し1-800-...までご連絡下さい」というメッセージが3件入っていたのだけれど、電話嫌いの私は絶対にかけない。だいたいフリーダイヤルだし、きっとあわててかけてみたらクレジットカードの勧誘とかで、ますます電話が嫌いになるようなセールストークにつきあわされるに違いない、とかなんとか理由を付ける私のことを、恋人が哀れむような目で見ている。ちっ。
それくらいやれよってぐらいのことがどうしてもできない、っていうのがダメ人間の基本でしょーって、そんな人と一緒に生活したくないよね。私だっていやだ。

アメリカ人とはとても思えないほど几帳面で、生活の隅々まできっちり用意周到な彼には、私の非社会的な部分が理解できないらしい。どれくらい几帳面で用意周到かと言うと、いまだかつて銀行の手数料(違う銀行のATMを使ってお金をおろしたりするとチャージされる)だとか罰金だとかいったたぐいのものを、何一つ払ったことがないというくらい。公共料金の滞納とかとももちろん無縁な人。
どんな時にも制限速度内でしか運転しない男でもある。たまに制限速度表示のない通りとかに出るとすごい焦ってる。
って、それは几帳面というよりは自閉症的だな。

夜はお寿司を食べに。サーモンはやっぱりこっちの方がおいしい。
恋人が私の箸の持ち方がおかしいというので(実際おかしい)、ムキになって胡麻をつまんだり、トビコをつまんだりして競争する。五分五分。
猛烈に眠くなって、そのままベッドへ直行してしまった私の横で、恋人が窓を開けたり扇風機をセットしたり、冷凍室の掃除をしたりしていた。
いい人だ。

彼の切羽詰まっている感じとか、行き場のない憤り感だとかを、もうちょっと分かってあげられるようになれたらいいと思う。
自分の中にあるそういう気持ちとかとも、もうちょっとうまくつき合っていけるようになれたらいいと思う。

アメリカの朝

飛行機に乗る前に買った文庫を、途中に2時間ほどの睡眠時間をはさんで、7冊読み終わった頃にシカゴについた。
思ったより全然早かった。
やっぱり機内で読むのは簡単な小説やエッセーのたぐいが良い。哲学書なんて、持ち込んだって読んだためしがない。

成田では、うどんを食べて、指導教官への手紙を書いて投函。
出発前にビールを飲みたかったのに(空港や新幹線の中で飲むビールって結構好き)、結局時間が足りなかった。
しょうがないからシカゴの空港でサミュエル・アダムスを飲む。
濃ゆい。そしてお腹いっぱい。

ホームシックになったりするかなー、と思ったけど、そんなこともない。
普通にアメリカにいる自分を受け入れている感じ。
普通に英語で喋っているし。涼しいし。快適。

恋人が日焼けしていて、夏だな、と思ったり。
久しぶりに会うと、なんか緊張してしまう。
一緒にいる感じとかを思い出すのに時間がかかる。

少しづつ、
あぁ、そうそう、こんな感じだった。
そうそう、こんな話し方だった。
そうそう、こういうリアクションする人だった。って感じで思い出す。
体温が高めな感じとか。真剣に犬と遊んでいる感じとか。適度に投げやりな所とか。
背の高さとか。鼻の位置とか。指とか。腕の中にいる感じとか。
そうやって、慣れ親しんだ日常に戻っていく。

暗くて静かな田舎の夜。
今、太陽が登ってきたところ(時差ぼけ中)。

一番美しい夏

明日から病院へ戻る母親と一緒に買い物に行く。
石けんと、ちょっとした食料品、和菓子とアイスとすいかを買う。
家に戻ってお茶を飲みながら、さっき買ってきたアイスを食べる。
母と娘が共にすごす最期の一日としてはできすぎたセッティングだ。


友人から「一番美しい夏」のDVDをもらった。彼女の友人であるジョンさんが愛知の田舎で撮った作品で、海外の映画祭でいくつか賞を貰ったりしている。友人もスタッフとしてこの映画づくりに参加していた。私はこの映画が上映される前にアメリカに発ってしまったし、我が家にはDVDがないので、まだ見ることができずにいるのだけれど、めったに映画など見にいかないうちの母親は、この映画をとても気にいっているらしい。


上野千鶴子は、『ミッドナイト・コール』において、「愛してはくれないけれど理解のある親」と「無条件に愛してくれるけれども子供のやっていることに対して全く理解のない親」のどちらが良いだろうか、とつぶやく。上野千鶴子いわく、彼女の母は後者で、自分の娘が何を思って研究者になったのか、なぜフェミニスト・セオリーを研究するのか、そんなことは全く理解せず、あるいは興味すら持たず、でもそんなことは関係なく彼女のことを愛してくれた、という。でも彼女自身は、孤独な研究者生活において、身近な人間の理解というものを心のどこかで必要としていたから、母親の無条件な愛よりも理解を求める傾向があった。逆に彼女の友人の母親は前者のタイプで、自分の娘の人生設計を理解し、助言し、応援もしてくれるけれども、それは愛情ゆえにというものではなかったという。最終的に、上野千鶴子は、自分の娘であるというだけで、自分の理解を越えたような行動も人生設計も無条件に受け入れて愛してくれる母親の方が、理解はあっても愛のない親子関係よりは良いのではないか、と考える。たしかそんな内容だったと思う。

私の母親は、多分ごく最近まで前者のタイプだったように思う。あるいは、少なくとも、理解しようと努力していたし、理解が愛することへの一歩だと考えていたように思う。でも、理解しようとしても、彼女には結局の所、私の行動の真意が全く理解できなかったので、私と彼女の関係はどんどん悪化していった。
彼女は、私が彼女の見ていない所で、彼女の理解できないようなことをすることを恐れ、私を眼の届く所にとじ込めようとしたし、私はそこから逃げることばかり考えていた。

つかみどころがなくて、意味不明で、いつまでも非社会的な領域に留まっている娘を、結局の所そのまま受け入れるしかないのかしら、と、彼女が諦めたのは、多分ごく最近のことだと思う。彼女にはなぜ私が哲学なんてものをやっているのか、なぜ環境や科学的知の問題に興味を持つのか、なぜ朝ご飯が食べられないのか、なぜ朝方になるまで寝られないのか、なぜアートをやったり雑誌を作ったりするのか、なぜわけの分からない音楽を聴き、わけの分からない展覧会に出かけていくのか、なぜ着飾ることには興味がなくて、そのくせ本や映画に膨大なお金を費やすのか、結局の所わからない。多分それは、私自身にも分からない。

でも、いつのころからか、理解することを諦めた彼女は、妙にさっぱりとした顔になって、「何でこんなことするのか全然分からないわ」といいながらも、個展を見るためだけに飛行機に乗って福岡までやってきたりするようになった。インタビューや展覧会についての記事に眼をとおし、そして「やっぱりさっぱり分からないわ」といいながら帰っていった。


「でも、その映画は本当によかったのよ」と、私が貰ってきたDVDを前にして彼女は言った。
「なんというか、あなたの作るものと似ているような気がしたの。最初はよく意味が分からないのだけれど、しばらく見ているとなんだかとても懐かしい気持ちになるの。それがとても似ていると思ったの。」
それはシンプルな言葉だ。彼女が私を理解するために、年間100本以上の映画を見、同じくらいの数の展覧会を見て、それ以上の数の本を読むタイプの人間であれば、きっとこんな風には言ってくれないと思う。でも、私は彼女のシンプルな感想をとても嬉しいと思ったし、彼女の言葉に救いを感じたりもした。過程はどうであれ、30年近い年月をかけて私たちがたどり着いた関係というのがそこにはあって、多分それはとても喜ばしいことなのだろうな、と思ったのだった。

過去の憧れ

何かノ憧れるということのないままにここまできたような気がする。
小さい頃、「憧れの人は?」とか「憧れの職業は?」とか聞かれた覚えのある人は多いと思うけれど、そんな時、何と答えていいものか、さっぱり分からなかった。
憧れるってどういう風に?

その人のようになりたいと思える人はテレビの中にも本の中にも現実の世界にもいなかった。
いたのかもしれないけれど、そう思えるような誰かを見つけだすには、私はものを知らなさすぎた。
少なくともそう感じていた。
やがて周りを見ている内に、そういう問いには「親」だとか、テレビのヒーローだとかを挙げればよいのだ、ということが分かってきたわけだけれど、それでもやっぱりそういう問いかけにはどこか居心地の悪さを禁じえなかった。

憧れの職業といわれても、私は花屋にもケーキ屋にもおもちゃ屋さんにもなりたくなかったし、周りの同年代の子供たちが本気でそういったものになりたいと言っているとも思えなかった。それはそういった職業を選ぶのが現実的ではないとかいうことではなく、そういう職業を自ら選ぶには、やっぱりものを知らなさ過ぎると思っていたからだ。社会に出て働くということがどういうことなのか、全く知らない子供にたいして、いたずらにそういう問いかけをして、適当な答えで満足している年長者の姿は、私には欺まん的に見えてしょうがなかった。今になれば、そういう無邪気で短絡的な子供の言葉と、その子供らしさに喜びを覚える大人の姿を、長くは続かないかもしれないけれど、幸せな光景の一つとして受け入れることも可能だけれど。自分が、自分は本来そこには属していないと思うような光景の一部に、あらがいようなく組込まれていると分かった時には、人はつい反抗してみたくなるものなのかもしれない。

年齢を重ねて、「世の中」のことがもっと分かるようになって、正確な視点で社会の動きとかを見定めることができるようになれば、もっと明確に、憧れの人物像や職業を描けるようになるのかと思っていたけれど、むしろ年齢を重ねるごとに分からないことや、不可解なことは増えていき、そして憧れなんていう言葉は、ますますどこか遠いものになっていく。

なりたい人やなりたいものなんて何もないけれど、これができるようになりたいとか、あれをやってみたい、といった漠然とした思いはあるし、多分、そこには私が出会った人たちや経験した事柄が反映されているのだとは思う。ただ、何かをしたいと思う時、それを可能にする為に、自分が憧れるような何者かのイメージを追ったり、憧れるような職業につく必要があるかといわれれば、やっぱりそれはよく分からない。
もちろん何者にもならないままに、好きなことだけやって生きていくことが幸せだとか、それが目標だとかも思わないけれど、もし、何者かになるとしたら、それは「何者かになること」が目的だからではなく、自分がやりたいことをやるための手段として、あえて何者かになることを選択するのだと思う。もちろんそれは簡単なことではないわけだけれど。きっと。

憧れの自分になるための、明確な目標ラインなんてものはなく、ただ、後から振り返った時に、あの時の私は、あれでよかったのだろうな、と思えることができれば良いな、と思いつつ、でも、切実に願っているようなことについては、なかなか思い通りにはならないというのが世の常というもので、私の過去には、ただ忘れ去りたいものばかりが堆積されていく。
そして、忘れたいことに限って忘れられないのもまた世の常なのだな、と、野球に嵩じる日曜日のサラリーマン家族を見ながら思ったりする。

高円寺と猫

どこへ行く当てもないままに家を出た。
東西線に乗って終点、中野へ。
高円寺へ行こうと思ったものの、乗った電車が快速で、電車は一気に三鷹へ。
そのままもっと先まで行ってもよかったんだけど、なんとなく高円寺な気分だったので、普通電車に乗り換えて、もと来た道をたらたらと戻る。
高円寺でおりた後、普通の住宅街を抜けて商店街へ。

