誠実さについて

d_birthday.jpg形ばかりではあるのだけれど一応フランス語の勉強という名目上、ブラウザのホームはLe Monde紙にしている。普段は開いてすぐ別のページへと移動してしまったりすることも多いのだけれど今日はトップ記事に目が釘付けになった。ブレッソンが亡くなったらしい。
それなりの知的好奇心を持ったごく平均的な大学生として私も学部時代はそれなりに本を読んだりアートに触れたりしていたわけで、そうするとやっぱりブレッソンだってかっこいいとか思っていた時期があるわけで、当時はブレッソンが生きているのか死んでいるのかなんて余り考えたこともなかったけれど、死んだといわれると、そうか、ブレッソンも死んだのか、と、それはそれでちょっと感傷的な気分になったりもする。まぁ、95歳らしいから大往生ではあるわけだけれど。それにしてもなんというか、一時期影響を受けたりした人が次々に死んで行く状況というのは、年齢的な順番でいえば当たり前ともいえるわけだけれど、否応ない時間の経過みたいなものを感じてちょっと切なくなったりもする。

それはともかく、最近また鶴見俊輔をまとめて読み直したりしている。
きっかけは父親が送ってくれた『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』と題された対話集(小熊英二と上の千鶴子が鶴見俊輔にいろいろ質問する形ですすんいく)で、これがおもしろくて、鶴見熱が再発した感じだ。
誰にでも、ことあるごとに立ち返る、あるいは何かあった時に「こんな時あの人ならどう考えるだろう」と思ったりする対象が一人ぐらいはいるのかもしれなくて、もし私にとってそういう人がいるとすれば、それは鶴見俊輔だと思う、というくらい私には鶴見びいきな所がある。なぜだかは分からない。半分刷り込みのようなものかもしれない。若い...というよりは幼い頃に入れこんだ思想家への愛着というのはなかなかぬぐい去ることが難しい。

そう、興味がある、とかいうレベルを超えて、私の中には鶴見氏に対する確固たる信頼みたいなものがある気がする。思想家についてそういう気持ちを持つことは、私にはとても難しいことのような気がするし、実際とても難しいことだと思うのだけれど、鶴見氏に限ってだけはそういう気持ちが私の中で成立しうるところがあって、それが自分でもとても不思議だ。
この場合「信頼」というのは彼のある時期の思想にたいするものではもちろんなくて、彼の考えるマナーあるいは表現するマナーのようなものに対するものだと思う。いや、彼のものの見方一般についても常に共感を覚えるわけではないし、彼が立つ場所からは見えないものがあるということももちろん分かってはいるし、それを問題だなぁと思うこともあるわけだけれど、それでも、揺らぎや曖昧さや間違いやためらいなんかを含みつつも、どこかギリギリの部分で誠実さというものを保っている彼の姿勢に信頼を覚える。取り繕ったりちょっと嘘をついたりごまかしたりすることが思いのほか簡単にできてしまう世界にいながらそれをしない、という、それだけといえばそれだけのことなのだけれど... そう、それだけのことなのだけれど。

鶴見氏の大衆についての考え方を見るとよく分かるのだけれど、彼にはとりあえず大衆に全面的な信頼を置くという態度が最初にあって、それは大衆が間違いを犯した(という言い方は適切ではないと思うのだけれど)としても絶対にかわらない。でも彼が大衆に対して持っている全面的な信頼というのは大衆がやることは何でも善といった考えとイコールではもちろんなくて、全面的に信頼をおくからこそ、その行動に自分も等しく責任を追っていくのだという意志や、大衆の思想や行為といったものを真剣に考え反省していこうとする態度へとつながっている。つまり鶴見氏の文章には、対象、あるいは対象がある時期あるコンテクストに置いて持っていた力に対する揺るぎない信頼と、信頼を寄せることで派生する責任の意識とが共存しているのであって、それが彼の文章にある種の誠実さを付加することになるのだと思う。

なんだかファンレターのようになってしまったけれど、先の対話集は鶴見氏の良さも悪さも...というよりは弱い部分もすごい部分も両方バランス良く配置されている感じでよかった。対話の中で小熊氏らが、鶴見さんが評価する人はみんななぜか変な方向へいってしまう、というようなことを言っていて鶴見氏が苦笑する場面もあったりして。うん、でも、やっぱり、そういう割とすぐぼろを出したりつじつまが合わなくなって困ってしまったりする所も含めやっぱり好きだなーと思ってしまうのだから、私の鶴見氏びいきはやっぱり筋金入りなのかもしれない。

そんな感じで過ごしているうちに、30歳の誕生日を迎えました。
30歳になって真っ先に得た知識は、よしもとばななと私の誕生日が2日違い、年齢は10歳違いということでした。

posted by f at 2004/08/04 17:30
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posted by Lewis at April 3, 2005 11:18 AM

 誠実、情熱、品格―それぞれ言葉は違いますが、ひとつのものです。ですから品格を欠いた誠実や情熱はありえませんし、品格や情熱をともなわない誠実はニセモノです。
 鶴見氏は私も大変誠実な方だと思います。情熱は自分自身に嘘を付く事を許さないものですが、たぶん、氏はこの道を丹念に歩き続けてこられた方だと思っております。

 

posted by at January 25, 2005 06:32 PM
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