人気の少ない通りに面した食堂は、開いてはいるものの客を迎え入れようという風でもなく、そんな食堂と食堂の間の狭い隙間から猫が時々ゆっくりと出てきたりする。そのタイミングの絶妙さに思わず足がとまる。
例えば、こんな風に、何気ない風景や日常の内にある他愛もない光景に、ふと心動かされてみたりするという感覚は、私たちの世代に特有なものではないのだろうか、と思うことが時々ある。
何気ない毎日を大切に生きるという感覚は、多分多くの人が多かれ少なかれ持っているのであろうけれど、そういう日常の何気なさを見る視点は実は世代によって様々なのだという気がする(もちろん個人個人によっても違うのだろうけれど)。
マッチョな人はどの時代にも存在する。今日より明日はもっとよくなるはずだ、自分は毎日成長するだろう、収入は伸び、社会的地位も向上し、家を建てて、よりよい車を持って、ますます便利な世の中で自分らしい生き方をエンジョイするのだ、と思えるような人。
でも、まぁ、そういうのはもういいかな、というのが、いわゆるポスト・バブル世代なのかもしれない。あるいは90年代的メンタリティなのかもしれない。マッチョな生き方に幻滅したというよりも、もっと軽いノリで、別な路線を探っていく。そんな感じだろうか。
今日も明日も、多分10年後も、たいして変わり映えのしない毎日が続くだろう。人は、永遠に歳をとらないサザエさんやちびまるこちゃん的な倦怠感を抱えたまま生きていくのだろう。差しせまった死の危機感もないかわりに、未来に対する希望や憧れとも無縁な感じ。その中で、でも、まぁ、せっかくだし好きなことをやって生きていければいいかな、と思いなおしてみたりもする。そこで日常のささやかさの肯定といったものが、思想としての力を持つことになる。
猫をみながら、そんなことを考えてみたりする。

持っていった文庫は行きの電車で読み終わってしまったので、高円寺についてすぐ古本を2冊買う。
商店街をダラダラと歩いた後、大通り沿いのドトールでベーグル・サーモン(?)とコーヒーを注文し、さっき買ってきた本を読む。
よしもとばななの『王国』。
1時間ほどで『王国』を読み終え、さっき来た商店街をダラダラと戻る。途中、水色のサンダルを買う。
帰りの電車でもう一冊の小説を半分ぐらい読み終え、途中のコンビニで、先日現像に出した写真を受け取って家にもどる。
そして明日について思いを馳せてみたりもする。

ミルクティと円の起点

別に日本が一番住みやすいとかは思わないけれど、でも朝起きてミルクティなど飲みながら朝刊を広げ、ベランダに干された布団が風に揺れるのを見ていると、何ともいえず懐かしい気持ちになる。身体にしみこんだ懐かしさだ。

ちなみにミルクティ、朝刊、布団、ベランダ、等々といったキーワードの内、私にとって一番懐かしさをそそられるのは朝刊だと思う。朝起きて、すでにポストに投げ込まれている新聞を取り出す。それをダイニング・テーブルの所定の位置に置き、紅茶を入れ、テーブルをセット。準備万端な状態で新聞をがばっと広げ、目当ての記事を見つけると、読みやすいように新聞をくしゃくしゃっと2重、3重に折りたたんでいく。その一連の作業がとても日本の朝っぽいと思う。そしてこうした朝の風景は、新聞配達の人がそれぞれの家のドアの所まで新聞を届けてくれる、日本の、ある意味特殊な文化的背景によって支えられている。

夕方、外から戻った時にポストの中にガスッと突っ込まれている夕刊を発見するのも嬉しいものだ。ドアを開け、扉の内側から夕刊を引き出すと、あぁ、家に戻ってきたという気がする。夕飯の後、お茶を飲みながら夕刊を広げて読み進めていると、その日一日がホワッと閉じていくように感じることがある。

思えば、一日一日を、その都度円を描くように、ふんわりと閉じつ開きつしながら生活するというのは以外に難しい。朝、起きた時点が円の起点で、そこから始まる一本の線が、一周して夜寝る時には元あった場所へ戻る。そうやって一日をふわっとクローズする。難しいのはこのクローズするタイミングだ。夜型な性質も関係しているのかもしれないけれど、私の場合、一年の内、300日ぐらいはこの円が閉じられることなく、開きっぱなしのまま生活しているような気がする。一旦スタートした線が、閉じるタイミングを逃したまま次の線となり、それがまた閉じられることなく次の線へとつながっていく。きっと私の生活を円で描こうとしたら起点と終点のあわないぐちゃぐちゃな円が画用紙いっぱいに広がっているのだと思う。もっとこう、ぶれが少なく、凛と締まった円を描けるような生活ができたらいいのに...と思うこともあるのだけれど、そういう暮らしはもうちょっと歳をとってからの楽しみとして取っておくこととして、今日は泡盛を飲みに行ってきます。

空港の思い出

空港に来るたびに思い出す人がいる。

丁度2年前、進学先の大学の下見に来る途中、デトロイトで飛行機を待っている時に言葉を交わした人のことだ。
その時、私は進学先のプログラムのダイレクターに電話をしようとしていたのだけれど、あいにく空港内の売店は両替え禁止だとかで、小銭の持ち合わせがなかった私はちょっと途方に暮れていた。そんな私を見て、横でレジを待っていた彼がPhone Cardを貸してくれたのだった。「お礼にコーヒーでも」と言ったら「いや、僕はビールの方が良いから。」というので、二人でだらりとバーに並んで1パイント$6とかいう法外な値段のビールを飲んだ。お礼に、と誘ったのは私だったのにお金を出したのは彼だった。
どこか飄々とした感のある人で、おもしろくなさそうにビールを飲みながら、自分のことをポツリポツリと話した。

クリスという名前のその男性は、田舎町に住んでいて、大学のDistance Learning Program(コンピューターを使った遠隔教育プログラム)でComputer Scienceの学位を取ろうとしている所だと言った。お嫁さんは数年前に飛行機事故で亡くなったのだと言う。
いや、本当に、信じられないものだよ。長い間何もできなかった。本当に、たいがいのことはどうでもいいと思うようになったよ。
少なくともお金なんかあったってどうしようもないっていうのはすごく強く思うようになったね。

人は簡単には死なない。
身体には自然の治癒能力というものがあって、細胞に埋め込まれた生命力は時に思いがけない奇跡をもたらす。
それはある意味正しい。
でも同時に、人の生は時に、本当にどうしようもないくらい簡単に失われてしまう。
それはあまりに簡単で、あるいはあまりに抗いようがなく、これはもう初めから、綿密に仕組まれていたに違いない、と思うくらいにあっけなく、些細なことで死んでいく。

いろいろな細部がほんのちょっとずつズレていれば、こんなことにはならなかったのに。
あの日あの時あの場所にいなければ...
あの時、あの電話がなければ、この時期に休暇が取れなければ、あの飛行機を予約していなければ、あの便が満席でなければ、あの朝飛行機に乗り遅れれば、あそこで引き止めておけば、整備技師の体調が万全だったならば...
なにがいけなかったんだろう、どこで間違ったんだろう。
もう決してあの日、あの時に戻ってやり直すことはできないと分かっていても、いや分かっているからこそ、苦しみは続く。
自分だけが彼/女を救えたかもしれない場所にいたとすればなおさら。

彼の話しを、私はぼんやりと聞いていた。
それにしても彼はなぜ、私に対して死んだ彼の妻の話をするのだろう。
数週間前に、友人を失ったばかりの私に。
最後に会った時、友人は言った。
「君に、何か悪いことをしなかったかな...」
「? なんでそんなこと言うの?」
「あなたは、日本で唯一本当のことを話せる人だから。傷つけていたらいやだと思って。」
「変なこと言うね。なんか、遠くに行っちゃうみたい。」
遠くに行っちゃうみたい、と思ったのなら、なぜもっと... 
そんなことは、これまでに何度も何度も思った。思ってもしょうがないのだと思いながらもなお思った。
今も思うし、きっとこれからも一生思いながら生きていくのだと思う。

生きていて、本当にどうにもならないこと、努力してもお金を使っても他にいかなる犠牲を払ったとしてもどうしようもないことというのはそうたくさんはない。どうしようもないことは分かっているのに、それでも諦めきれないと思うことはさらにわずかだ。夢とか目標とか、そういうものにはいくらでも変更が利く。いや、利かないと思う人も多いのだろうけれど、利くんだよ。これがダメでもあれは大丈夫かもしれない。ここならダメでもあそこなら大丈夫かもしれない。今はダメでも明日は大丈夫かもしれない。そう思うことができる。人の死は、何によっても代替不可能だ。だってこの人とあの人は別の人間なんだもの。人間の唯一無二性。そんな単純な真実を受け入れることすら、現実の死を前にしてはひどく困難に思えてしまう。

やがてビールを飲みおえた私たちは、それぞれの飛行機で、それぞれの目的地へと向かった。
別れ際、執拗に「無事に着いたらメールで連絡して。ほら、アメリカは危ないからね。何かあったんじゃないかと思って心配になるから」と繰り返す彼の言葉に従う形で、私は到着したその場所からメールを送った。多分彼が確かめたかったのは、私の安否ではないのだろうな、と思いつつ。いや、もちろん、私のことを心配する気持ちはあったのだろうけれど、彼が必要としていたのは、飛行機に乗っても死なない人もいるという、多くの人たちが特になんの疑いもなく当たり前のこととして考えているような、そんな事実を確かめることだったんじゃないかと思う。

大切な誰かを失った時、人は死がもつ圧倒的な力に引きずられがちだ。すべていつか失われる。みんないつか死んでしまう。やさしくしてくれるあの人も、いつもいく花屋のおばちゃんも、毎朝すれ違う老夫婦も、みんな自分の前から姿を消す。そんな圧倒的な終末感にとらわれがちだ。そんな時、うん、でも、私はまだ生きているから、と言ってくれる人がいることは救いだ。そんな簡単なことすら、言葉にしてもらわないと見失ってしまうほどに、死は人の精神を打ち砕く。そこから徐々に、自分が生きていること、これからも時間は過ぎていくこと、いろんなことが少しづつ動いていくこと、そういうことを再認識していく作業が始まる。そうやって手にした世界は、壊れる前のそれと全く同じものではありえないけれど、でもいびつさの分だけ余計にリアルだ。

私が出したメールに対し、クリスは短い返信をしてきた。私は筆無精なせいもあって、それっきり彼にメールを書くことはなかった。

もしかしたら彼は今頃コンピューター関係の職についているのかもしれない。もしかしたらあの時話していた、彼に「ちょっかいをだしてくる女の子」と一緒に生活しているかもしれない。たとえもう二度と会うことはないとしても、一緒にビールを飲んだ相手が、どこかで日々生きているということに希望を見いだせるということは幸せなことだ。それはとても幸せなことだ。

愛国/嫌国

友人Aは、アメリカ合衆国に来て約9ヶ月ぐらいなのだけど、ことあるごとに彼の出身国であるコロンビアを褒めたたえる。その直後、ちょっとはにかんだような笑みを見せ、「全く、こんなのって国粋主義者のようだよね。自分がこうなるなんて正直思ってもみなかったよ。」と付け加える。彼曰く、在米コロンビア人には二つの傾向があって、一つは自分達の国を懐かしみ、必要以上に褒めたたえる愛国派、もう一つはコロンビアの現状に対してとことん批判的で、あんな国には二度と戻りたくないという嫌国派。

これって在米日本人にもよく見られる二つの傾向だと思う。日本にいる時は(海外に憧れるあまり)さして魅力的とも思わなかったような日本での生活の良さを国外に出て認識し、愛国家になるタイプ。あるいはもともと日本が嫌で、海外で暮らしはじめて以降、ますます強く日本での生活の負の部分を認識し、日本はなんて文化的にも政治的にも未成熟なんだろう、という風に考えるタイプ。

私の周りには、どちらかといえば前者のタイプが多いと思う。もともと海外(というよりはアメリカ)に興味があって出てきたのはいいけれど、来てみればその国の悪い所も見えてくるし、うまくいかないことも多いだろう。どちらかというと愛国的なアメリカ人学生や他国からの留学生によって、自分の日本という国についての知識のなさを思い知らされたり、漠然と持っていた日本に対するネガティブなイメージを覆されたりすることもあるかもしれない。結果、「日本の良さについて客観的に考えられるようになった」、「自分の国についての誇りを持てないなんて寂しい考え方だ」といったことを言い出す人は多い。そういうことを口にすることを一種の誇りというか義務と思っているような人もいたりするのにはちょっと困るけれども。あと愛国心というのは時に物象崇拝的な傾向を見せるもので、日本的な「もの」に対して過度な執着を見せるような人はこれまたちょっと困ってしまう。「桜ってきれだよね」と言うのと「桜は日本の美の表象である」と言うのとでは、桜の持つ意味が大きく変わってしまう。

私はといえば、どちらでもない中間ぐらいなわけで、日本っていいよねとか将来は日本に帰って社会のために貢献したいとかいう精神を持ち合わせていないかわりに、アメリカ(あるいは西洋世界)万歳、海外生活かっこいいなんてこともこれっぽっちも思っていなかったりする。昔から漠然といろんな国を旅したい、という願望は持っていたけれど、他方、今自分がいる場所でないどこかに、よりすばらしい、より生きやすい場所があるなんていうのは単なる幻想に過ぎない、とも思っていた。無知な幻想は時に自分にたいしても他者(その国に住む人)に対しても暴力的だ。

実際の所、この中間に属する人が一番多いのだろうけれど、でも一見そう見える人でもふとした瞬間に愛国的あるいは嫌国的な部分をあらわにしたりすることがある。あるいは時と場所に応じて愛国的な自分を演じなくてはいけないこともあるだろう。日本人としての自分の態度に意識的でありつつ、他方、日本やアメリカといった政治的な線引きに過度に惑わされることなく、ある意味無頓着にふるまうということは簡単なことではないのかもしれない。 

生きる意味とか希望とか

別に自分の娘や息子に対して結婚をけしかける母親が間違っているとか、結婚したら子供を持つのが普通だとかいう見方がおかしいとか、「女なんだから」とか「男なんだから」っていう言い方が差別的だとか言うつもりはない。ただ、ある一定の仕方でしか生き方の価値を示し得ないような社会というのは(そして社会というのは往々にしてそういうものだと思うのだけれど)、そこに当てはまらない人にとって非常に暴力的な装置として機能する、ということだけはいつも思う。

「あるべき学生像」だとか「あるべき父親像」「あるべき女性像」みたいなものにそって進んむことは別に悪いことじゃない。仕事をバリバリして出世して自己実現を目指すのも、結婚して子育てに喜びを見いだすのも、それが自ら望んで手に入れたものであればよいと思うし、そのことによって自らが幸せを獲得できるのであれば問題ない、というかむしろ好ましいことだ(その人にとっては)とすら思う。

ただ、自分がそれまで当たり前のように生きていた日常だとか、それが幸せだと思っていた数々の事柄が、突然引っくり返されたり、自分がこれからもそこで生きていくんだと思っていた場所が突然失われたりすること、あるいは少なくとももうここではやっていけない、と思わされる瞬間というのがあるのもまた確かだと思う。それはすべての人に起こるわけではないと思うけれど、日常の崩壊といやおうなく直面させられる人たちというのは確かに存在する。そういう経験をしてしまった人にとって、ある一定の仕方でもってしか生きる意味とか希望とか未来を提示できない社会というのは、巨大な暴力装置として浮かび上がってくる。

こういう経験について考える時、私が頭の中で思い描いているのは、割と特殊な、いわゆる社会的マイノリティと呼ばれる人たちの存在だったりするのだけれど、実際の所、似たような崩壊の経験っていうのは、日常生活のいろんな部分に潜んでいるんじゃないかと思う。
例えば20歳半ばすぎで結婚して、30代で子供を産んで、それが幸せなんだっていわれてしまえば、それこそ不倫している人とか、ゲイの人とか、子供が産めない人っていうのは、決して幸せにはなれないんだってことになってしまう。でもそんなことはないはずだよね。そこで言われる幸せの形式っていうのは単にヘテロ的な家族観の押しつけであって、実際にはそこに当てはまらないような幸せの形式っていっぱいあると思う。ただ社会っていうのは時に、そういう多様な幸せのあり方っていうのを認めずに(認められずに)、社会的に確立された画一的な幸せの構造から外れてしまった人には、生きる意味も希望もないかのようにふるまう。

そういう現実を前にして、社会的な認証なんてなくていい、それは自分の求めるものではない、と言い切るのは結構難しいことだったりもする。社会的に価値あるものとされるような生の形式から外れて生きるということは、自分の外部(社会)に何ら基盤を持ち得ない自らの生の価値というものを、その都度生み出し、問いかけ、再構築していく無限の営みを要求される。こうなれば幸せ、こうすれば認められる、そういう価値判断の基準が全くない状態で、自らの生の価値を見いだそうとすることは、思う以上に大変なことだと思う。

「やっと結婚します。」
大学時代の友人からメールがきた。
以前、彼女が、いわゆる社会的に「こうあるべき」とされるような生き方と、そこからズレていく自分の生き方との間で葛藤していた時、上のようなことをメールに綴ったことがある。その時の私の結論は、「ダメな自分を肯定しよう」ということだった。自分のことをダメだと思う時、自分が何に対してダメなのか、どういう状態なら自分はダメじゃないのかを考えてみる。自分がこうありたいと思う自分像というのがいったいどのようにして形成されているのかを考えてみる。もしそれが社会的な認証とか賞賛によってのみ完結されるようなものであるとしたら、そしてそれを得るために、自分は自分の最も大切に思うような自己の部分を犠牲にしなくてはいけないとしたら、時には社会的な賞賛に別れを告げてダメな自分を肯定することも必要なのではないか、そんなことを書いたと思う。もちろんそれがどんなに苦しいことかも含めて。

それから2年。
「やっと」という言葉が何を意味しているのかは分からない。でも、単に年齢的なことだけではないような気がする。彼女がこれまで経験した数々の葛藤が、最終的に結婚という選択に行き着いたのであれば、それはとても喜ばしいことだと思う。
きっと繊細な彼女のことだから、これからもことあるごとに社会的な幸せや生のあり方と自分の求めるそれらとの間で揺れ続けていくのだろうけど、そんな彼女だからこそ、本当に、幸せになって欲しいと思うのです。

ゴミの世界

友人Aが「今日はゴミの日だー」と嬉しそうにしていた。ゴミ捨てるのが好きなのか、それとも部屋に悪臭が漂うくらいにまでゴミを溜め込んでいたのか... 不思議に思って聞いてみると、ゴミ出しの日というわけではなくてゴミ・ハンティングに行く日なのだそう。

そういえば、今日は市の南側とダウンタウン方面のゴミの日だ。なぜ知っているかというと私もゴミ・ハンティングが趣味だから。こちらではゴミの分別も大雑把だし、粗大ゴミの有料回収制度も整っていないので、ゴミの日には粗大ゴミも可燃・不燃ゴミも全部まとめて道ばたに放りだされている。アンプやスピーカー、旧型コンピュータ、ソファー、ベッド、タンス等々。そしてその中から掘り出し物を探し出すべく、毎週決まった日になると、ゴミ・ハンター達がどこからともなく現れるというわけ。

私も恋人が遊びにくる日とゴミの日とが重なる場合は、ほぼ確実にゴミ・ハンティング・ドライブ にでかける(そんなデートやってるカップルいるのか?)。
何回かそういうことをやっていると、不思議なもので、なんとなく当たりスポットが分かってくるようになる。あるいは勘が働くようになる、といった方がよいかもしれない。
「今日あたりあのストリートが...くるんじゃない?」
みたいな勘がね。磨かれてくるのです。
といっても捨ててあるゴミのうち、大部分はドメスティック可燃ゴミで、
それ以外の、例えば、
使用可能家電製品、パーツは使える家電製品、よくわからないけど惹かれるゴミ(ピアノの鍵盤部分とか)に出会えることはめったにない。

一番の「当たり」は、引っ越し直後のアパートのゴミ捨て場に、早い段階で偶然出くわした時。
ここで重要なのは、あくまでも早い段階、あるいは「一番に」その当たりスポットに辿り着くということ。
というのも、何度かゴミ拾集デートをしていると分かってくるのですが...
「....誰かにつけられている...」
いや、まぁ...他にもゴミ・デートしているヤツらがいるということです(本当か?)。
何ケ所かゴミスポットを廻っているうちに、同じ車と何度もすれ違ったりすることがあるのです。
そういう時は、ほぼ間違いなく、
ヤツらも漁ってます。
ちょっとの差でライバルに、先にゴミスポットに辿り着かれ、あらかたもっていかれたり...
自分達が向かおうとする先からライバル車が走ってきたりすると...
かなり悔しい...
と、いうわけで... ゴミ拾集の鉄則。
1. 早く行け。

もうイッコ重要なのは...
2. 気になったら貰っとけ。
一周してきてまだあったら持って帰ろうかぁ...
なんて悠長なことではいけません。
無くなります。
いや、本当に。
持っていく人は、本当に全部持っていくからね。
まさかあんなものまで...
ってぐらいとことん。
だから、
気になったら貰っとけ。です。
捨てるのはいつでもできる。

似たようなことは日本でもあって。
今でこそ、粗大ゴミは個人でお金払って引き取りにきてもらうって感じになっているけど、ちょっと前までは月に一度ぐらい、粗大ゴミの日っていうのがありましたよね。
そういう時にね、粗大ゴミスポットでも上玉なのがあるわけです。
で、そういう所をいくつか廻っていると...
なぜか同じ人たちとばっかり遭遇するわけです。で、自然とお話しするようになったりとかね。
だいたい自転車にのったおっちゃん風な人たちが多かったですけど。

ある時、その手の人たちには有名な粗大ゴミスポットで、半壊オルガンを発見して遊んでいると、どこからともなくいつものメンバー集結。ゴミをあさりつつ、みんなで和気あいあいと情報交換が始まります。
「あそこにはもういったか?」
「あそこには○○があったぞ」
「これはきっと△△からだな。最近あそこは備品の総入れ替えをしたらしいから」
「□□あたりは最近狙い目らしいぞ」などなど...

そうしている内に、お話していたおじちゃん軍団の一人が、おもむろに懐から名刺を取り出し、
「困ったことがあったらいつでも相談してきなさい。」

そこには、思いっきり手書きで...
「不動産、修理修繕、結婚斡旋、人生相談...」
って、10個ぐらいの職種と肩書きが書き込まれていました...
要は何でも屋さん...なのかな...
ていうか「結婚斡旋」って何?「人生相談」って何?
怪しすぎる...

ゴミの世界は深いのでした...

一緒にいること共有すること

眼球モミモミ。

友達とご飯。
「ムーアの昔の映画の上映会に行くから保存食を持ってきて。」と、昨日の夜言われて、何のことかと思ったら、ホームレス救済ナントカという企画の一環らしく、タダで映画見られるかわりにカンパとして缶スープとかシーチキンなんかを持ってこいということらしい。やっぱりアメリカだしってことでキャンベルのトマトスープを。キャンベル、最近すごくまずくなった気がするのは気のせい?
しかもキャンベル片手に待ち合わせ先の図書館に行くと、「ゴメン。映画来週だった。」って。しょうがないからそのままキャンベル片手に戻ってきた所。何をしているのやら。

以前彼にご飯を作ってもらったことがあったので、そのお礼に今日は私が料理。残りものパエリア(エビ、チキン、タマネギ、アスパラ)とサラダ。切り口の部分にカビがはえぎみのアボカド。友人にカビの部分が見えないように気を使いながらカット(もちろんカビの部分は捨てました)。

食後うだうだとおしゃべり。手がちっこいよね、と言ったら「デブだから...」って自虐モードに入ってびっくりした。いやそれにしても彼はとても良い人だ。いや、良い人ではないのかもしれないな。でも、ものの見方が似ているので話していてとても楽しい。彼は私の数倍政治的でロマンチストだけれど。

時々思う。一緒にいて楽な人と話が合う人、あるいは趣味が同じ人と趣味は全く違うけど楽な人、どちらと一緒に生活するのが幸せなのだろう。
今一緒にいる恋人とは、共通の趣味を通して知り合った。というのは、まぁ、音楽なわけだけれど。彼のCDを偶然耳にする機会があって、それが割とおもしろかったので私から話しかけたのがきっかけ。彼は根っからのクリエイターというかテクニシャンタイプで、作るのは好きだけど他人の作るものにはあまり興味がなかったりする。逆に私は量を聴く批評家タイプ。割と長く続いているのは、趣味は同じでもタイプ(音の聴き方、音楽との関わり方)が違うからだと思う。今までは同じ批評家タイプの男性か、あるいは逆に音楽なんて興味がない(おしゃれの一環として音を選ぶとかも含)という男性としか一緒にいたことがなかったので、今の恋人との関係はとても貴重だし居心地もよい。

だけど政治的な立場というか、世界観みたいな点でいえば、私と彼は随分と異なっている。ちなみに政治的っていうのは右か左かっていう話ではなくて、なんというか、世界情勢の見方というか、世の中に対する考え方というか、そういう感じ。私の場合、こういうことを考えること自体が仕事だったりもするので、ある意味非常に特殊なものの考え方というか発言の仕方をしているのだろうな、ということは理解しているつもりだし、恋人にそれを分かってほしいとか、同じ仕方で会話してほしいと思っているわけではないのだけれど、すれ違いや話が通じないことが続くとやっぱりちょっと暗い気持ちになる。自動車にまるで興味のない女の子が、整備工の恋人から仕事の話をされるっていうのと似たような感じかしら、なんて思ったり。別に私が今書いている論文だとか熱中していることだとか、そういうものに対して逐一興味をもって対応して欲しいとは思っていない。もちろんそういう細かな部分が、全体としての私自身、あるいは私のものの考え方に影響を与えていることは確かだと思うけれど、個を構成する細部を理解したからといって全体が見えるかといえばそうでもない。

とはいっても人間というのは欲張りなもので、やっぱり好きな人に自分のことを理解してもらいたいと思ったり、自分の問題意識や自分が重要と思うような諸事柄について関心を持って欲しい、というか、少なくとも同じくらいの真剣さでもって考えて欲しいと思ったりもする。そういう要求を満たして欲しいのなら、同じ(仕事の)世界で生きている人をパートナーに選ぶべきなのかもしれないな、とも思う。自分が整備工をしていて、いろいろな整備技術や自動車の細部について話ができる人が欲しいと思えば、同じ整備工の人とつき合うのが最も手っ取り早い...そんな感じだろうか。話が通じることだとか衝突しないことが大事だとは思わないけど、基本的なものの見方が違うのであれば、そしてお互いの立場の違いを認識あるいは埋めるためのツールをどちらかが欠いているとすれば、時間をかけて話をしても、出口のない非生産的な会話に終わってしまう気がするのもまた碓か。いや、でも、二人の関係を考える上で、そういう会話がどれほど重要かといえば、別にそんなに重要ではなかったりもするわけだけれど。まぁ、その辺は個人によるのかな...
それ以前に、仕事をプライベートに持ち込んではいけないのかなぁ、やっぱり。

で、話は友人との夕食に戻るわけなのだけれど。
いやまぁ、早い話どうも口説きモードだよねってことです。いろんな意味で今の恋人とは違うタイプの人なので、こういう人とつき合ったらどうなるのかしら...なんて想像してしまったり。別に今の恋人と別れるつもりはないから抱きしめられようとチューされようとどうでもいいって感じなのだけれど。えーと、いや、チューはお断りしました、一応。恋人の存在も告げてあるのでやましいことはしていない、はず。どこまでがやましくてどこからがやましくないのか教えてほしい、ホント。

音と春の訪れ

久しぶりの恋人宅。彼が住んでいる農場は、NY州でも割と雪が深い所に位置するのだけれど、ここ数日の暖かさで、雪の隙間から茶色い地面が顔を出し始めた。雪解けの季節です。

北国で生活していると、季節というのは本当に移り変わっていくものなんだな、と思う。
空気も地面もピンと凍りつく暗い静かな冬の時期が過ぎて春になる。
春の訪れを告げてくれるのは、地面の合間から顔を出しはじめた緑色の芝ではなく、多少なりとも暖かみを届けてくれるようになった細い太陽の光でもない。
もちろんそういった部分も重要な要素ではあるわけだけれど、それよりなにより感動的なのは音によって生まれる空気の振動みたいなものかもしれない。
いつもと変わらぬ薄暗い朝。突然鳥のさえずりがどこからともなく聞こえてくる。それも一羽、二羽...と徐々にその数を増やしながら...

道を歩いていても何かが違う。
ふと気付くと、先日まで凍っていた小川の水が勢いよく流れはじめている。
人が家の中から出てきて、道ばたで談笑している。
車の数も普段より少し多くなる。
木の枝や芝が風を受けて揺れている。
いろんなものが動き始める。

冬の間、そこに留まっていた重たい空気が、音と一緒に流れて行く。そんな感じだろうか。
人生のほとんどを南国九州で過ごした私にとって、北国の春の美しさは、ひときわ感動的だった。
この美しさは、長い冬を抜けてきた人に対する、ちょっとした贈り物なのかもしれないな、なんて思いながらまだ冷たいクリークの水に手を浸してみた。

日差しとホタテ

初夏を思わせる太陽の光。
私は、南国暮しが長かったにも関わらず太陽アレルギーっぽいところがあって、
毎年、季節の変わり目の、日差しが強くなる時期になると目が充血して顔や手足がパンパンになってしまう。しばらくして身体が日差しに慣れてくるとそれほどでもなくなるのだけれど。

ホタテがおいしそうだったので買ってみた。
バターでソテーしてからニンニクパン粉(ニンニクとパン粉をカリカリに炒めたもの)をのせて、チャイブものせて、「わー、レストランのようだね」と言いながら食す。
そういえばこっちの魚屋さんで、殻付きのホタテって見たことがないねー、という話を恋人とする。
日本ではホタテは貝殻付きで売っていて、しかもすごい高い(はず)。
なんでアメリカのホタテは殻付きじゃないんだろうねー。
きっと殻が大きすぎて嵩張るからだよ。
でもあさりはでかくても殻付きだよ(こっちのあさりは非常に立派)。
んー、でもこの身の大きさからいって(すごい肉厚だったの)、きっとすごい大きなホタテに違いないよー。
あー、あれだね。アメリカのホタテには殻はついていないんだ。きっと試験管で身の部分だけ作るんだよ。だまされちゃダメだよ。このホタテだって偽物なんだよ。そうに決まってる。
そんな話をしながらパクパク食べた。おいしかった。

焦りとバランス

寝る前に明日の天気について考えた。
考えながらふと思った。
明日のことについて考えるなんて久しぶりだなぁ...と。
思えば目の前に山積みになっている仕事を消化するのに精いっぱいで、明日の天気のことを考えたりする余裕がなかった気がする。
異常だなぁ、こんな生活...と、ちょっとだけ思った。
考えてみると、精神的に追いつめられている時というのは、生活の細部が微妙にずれがち、というか、おろそかになりがちだ。
ほんとうにちょっとした、普段なら何も考えずともそれなりにきちんとできているようなことに手が回らなくなる。

例えば、トイレのトイレットペーパーがきれたままだったり、
洗面台に髪の毛が落ちていたり、
食器棚の扉が開けっ放しになっていたり、
ちゃんとしたい気持ちもあるけど、そんな場合じゃない、という根拠のない焦りもあったりして。
いい状態じゃないよね、うん。

私は、割と上り調子な時と下り調子な時の差が激しいと思うのだけれど。そしてそれは日頃の精神状態の管理が行き届いていないせいであることも分かっているのだけれど。でもまぁ、とことん下り調子な時は、時間が許す限り、何もせずにぼーっと、状態が良くなることを待つようにしている。
ちょっとゆっくりお風呂に入ったり、早めに寝たり、小説を読んだり、音楽をかけたり、手の込んだ料理をしたり。
そうやって「その気」になるのを待つ。あせってもあまり良いことはない、というのは分かっているつもりなので。
でももちろん、切羽詰まった状態が避けられないことも多々あるわけで。もう、今回とか本当に、焦りで手の震えが止まらなかったり、何も食べれなかったり、いや、本当に、もうこんなのはヤダーと、心の底から思ったよ。いい状態っていうのは、きっと目に見えないようなたくさんの細部によって構成されていて、であるがゆえに、一旦どこかが狂ってくると、そこから徐々に歪みが広がっていって、ちょっとやそっとじゃ修復不可能になったりもするのだろう。
バランスのとれた生活をするってなかなか難しい。

ワーカホリック

ペーパーが進まないよ。

私は意地っ張りなので、なんというか、他の人はもっとずっと厳しい状況で勉強しているんだから、私ももっとがんばらなくちゃ、とか、どんなに辛くても頼る人もなくがんばっている人だっているんだから、私も独りでがんばらなくちゃ、とか思ってしまう方なのですが。というか、それは意地っ張りなのか、単に自分にプレッシャーかけているだけなのか。とにかくそんななので、例えばこのペーパーが終わるまではありとあらゆる欲求を排除し、恋人にも会わず、お酒も飲まずにただガリガリと働け!と、自分で自分を追いつめてみたりするわけですが。いや、でも、だからといって自分独りで何でもできるわけでもないし。自分を追いつめても結局の所たいしたことできるわけでもないし。
というか、こんなこと言っているけど、別に私、努力家なわけでも自分に厳しいタイプでもないです。どちらかというとやる気とか努力とか計画性とかいう堅実ワードとはまるで無縁な人生。それ間違っているよね、うん。
うん、いや、それにしても、疲れた。肩こった。マッサージしてほしい。おいしいご飯が食べたい。笑いたい。抱っこして欲しい。

と、いうわけで、春休み最後の数日は恋人に会いに行こうと思います。で、他愛もない話をいっぱいしてこよう。

なにもしない

最近映画も見ないし音楽も聴かない。もの作りも全然していないし、凝った料理も作っていない。シンと静まりかえった空間でただ本を読んでいる。退屈な生活と思われるのかもしれないけど、多分これが今一番必要なことな気がする。例えば狂ったように毎日映画館に通いつめていた時期というのがかつてあったとして。いや、一年で200枚とかCDを買っていた時期とか、展覧会ばっかりしていた時期とか、インドでヨガ習ってた時期とか、なんでもいいんだけど。そういうのは、そこから何か得るものがあるからこそできるというか、多分そこにある何かを追求するという行為が、自分の喜びなり充足感なりと呼応するからこそ引き付けられていくのであって、だからこそ、どんなちっぽけな瞬間からも自分にとっての何かを引き出すことができるんだと思う。でも、同じ映画でも同じ音でも同じ場所でも、多分自分にとっての意味というのは常に変化していくものであって、対象が持つ何かと私の中の何かが呼応しあう時期とそうでない時期というのがあるんだろう。今の私は、映画も音もアートも旅も、多分全然求めていなくて、何となくそこには私が今必要としているものがない気がして、白っぽい部屋に閉じこもって本ばかり読んでいる。そんな時期なのだと思う。

コロンビアの痛み

とても好感を持っている友人がいる。何となくものの見方というか、問題意識の持ち方が似ているような気がする。
「どうしていいのか分からないよね。なんかさ、コロンビアでディスコとかって割と大はやりなんだけどさ、でも一方ですごい失業率高かったり政治的に不安定だったりするわけじゃない。そうするとさ、人によってはさ、踊っている若者とか見てさ、現実の問題から目をそらそうとしているとか、政治的な運動にコミットするべきだとか言う人がいるわけなんだけど、そういう人に限って実際には食べるものにも住む場所にも困っていなかったりするんだよ。でもさ、本当に、仕事もなくて食べるものにも困っていて、もう生きるのもいやになるくらい毎日が辛かったり先が見えなかったりする時に、踊って気持ちが紛れるんだったらさ、例えそれが根本的な解決にはならないって分かっていても、僕はいいじゃないかって思っちゃうんだよ。夜どうし踊ってたっていいじゃないかって。そういうのってどうなんだろう、やっぱり間違っているんだろうか?」
思い出したかのように、ぽつりと、心に残るセリフを口にする人です。

自由であること、自由になること、自由を求めること

髪きったー。

20年ぶりぐらいに背中にとどくくらいにまで伸ばしてみたんだけど(というか伸ばしっぱなしだったんだけど)、とうとうがまんできなくなって切ってみました。
夜中の3時に。自分で。
というわけでかなりガタガタ。
今日一日結んでごまかしてみたけど...
背中に届くくらいまで伸ばした状態だと、おちついたフワフワヘアに見えるのだけれど、肩ぐらいまでだと単にピンピンはねまくりな小学生ヘアって感じ。
あーでも頭が軽いー(中身も...)。


引っ越すとまず近所の古本屋めぐりをします。学部生時代割とよく通っていたのは方丈書林という古本屋さんでした。いかにも古書好きといった感じのおじちゃんが独り、奥の方に座っていて、狭い店内にはほんのりとカップラーメンと煙草の香り。ちなみに煙草の銘柄は峰。

本は文庫とまんがが全体の半分ぐらい。あとは小説、哲学書、現代思想、社会学、詩、文学書、画集などなど。なんていうんだろう、澁澤系のものとかが割と多かったり。あとはまぁ、土地柄建築とかデザイン系のものなどもちらほら。エロ本を艶本と呼ぶ所に歴史を感じてみたり。

店内に流れているのはもちろんジャズで、壁にはモンクのLPなんかが。

朝方は二日酔いで無口。夕方ぐらいになると急に元気になってお客さんとコミュニケーションしだしたり。中上健次とか、こっそり取っておいてくれて、会計の時に、「これもあるけど」なんて。ぼそっと、奥の方から。

当時つきあっていた人にタルコフスキーの日記を買ってもらったのもここ。昔のヨーロッパ映画やロシア映画をビデオに録画してもらったりも。「お得意さんは一本300円でいいよ」って。180分テープを5本パックで買うこととか、多分もうない。

そこから自転車で20分か30分走った所には雑葉(ザッパ)という古本屋さんがあって。こっちは古めの漫画や音楽関係のものがいろいろ揃っていたんだけど、本棚の一角に並んでいる現代思想関係の本の選択が方丈書林にすごい似ている。と、思って聞いてみると兄弟だった。ありそうでなかなかない偶然。兄弟そろって古本屋っていうのと、兄弟そろって哲学者っていうのはどっちがいいのかなー、親としては...とか思ったり。

方丈書林のおじちゃんは、二年前のクリスマスに亡くなりました。飲んで帰る途中に事故にあわれて。飲み屋にジャケットを忘れてきていたので、年が明けるまで身元が分からないままだったとか。しばらくは弟さんがお店を引き継いでいたのだけれど、結局は閉店ということに。

というわけで、方丈書林も雑葉も、今ではもう残っていません。いや、正確に言うと雑葉は残っているんですけど。露天として。天神(福岡の商業地区?)辺りの路上(多分コアの前、あの、すて猫とか犬とかの引き取り手を探している怪し気な団体が出没する、あの辺)で本をうっている人がいたら雑葉の店主かもしれません。応援してあげて下さい。

新学期の前日、バスは休日のダイヤで、ブックストアのみが異常な混み様

洗濯物を抱えて階段をあがってくる途中、階下の人から詩の朗読会に誘われた。朗読会の雰囲気って苦手なんだけど、私の友達も遊びにきているみたいだったので覗きに行ってみる。
"brain for breakfast, brain for lunch..."
アメリカの人文系大学院生は、こういうの、暗唱できるんだ、ふーん、とか思ったり。.


曖昧な問いかけが苦手みたい。
例えば
「どう?最近?」とか、
「何かあった?」とか、
そういう問いかけ。
どう答えていいのか本当にもう全然分からない。
何から答えればいいのか、何をどう答えていいのか分からない。
結局、一頻り混乱した後、「えーと...別に、何にも...」とか、つまらない受け答えをして会話を潰してみたり。

ちなみに、アメリカ人って、会うとすぐ"what's up?"とか"how's it going?"とか言うけど、もう、なんというか、曖昧な問いかけが苦手な私には拷問に近いものがある。
たまにいるみたいですね。
具体的に問いかけてもらえないと受け答えができない人とか、yes/no形式で問いかけてもらえないとどう答えていいか分からない人とか。多分私もその系統。

最初の内は、「私って本当に、何にもこれといって人に話すことがないような、つまらない日常を送っているのかも」とか、「自分の言葉を相手がどう受け取るか、そんなことを気にし過ぎなんじゃないんだろうか」とか思っていたわけですが、なんてことはない、単に私はある特定の問いかけに対するレスポンスというのが苦手なだけなのだ、と、最近ちょっと開き直りぎみ。

話そうと思えば話すことはいろいろあるのです。一旦話ができるような状態になれば、延々と話し続けたりもするのです。
でも、「最近どう?」とか言われても準備できていない、というか、どういう風にして自分の日常のうちにある、あんな瞬間とかこんな出来事とかを人に対して話したらいいのか分からない。どういう表現が効果的なのかわからない。そもそも話だすきっかけがつかめない。

繰り返しになるけど、それっていうのは、別に「他人がこんなこと聞いてもおもしろくないんじゃないよね」とか「what's new?」なんて曖昧な問いかけをしてきているけど、この人はきっと特定の回答をあらかじめ想定しているに違いない。だからそれに添うような受け答えをしなくちゃ」とか思っているわけではない、みたいなんですよね(自分で自分を分析するに)。
ただ、もう本当に何て言えばいいんだよー、もっと答えやすい質問をしてくれー、とか思う。イライラする。それだけ。
そう、具体的な質問だったらちゃんと答えられるのです。
どう答えていいかちゃんと自分で分かるから。
相手が質問してくる状態っていうのをふまえた上で、どういう答え方が、自分の意見を最も的確に相手に伝えることになるか、とかもいろいろ考えられるし。

例えば、「最近どう?」じゃなくて「最近あのプロジェクトはどうなっているの?」って聞かれたとしたら、相手のプロジェクトについての理解度を把握した上で(例えば単なる外部者としてなんとなく話のネタとして聞いてきているだけなのか、それとも特定の関心を持ってプロジェクトの内容を聞いてきているのか等)、現在の進行状態とか、自分が思っていることを言葉にできる。

授業の後に、「プロフェッサーの○○についての発言についてどう思う?」とか聞かれたら、ちゃんとそれについて考えたことを言葉にできる。逆に、「授業どう思った?」とかいう問いかけになると全然ダメ。「何?授業の何がどうなわけ?」とか思って混乱しちゃう。というかどう受け答えしていいか分からなくて思考停止しちゃう。

同じく、「先週何した?」とかいう質問にはうまく答えられないんだけど、「先週何かCD買った?」とかだったら大丈夫。どう答えればいいか分かるし、そこから会話を膨らませることもできる。
1) 「買った/買わない」
2) 買った場合→何を買ったか。買わなかった場合→今狙っているのはあるか。
そんな感じで。
これって、別に個人的にCDよく買うからっていうだけじゃなくて、「CD買った」の部分を別のフレーズに置き換えてもOKなわけで。要は回答しようのあるオプションを含んだ具体的な質問してくれれば大丈夫、というだけ。その方が後々会話も続くと思うし。実際、具体的に聞かれて初めて思い出すこととか、具体的な話をしている内に「あー、そういえばね」って感じになることって多い。

ふと思ったんだけど、曖昧な問いかけって愛情こもってない気がするよ。結局相手についてなんら具体的な関心を抱いていないから、当たり障りのない曖昧な問いかけしかできないんだ、とか。
そう考えると、人見知りで、人と打ち解けるのに時間がかかる非社交的な私の性格も、よりよく相手を知りたい、もっと誠実な関係を持ちたいという欲求の現れなんじゃないか、なんて風に肯定的にとらえられたり...は、できないのだけどね、実際。
でもまぁ、曖昧な言葉のやり取りが苦手、という点と、私の非社交的な性格とは絶対関係があると思うのだけど。

何かね、全然知らない人とかに、なんて話しかけていいのか全然分からない。別に曖昧な言葉ならいくらでもかけられるわけだけど。「休日には何を?」とか「学校の方はどう?」とか。でも、自分が苦痛を感じるようなそういう曖昧な問いかけを人にたいしてするのがまず嫌だし、それにそういう問いかけに対してかえってくるあまりに一般化された回答の内に、お互いをよりよく知る要素なんて含まれていないような気もしてしまう。
「趣味は読書」とかいわれても、何を読むのか、どんな気持ちで読むのか、どんな時に読むのか、そういうことが分からないかぎり、「読書」という単語はなんら具体的な意味を持たない...ような気がしてしまうわけです。もちろんそこからうまく相手の心をつかんで、会話を発展させていく力というか魅力を持った人もいっぱいいるんですけど。私はダメ。というか、すごく時間がかかる。相手の言葉を具体的に理解して、相手の関心とか性格とかをある程度理解した上でじゃないと、うまく会話ができないし、相手の言葉を具体的な問いかけへとつなげていけない。ごく稀に、そういうなんというか人間関係についてのネガティブな先入観だとかを持たずに、本当にごく自然に会話ができて、しかもすんなり分かりあえちゃう(少なくともそんな気になれちゃう)人というのがいるのだけれど。

なんというか、不特定多数の人間に対する曖昧な関心というのに欠けるんだろうな。人に対する無邪気な好奇心とかないんだと思う。無邪気な好奇心とかどちらかというと残酷なものだと思っている節もあるし。

今年の目標、友達5人作ります(弱気)。 

緩やかな墜落、夕食にはTamaleを、トマトソースで

四季のある生活って好きだ。
四季までいかなくても、とりあえず夏と冬が存在するところで生活したい、とは思う。
気候の変化によって生活にメリハリが生まれるし、夏と冬とで生活の形式をかえることによって、一年が実り多きものになるような気がする。
例えば夏は外で畑仕事、冬は部屋にこもって論文書きみたいな感じで。
そういう意味では、アップステイト・ニューヨークでの生活は嫌いではない。
雪が多くても、外に出る必要もなく、外で働く必要もなければ、気持ちを切り替えて部屋での作業に集中できる。普段時間をかけられないような家の中のことをいろいろやってみたり、これまで腰を落ち着けて勉強する機会のなかったようなことに手を出してみたり。できることが限られている生活での方が、創造性が高まるなんてことはよくあることだ。


ちなみに、私は多分どちらかというと限りなくテンションの低い性質で。
わーっとはしゃいだりとか、突発的に怒りだしたりとか、大声出して笑ったりとか、ワンワン泣いたりだとか、そういうことはめったになく、自分にとっての平均か、それよりちょっとしたぐらいのテンションをキープしたまま毎日を過ごしていることが多い。

普段安定している分、何かの拍子にテンションに変化が加えられると、後々までその影響を引きずったりもする。例えば、さっき泣いてて今笑っているなんていう状態は、私の中ではありえなくて、一旦テンションが下がって泣きモードに入ってしまったら、今日も明日もメソメソ、そのまま出口なしの鬱状態とかに入り込んでしまう。それをまた普段の状態に持っていくのに一苦労。感情の起伏が緩やかな分、落ち込みにも、そっからの立ち直りにも時間がかかるのだ。

そのせいか、自分の感情なりなんなりに変化を与えるような外部的要素を極端に排除しようとする傾向があるような気がする。人付き合いを避けようとしたり、外に出るのを避けようとしたりするのも、そのせいかもしれない。

それは多分変化を嫌う、とかいうこととは別で、一方では常に何かおもしろいものとか新しいものとか、興味の対象を探していたりもするし、知らないことを知るということは常にエキサイティングなことでもある。ただ、多分、自分がコントロールできないような外的要素あるいは感情の変化について極端に敏感なのかもしれない。

恋人や友人との時間は、すごく穏やかな、居心地のよいものではあるけれども、それでもやっぱり何かの拍子に自分の感情をひどくかきみだされるようなこともおこるわけで、そういう時には、やっぱり、あー、一人だったらこんなどうしようもない状態にはならないのに、なんて思ったりもする。ある意味、自分の感情だとか精神のすべてを自らコントロールできるような状態においておきたいのかもしれない。とかいうとすごい理性的な人間のよう。

というか、最近痔っぽくて、お尻がいたい。ちゃんとした椅子を買おう。

フェイバリットワードは怠惰と惰性

冬休み中に、恋人の甥っ子君たちが遊びにきたので、一緒にいろいろボードゲームをしました。その中の一つにRiskというゲームがあって。要は世界征服もの、というか世界植民地化のゲームなんですけど。世界地図が描かれたボードを使って遊ぶんです。それぞれが自分のアーミーを持って、特定のミッションを達成するために相手のアーミーと戦いながら、テリトリーを広げていくっていう。

で、ミッションカードというのを最初にひいて、それに応じて個々のゴールっていうのが設定されるわけなんですけど、そのミッションカードで指定される征服対象の土地というのは、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、北米、オーストラリアなのです。つまりヨーロッパが抜けているわけです。ゲーム版上にはヨーロッパもちゃんと存在していて、いくつかのテリトリーに区分けされていて、それを取り合ったりすることはできるのですが、最終的なミッションのうちから、「ヨーロッパの占領」という項目だけが抜け落ちているわけです。

まぁ、分かりやすい話、ヨーロッパによる世界支配っていう筋書きをもとにできているゲームなわけです。なんてナイーブな歴史認識なんだろうとか思うけど。でもこのゲームが最初に作られた頃には、そういう見方はあたりまえだったのかもしれませんね。もちろん、ゲームをデザインしたのはヨーロッパ系白人グループなのでしょうね。ヨーロッパが植民地化されるなんてこれっぽっちも思っていないっていう。

私たちが遊ぶときは即席ミッションカードとして「ヨーロッパの占領」とかも入れたりして。でも、10歳くらいの甥っ子君たちにとって、ゲームの政治性なんていう話はどうでもいいことであって、勝てば満足なんでしょうけど。本当にシンプルに、ゲームがおもしろいとか野球選手がかっこいいとか言ってはしゃいでいられる時期ってそう長くは続かないのだろうし、そういう時期にそういうものを単純に楽しむというのも大事かもしれない、とも思ったりはするのだけれど。

明日は7時起きです

どうも私が付き合う人って無職になる傾向というか、リタイア願望が強い人が多いような気がするのですが、気のせいでしょうか。

5年くらい前に付き合っていた人は、私と知り合う前に、失踪事件を起こして大手通信会社をやめた経験のある人だったし。
その後付き合った人は、リタイアしてフランスに移住する計画たててたし。
その後付き合いかけた人は、仕事を捨て、憧れていたアジアーロシア放浪の旅に出るべく韓国へと行ってしまったし。
今の彼は、あー、えーと、無職さ。そうさ無職さ。
いうなれば家事手伝い?何でも屋?修理屋さん?
いや、まぁ、何にしろまぁ30代ですでにリタイアしているような、そういう人です。

私はそういうのって結構どうでもいいというか、最低限、自分が生活していく力さえあればいいんじゃない?っていう感じで。実際今の彼とか、どんな状況になっても多分、この人ならうまく生きていくんだろうなっていう、そういう感じの人だし。就職面接とかで蹴られること絶対ない、そういう人。世の中間違ってるよ!

リタイア願望の強い人というのは、まぁもともとちょっと非社会的な部分があったり、周りとうまくやっていけない、なんて自分で自分にプレッシャーをかけているような人だったりするのだろうとも思うのですが、
ちょっと気にかかることといえば、
そんな非社会的人間である彼らが、揃いも揃って、
「いやぁ、君を見ていると、そうだ、人生どうにでもなるって気がして」
なんてことを宣いやがることかもしれません。
私は別に君たちに無職になれとか言ったことは一度もないよ!
いや、むしろがんがん仕事してくれ。そして私を養って(他力本願)。

結局、フランス移住願望のある彼は、私と別れた後、リタイアするチャンスを逃したとかで、今でも同じ仕事をしているのだとか。この前ふとメールがきて、そんなことを報告してくれました。
別れてなかったらフランスに行っていたのだろうか、なんて思ったり。

彼の場合は、パートナーを見つけて一緒に隠とん生活したいっていう、そういう感じだったから、一人じゃきっとリタイアしきれないだろうな、という気はしていたのですが。幸か不幸か私は当時、完全に隠とん生活に入るだけの準備ができていなかったのですね、うん。学位を取れたら考えてもいいよ、なんて。

付き合う人が片っ端から「仕事やめたい」「リタイアしたい」「田舎で自給自足生活とかしようよ」なんてことを言い出すなんて、私はもしかしたらいわゆる下げマンってやつ?とか思った時期もあったものですが、みんなそれぞれ生命力というか生活力のある人だったから(そういうのが一番欠けているのは私)、下げマンっていうのとはちょっと違うのだろうな。でも、なんにしろ、バリバリの会社人間とか、お金ガポガポ大富豪とかとは一生出会うことないのかもしれない。あー、こんなに養われたい願望が強いというのに!

醤油がきれた日の夜は、80年代のロシア映画で共産チックな街並を

私の恋人は男性なのですが、

最近彼のお母さんと話している時、ふと彼女が、
「うちの子、あなたと一緒にいる時にはすごく幸せそうで、まるで別人のようだわ。
うちの息子を幸せにしてくれてありがとう。」って。
これって、ある意味究極の褒め言葉だな、というか、
息子の恋人に対するお母さんからの最大限の賞賛っていう風に思えるのです。
「うちの子供を幸せにしてくれてありがとう」
なんというか、単に「いつもありがとう」とか「うちの子がお世話になって」とかいうのとはちょっと違ったニュアンスが込められているように思うわけで、
で、無茶苦茶照れてしまうわけですが、そんな時には私も、
「私も彼から幸せにしてもらっています。あなたの息子さんはとてもステキな人ですよ。どうもありがとう。」
なんてことを口にしてみたり。ある意味英語だからこそできる会話なのかもしれない。

いや、私は過去に日本語でも言ったことありますが。その時はちょっと違う状況で、
お母さんが息子をちょっとけなすような感じで、「うちの子なんかと一緒にいて、大変でしょう」みたいな。
私、そういうのって何かイヤというか、私の好きな人のコトは、例え実親であってもけなしてほしくない、というか、そういう所があったりして。
「いえ。あなたの息子さんはとてもステキな人ですよ」とか言ってしまう。
で、ちょっとびっくりしたような顔をされたりして。

でも自分の好きな人のことを、いたずらにけなしたり、自信を持ってステキな人だと思えなくなったら、その関係はすでに終っているとも思うのですが。

もちろん相手のことを全面的に肯定しているわけでないとしても、いろんな問題とかすれ違う部分も含め、それでもいざという時になったら自信を持って「ステキな人です」って言い切れる、そういうのって結構大事だと思ってしまうのですが。どうでしょう。

ミルクティーには濃い目のアッサムを

友だちは少ない方だと思います。
しかも最近、どんどんどんどん社交性がなくなってきているような気もします。

ちなみにうちの恋人は、結構誰とでも仲良くなれるというか、
なんか好かれるタイプなんですが。
いい奴って感じで。
嘘だよ!ダマされてるよ!本当は無茶苦茶人間不信野郎だよ!!
と、私なんかは思うわけですが、
ま、彼は好かれます。
誰からも受け入れられやすいタイプ。
親とかに紹介するにはいいかと。
爽やかナイスガイって感じで。
昔はイジメラレっ子だったくせに。

あぁ、いや、でも、そう。
私、ダメで。
もう、自分から見知らぬ人に話し掛けるとか全然ダメで。
何かですね、刹那的な、その時だけの関係だったらまだいいんだと思うんです。
それか、なんかこう、半分否応なく、今後も関係が続いていくであろう人とか。

でも、なんていうか、その中間ぐらいの、
なんかこう、タイミングとか、お互いの努力とかで今後の関係が決まりますっていうような、そういうのダメ。
そういう時は大概何もせずに、そのまんま、
微妙な距離感を保った人間関係が構築される、と。
すごい居心地悪い。でも、改善する気もなし...みたいな。
どっちかがね、積極的になればいいんだと思うんですよ。
ちょっと積極的に、昨日なにした?とか、
好きな音楽は?とか、
そうやって会話を続ける努力をする。
そうすると、その内何か共通点みたいなのも見つかって急接近、なんてこともあるかもしれない。

というか多分私は、人が自分の大切に想うものについて語っているのを聞くのが好きなんだと思います。
音楽でも映画でもアートでも、
あるいはもっと些細な自分自身の経験でも、
それを大切にしている感じがヒシヒシと伝わってくる、
彼/女がそれを語る中に、ある種の切実さが内在している、
そういうのが好きだし、そういうものを持っている人と、そういうことを話し合えるような関係になりたいと思ってしまう。

多分重要になるのは、「ある種の切実さ」っていう部分なのかもしれない。
それが、単に自分の趣向を他人に押し付けようとする人の不快な饒舌さや、
深みのない冗長な会話のけだるさとは異なる、
ある種の喜びや充実を生み出す要素となる。

もちろん会話に先立って私が彼/女の「ある種の切実さ」を理解している必要は全くなくて、むしろ、そういうのは彼/女が口にする言葉の内に、あるいは彼/女がその言葉を口にする時のその表情や語り口にすでに存在しているようなものなのだと思う。

そういう人との会話は、本当に心地よくて、いつまでもこの人とこうやって一緒に時間を過ごしたい、という気持ちになる。ただ、お互いのコトを何もしらない状態から、ごく自然にそういう会話ができる状態へと移行できる場合とそうでない場合というのもあって...

私が「この人と話していてもどうも時間の無駄な気がする...」なんて思う人が、じゃぁ「ある種の切実さ」を持って生活していない人なのかというと決してそうではないのだけれど、ただ、どうなんだろう、切実さを感じる対象が違いすぎたりするのかな...

相手の切実な欲求というのが、例えばお金を稼ぐこととかノーベル賞取ることとかにあるとして、その欲求がありとあらゆる言葉の内に、ギラギラと見えかくれするなんていう場合、
私はある意味ひどく無感情になって、
目の前にいるその人をブラウン管に閉じ込め、ミュートボタンを押してしまう。
彼/女の言葉の内にあるのは切実さではなく単に切実な「欲求」なんであって、そのことが二人の違いなのだと言ってしまえばそれまでなのだけど。 

雨の日は、発ガンの可能性におびえつつマックのフライドポテトを

お金が...

知的な人に弱いです。
正確にいうと、知的で骨っぽいすっきり系の顔の人に弱いです。
今授業を取っている倫理学の教授が、非常にかっこよくて参っています。
若々しく、笑顔が可愛く(えくぼがあるの)、そして、切りに行く暇がなくて...って感じに伸びた髪。

哲学科の教授陣の平均年齢ってやっぱり結構高めだと思うんですよ。理系みたいにストレートに9年で学位取ってる人ばっかりじゃないし。そんな中、PhD取り立てで、かっこよくて微妙に性格が歪んでいる若手教授っていうのはかなり貴重です。ちょっと歪んでいるってとこがポイントですね、うん。インモラルな倫理学者とか、大好きです(それは自分のこと)。あー、マリッジ・リングがまぶしいなぁ。


ところで我が家はここの所ずっと鍵が壊れていたのですよ。
分解してみたらそれっきり元に戻らなくなっちゃっただけなのですが。
なんかですね、部品の一部が完全に粉々になっていて、それなくしてはドアノブをもとの位置に取り付けられないような感じだったのですね。
で、しょうがないから私、ドアの所にぽっかり穴が開いたまま生活していたのです(ドアノブの部分が空洞なわけですね)。

鍵が壊れているといっても、あるべき場所に鍵穴とかドアノブがついた状態で壊れてくれれば、実際壊れているかどうか見ただけでは分からないと思うんですけど、ドアに思いっきり穴が開いていたら、それはもぅ隠しようがないってなもんで、
で、板でも打ち付けようかなぁとか思ったのですが、面倒なので紙をテープで...
しょぼい...
自分が出入りする時は、テープを剥いで穴に手をつっこんでドアを開ける...と。
怪しい...
よく今まで泥棒にも入られず、寝込みも襲われずきたものです。

そんな状態で1週間以上も生活していたわけですが、やっと管理人に電話して、修理の人に来てもらえるようお願いしました。修理にきてくれたおじちゃんは、なんかすごいひとのイイおじちゃんでした(朝の8時にやってきたという点ではマイナス)。
「入居前に鍵が壊れそうなのに気付かなくてゴメンね」って。
わー、こんな謙虚な言葉をアメリカ人が口にするなんて!
ちょっと感激しました。

あーでも、まぁ、なんていうか、普通にオッチャンって感じでもありました。何をもってオッチャン度を判定するか、微妙な所ですけど。

「よかった、修理して貰えて。」って言ったら、
「そうだよね。鍵のことなんて女の子だし分からないものね」って。
女の子は日曜大工とかしないと思っているのだね。
ま、いいけど。うちにはドライバーどころかエレクトリックドリルだってあるのよ、なんて思ったり。

「大学生?」って聞かれたので、
「大学院生です」って言ったら。
「最近はみんな大学院まで行くよねぇ。いやぁ、お父さんにお金出して貰っているんだから、がんばって勉強しないとだよ」
って、いや、もうさすがにこの歳になってそれはないし...と思ったり。
かくいう彼の息子は私立大のロースクールに行っていて、すごいお金がかかるらしい。
息子の学費を払う為に、朝っぱらからうちにやってきて鍵を修理してくれているんだ...と思うとちょっとだけ泣けた。いいお父さんだなぁ。

でも日本にいる時から思っていたけど、
大学院生の地位って...低いよね...
あー、早く人間になりたいって感じ。
大学院に行くっていう選択は、就職するという選択に匹敵するものであって、大学院での研究は仕事という意識を持っている人って多いと思うんだけど、周りから見たら「いつまでも親のスネかじりやがって」って感じだし... 「朝10時まで寝てるのー、羨ましい!」って、それは朝の6時までペーパー書いている事実を知って言っているのかね、とかね。徹夜だって当たり前だし、その辺のワーカホリックな社会人の生活と全然変わらないよ!

この前、芸大出の人と話していて、
アーティストっていう選択は、ちょっとやっぱり頭悪くないとっていうか、どっかちょっと狂ってないとできない選択な気がする...って。それって文系研究者にもちょっとあてはまるかな...とか思ったり。

というのも、普通に頭のいい人っていうのは、早い段階で「やば、こんなことやってらんないよ。」って気付くと思うんですね。どんなにアートがスキでも、研究がスキでも、やっぱりそれを続けるにはそれなりのリスクが伴うし時間もかかるし。だから頭のいい人っていうのは、適当な所で自分のスキなものと生きていく手段としての仕事との折り合いをつけていく方法を自然に修得していく、と。とりあえずちゃんと就職して、社会人として仕事もして、で、別な部分でアート活動は続ける...みたいな感じで。文系出身者にしても、とりあえず就職して、趣味として本とか専門書とか読みまくるとかね。

で、ちょっと出遅れてというか、そういうことに気付くのが遅れた人が大学院とか行っちゃう。もっと勉強したい、もっと制作したい、なんていうシンプルな向上心を持って研究者とかアーティストとかを本気で目指しちゃう。で、大学院生活の途中で「もしかして自分はすごいとんでもない選択をしちゃったんじゃないだろうか...」とか思って落ち込むわけです。
でも「もう今さら...」とかいう気持ちもあるし、やっぱりやりたいことをやるべきだ、とかいう意地もあるし、多少の自尊心みたいなのもあるし、そうやって徐々に別の人生を選択する可能性がなくなっていくわけで...
最終的に、国家公務員試験を受けることのできない年齢までなって、「あぁ、もぅ戻れないのだな...」なんてしみじみと実感するという。

わー...書いてて落ち込んできた...
いや、楽しい...楽しいですよ。幸せです。部屋に隠って本を読んだり書いたりするのが仕事だなんて、天職だなぁと思います(一抹の不安を抱えつつ)。 

トルコにはポチという名の街があります

本買った。

MacDonogh, Giles. Berlin: A Portrait of Its History, Politics,
Architecture, and Society. St. Martin's Press. 1997.

Schnabel, Tom. Rhythm Planet: The Great World Music Makers.
Universe. 1998.

バーゲン品がさらに値下がりしていて、一冊$3〜4だったので。『ベルリン』は、前から気になっていて値下がりするのを待っていた所だったのでちょっと嬉しい。都市史ってスキ。『リズム惑星』は、なんとなく寝る前に読むのにいいかと思って。ブライアン・イーノが序文を書いてる。Sun Raのページがやっぱり何気に怪しい感じでステキ。

「母親も、父親も、友人すらもない。僕にあるのは音楽だけだ。残念なことに、僕は人を信じることができない。普通の人たちというのが苦手なのだ。というのも、彼/女らにとって人生における最大の欲求というのは、自己をあるいは他者を不具にし破壊することにあるように思えてしょうがないからだ」(p139:半分ぐらいは直訳)だって。

いつも新しい本を買う度に、ちゃんと本のリストを作ろうと思うのだけれど、買う時って20冊とかまとめて買っちゃうので、ついリストにまとめるのが面倒臭くなってしまう。

そういえば、最近買った本、もう一冊。
Downs, Tom and Edge, John E. Lonely Planet: New Orleans.
Lonely Planet Publication Pty Ltd. 2000 (2nd edition).

冬にニューオリンズに旅行するのです。レコ屋巡りするぞ。おー。

昔、インドを旅行した時に、せっかくだから何か記念になるものを持って帰ろうと思って、露天のお兄ちゃんからテープを一本買ったことがあります。どうせ海賊版というか不法コピーなのだろうけど、その中から割とジャケットのデザインのよいものを一本。帰ってからよくよく見てみると、Ravi Shankarでした。何気に、正統派インド音楽を選択していた私。内容は...それほどおもしろくなかったです。多分そんなに有名な作品ではなかったのだろう。

インドで音楽といえば、旅行中に立ち寄ったShimlaという街に、小さな洋風カフェがあったのですが、そこの息子が音楽ジャンキーで、朝から晩までギター片手にブルースやらグランジやらをプレイしてまして、もちろんBGMもニルヴァーナとかなんですが、いや、インドの片田舎の小さなコロニアルスタイルの街のカフェで、グランジを聴く男の子っていう図がなかなかいいな、なんて。きっと彼の中には漠然とした焦燥感や、行き場のない怒りや、社会なんてものに対する嫌悪や、でももしかしたら...なんていう憧れなんかが渦巻いているのだろうな、なんて。

私、結構そういう気持ちって大事だと思ってしまうほうなので。

フェミニストとお皿

哲学なんてものをやっている人たちというのは、
やっぱりジェンダーとかエスニシティの問題に敏感なわけで(全部が全部そうってわけでもないけど)、まぁ、女性であれ男性であれ、フェミニストであるということはある意味当たり前な部分があります。
フェミニストといっても、まぁ、ハードコアってわけではないし、フェミニズム運動に積極的に関わってたりするわけでもないのですが。でもまぁ、自分が既存の社会に存在する構造的性差別に自覚的だ、ということを示そうとすれば、自然とフェミニストとしての立場を取らざるを得なくなる、というのはあながち間違っていないと思います。

でも、自称フェミニストな男性の中には、一緒に暮らす上で多少やっかいな人もいるわけで、
例えば、私の友人(女性)の恋人は、まぁ、普通にやさしくて、さりげなくレディファーストで、「家事は二人で分担するもの、いやむしろ男性の方が積極的にやるべきだ。」と思っているような人なわけですが、この彼、自分の恋人に絶対「お皿洗い」をさせない人でもあります。
させないというか、「君はお皿なんて洗わなくていいんだから。僕が後でやるから!」っていうのが口癖。
でも、後でやるとかいいながらなかなかやらないらしいんですわ。
で、彼女はシンクに汚れた食器を残しておくのがイヤな人なので(私もヤだ)、
その内しびれをきらして自分で食器を洗おうとするわけです。
すると「あー、君はそんなことしなくていいから。僕が後でやるって。」ってまた。
「じゃぁ今やってよ」って言うと、
「う〜ん。今は気が向かないから後で...」とのこと。

彼女曰く、
「でもさぁ、イヤなら最初から自分が洗うとか言わなければいいと思わない?」
「私、別に食器洗うの苦でも何でもないし。というか、汚い食器をおきっぱなしにしている方が気になってしょうがない。食器洗いぐらい、気が向いた人が勝手にするってことにすればいいのに、そういう所で変にフェミニストとしての意地みたいなのを感じるらしいのよね。」

政治的にフェミニストであることはいいことなのかも知れないけれど、フェミニストであることが、自分の日常生活であるとか自分の行為であるとかを過度に規定するようになってきちゃうのはちょっと問題あり、ということでしょうか。

家事なんて、結局の所、自分達の暮らしを快適にする為の行為なわけで、皿洗い一つとって、
「私に皿洗いをさせるなんて、あなたなんて保守的なの!」
なんて言う人、きっとそんなにいないのに(いや、アメリカとか西ヨーロッパには多いと思いますけど)。

「皿洗いするなんて、君は社会的に規定された女性としての表象を無批判に受け入れるのか、なんて言われたら家事なんて何にもできないよね。自分が食べたいものを作ることも許されなくなっちゃう。皿洗いにしたって、私にしてみれば、台所のシンクが綺麗な方が、自分が気持ちよく生活できるからやっているだけなのに...彼といたらいっつも汚いシンクみて生活しなくちゃいけないじゃない、ネー。」

何ごとにもバランスが大切だということです。 

ラブレターはAで始まる

ジョビンなどを聴きながら、
おしゃれな週末の午後を演出してみるも、
実際はかなり切羽詰まった日々を送っていたりする今日この頃。

時々、人が死ぬ時のことばかりを考える。
例えば、私の恋人は私よりひと回り年上なので、
そうするとまぁ順番からいけば先に死んじゃうかもしれないわけで、
そしたら...どうする?とか。
やだな、きっと耐えられないな。
いや、でもそれまで一緒にいるかなんて分からないし。
一緒にいたとしても、もうすっかりマンネリカップルになってるのかもしれないし。
それはそれでもっとヤだ...とか。
まぁ、でもそういう時って自分が死ぬ時のことは全然考えないで、
どうしよう、この人が死んじゃったらどうしようって、人のことばっかり考えちゃったり。

恋人のお母さん、すごくガーデニングに詳しくて(生活の糧なので)、あと野草とかにもすごく詳しくて、庭にいろんな種類の草花を植えていて。
そういうのをいつかビデオにとりたいねって。
お母さんが一つ一つの花について説明している様子をビデオとかに撮って保存しておきたいねって。
今年は、それ、できなかったんだけど。
どうする?
来年の春までに急にお母さんが死んじゃったりしたらどうする?とか。
そんなことになったら、すっごい後悔するんだろうな...とか。 

流星群とマンオキ

meteor swarm(流星群)見に行きました。

「今夜meteor swarmを見に行こうと思うんだけど...」と言われて、
「video show?」
なんて聞き返してみる、アメリカ生活2年目の冬。
そう聞こえたんだ...しくしくしく...

で、結果からいうと、
全く何も見えませんでした。
雲に覆われた空を見上げること30分。
いや、まぁ、真っ暗な空を30分も見続けるなんてこと、きっとこの先ないと思うよ。
なんてブツブツ言いつつ、朝の6時に帰宅。

「あー、思うに、見えるはずの流星群が見えないということについては、二つの解釈が可能だと思うのですよ。」
と、友人。
一つ、天気が悪い。
二つ、今日は流星群の日じゃない。
僕らは間違った日に来てしまったんだね。うん、そうだ。きっとそうだ。
慰める言葉を持たない自分をふがいないと思いました。嘘です。

眠いし、流星見えないし、
やけになった友人達は、帰り道、なぜか「これまで盗んだ変なもの」という話題で盛り上がるのでした。
酔っぱらって魚市場に入り込んで、手づかみで魚を一匹盗んだとか。
ツリー盗んで持って帰る途中、職務質問されたとか。
チーズがスキでスキで、ついお店で一番高価なチーズを盗んでしまったとか(ゴルゴンゾーラだったらしい)。

そう言われたら私、盗んだこととかない気がするなぁ...
飛行機の、非常口を説明してあるパンフレットを集めるのが趣味なんですけど、
「持ち出し禁止」のものを持ち出すのも盗みに入るのでしょうか...

盗み=万引きといえば、
一時期、万置きがマイブーム(死語)だったことがあります。
ボアダムスの山塚アイが推奨していたものですが、というか、私が勝手に推奨されたものと理解していただけですけど、

お店のものを勝手に持って帰っちゃうのがマンビキであるとすれば、
自分のモノをお店に勝手において帰っちゃうのがマンオキ。
迷惑だよね、お店としては。場合によっちゃマンビキより迷惑かもしれない。
「あのガキ、売り場をウロウロしやがって、絶対何か盗もうとしていたに違いない。ぷんぷん。」
とか思いつつ、お菓子セクションをチェックしてみると、
筋肉マン消しゴムとかが、申し訳無さそうに、ちょこんと。
キノコの山に寄り添うように。
「くそ。こんなもん置いていきやがって...」
しかも、なんで筋肉マン消しゴムなのか、意図が見えないだけに気になって気になってしょうがない。よっぽど高価なものとか、稀少価値があるもの、思い入れがあるものでない限り、無くなったもののことがいつまでも気にかかるってことはないかもしれないけど、得体のしれないものがある日突然、あるはずのない所に出現するというのは、すごく気になると思う。

今でも時折、思い出したかのようにやってしまいます。マンオキ。
犯罪ですか?

編み上げブーツで三十路を越えろ

アイスクリーム欠乏症で、急きょお隣のアイスクリーム屋さんまで走りました。
カルーア・チップスをゲット。


以前、
「オリーブ廃刊後の世界をオリーブ少女はいかに生き延びるのか。旦那と子供の手を取って、30すぎたオリーブ少女が生き延びる道とはいかに?」
という文章を、半分冗談で書いたことがあるのですが、最近、分かりました。三十路を越えたオリーブ少女の向かう道!
ズバリ。webでコジャレタ暮らし系サイトを作って、日々のさり気ない生活を親子で楽しむさまを紹介する。当たってると思いません?

実際、最近の暮らし系サイトっていうのは、「ホントにコンピュータ初心者の主婦の人が作ったサイトなの?」っていうくらい、センスのいい所が多いです。デザインにしても、写真の撮り方にしても。しかしこのセンス、この配色、このコンテンツ...どこかで見たことがあるような...う〜ん...と思うことしばらく...
あ、オリーブだ。

さり気ない日常を楽しむ。雑貨好き。ガーデニングもいいよね。
子供の服そうにももちろんこだわる。おもちゃも断然デザイン重視。
料理も子育ても自分の趣味にしてしまう。

そういう日常生活に対するアティチュードというか、生活そのものがオリーブ式なのです。たまに映画評とかのっているサイトがありますが、やっぱりオリーブっぽい。お勧めの本の紹介では、栗原さんとか堀井さんとか、その他料理レシピ関係の本ならびにガーデニング系の雑誌等。もちろん部屋に置いた時にオブジェとしても見栄えがするように、装丁のいいものを選びます、といった感じでしょうか。

でもホント、見やすくてほんわりとした感じのサイトが多いので、これからサイトを始める主婦の方のよいお手本になるのではないかと思います。オリーブ式暮らしサイト。

そうそう、もとオリーブ少女ですってカミングアウトされている所もいくつかありました。でも最近ではオリーブの精神を受けついだ暮らし系&おしゃれ雑誌が増えたし、復活オリーブ(まだ続いているのですか?)はすでに元祖オリーブとは全く別物になってしまったし、結局こういうオシャレな暮らし系サイトをオリーブっぽいという風に、単純にまとめちゃうことはできないのかもしれませんが。

それにしても、オリーブ少女のうち、センスのイイ恋人に巡り会い、20代で結婚して、30までに子供を産んだ人たちが、こうやってほんわかした感じの暮らし系サイトでオリーブの精神を受け継いでいく一方、私の友だちのように、筋金入りのオリーブ少女として中・高校+大学生時代を過ごしたにも関わらず、オリーブのメッセージを間違って受け止め(?)、真剣に映画制作の道なんかに入ってしまったがゆえに、未だにバイト生活、汗臭い映画制作業界で、おしゃれなんて言葉とは程遠いハードな生活を送っているような人もいますが...そういう人たちは「オリーブおやじ」として、焼酎片手に三十路を越えていくのでしょうか、やっぱり... 

編み上げブーツが恋しい! 

意味のはじまりを問う

昨日から筋肉痛。
限り無く消費エネルギーの少ない生活をしているっていうのに。

今夜は餃子を作ったのだけれど。
いつものとは違う餃子の皮を買ってきたみたいで。
黄色っぽくて、すごく薄い皮。
延びが良くて感激。
それに、皮が薄いせいか、胃にもたれずにパクパクパクと、
気がついたら10個ぐらい食べていた。


どうやら世の中には、死にたいという気持ちがない人もいるみたいです。

死にたいな、と思っても、いろんなことを考えて、それを思いとどまる。
つまり、死なないようにしようと思う、その気持ちとはまた別らしいのです。
大変なことがあっても、辛いことがあっても、不思議と死ぬという気持ちにならないのだそうです。死ぬなんてバカらしい、とかいう、そういうのもとも違うらしいのです。

かくいう私は、もう本当に小さい頃から、社会とか、自分の外の世界がどんな所なのかも分からないまま、そういうものに対して、漠然とした絶望感みたいなものばかりを強く感じている、そういう可愛げのない子供で、曖昧ながらも常に死に向かう気持ちを抱えながら成長してきたので、死にたいと思わない、というその状態がどんなものなのだか、さっぱり想像できないのです。

長寿のおじいちゃん、おばあちゃんとかは、もしかしたらそういう人たちなのかもしれない。死に引きずられない人たち。

死にたいという気持ちがない人が、死にたいして鈍感だとか、人生に対して楽観的だ、とかいうわけじゃないと思うのです。生きていれば、否応なく人の死に直面させられるわけで、すっごい哀しいこととか、すっごい辛いこととか、きっとたくさんあると思うのです。

でも、そこで、私なんかは、どんどんネガティブな方向に引きずり込まれていっちゃうんだけど。人の死に引きずられて、もう何も食べられなくなってしまったり、廃人のように何週間も部屋に閉じこもってしまったり、毎日毎日泣いてばかりだったり、あげくに倒れて人の世話になったり。一旦そういう状態になると、もう生のポジティブな側面とかいうのが見えなくなっちゃう。生きている意味なんてない、とか思ってしまう。

でも多分、死に向かう気持ちがない人というのは、いくつもの人の死と向かい合い、日々、困難と直面しながらも、さりげない生の喜び、みたいなものを感じ取る能力に長けているのだと思うのです。

おいしいものを食べる瞬間とか、
さりげない日々の会話とか、
綺麗に晴れた日の空とか、
朝方、遅刻しそうになりながら慌てて駆けていく子供の姿だとか、
そういうものから最大限のパワーを受け取って、
自分の生を楽しむことができるんじゃないかと。
そういうのって、すごいなぁ、と。

といっても、私は私なりに、この生に対するネガティブな性格と一緒にここまで生きてきたのであって、死に向かう衝動がない人を、とりたててうらやましいとかは思わないんですけど。それでもやっぱり、ちょっといいな、なんて、ないものねだり的な憧れを抱いたりはするわけです

野垂れる

野垂れてそうな人が好きです。
その前に自分が野垂れないように気をつけろよ!
とかいわれそうな人生送ってますけど。
なんていうか、道ばたに、ボロッて落ちていて、
連れて帰ってお風呂に入れたら、あら綺麗、みたいな。
えぇ、妄想入ってますけど。茶色いセーター、ちょっと毛糸がほつれてるような、
ヒジとかが微妙に薄いような、
ちょっと間違ったらただのオヤジ、もしくは単に貧相っていう
ギリギリぐらいの感じの服を、
くたびれた感じでうまく着こなす人、
というかそういうのが似合う人に、
もう異常に惹かれます。まぁ、私の普段の服装とかも大概ボロいわけですが... 

 
superhigh
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コロンビアの痛み
自由であること、自由になること、自由を求めること
新学期の前日、バスは休日のダイヤで、ブックストアのみが異常な混み様
緩やかな墜落、夕食にはTamaleを、トマトソースで
フェイバリットワードは怠惰と惰性
明日は7時起きです
醤油がきれた日の夜は、80年代のロシア映画で共産チックな街並を
ミルクティーには濃い目のアッサムを
雨の日は、発ガンの可能性におびえつつマックのフライドポテトを
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