Fahrenheit 9.11

nyc_03.jpg先週NYCにステ弟の引っ越しを手伝いに行った際、マイケル・ムーアの"Fahrenheit 9.11"を見てきた。ドキュメンタリーとしての質は今ひとつだと思ったけれど、こういう反体制的な批判精神に溢れる映画がアメリカでちゃんと上映された、という意味ではとても画期的だと思った。

"Fahrenheit 9.11"がドキュメンタリーとしていまひとつだと思った理由の一つは編集の仕方にある。ドキュメンタリー映画を撮る人には大きく分けて二つの傾向があって、一つは全く編集しない人。編集が行われた時点で本来ノンフィクションであるべきものがフィクション化すると考えるタイプ(でもなんだかんだいって最小限の編集は免れ得ないわけだけれど)。そしてもう一つが程度の差こそあれ編集に重きを置くタイプでムーアはもちろん圧倒的に後者だ。様々なイメージの絶妙なコラージュ、一見無関係にも思えるような様々な要素を巧みに関連づけて行く手法。だからこそムーアのドキュメンタリーは恣意的だとか煽動的だとか真実のわい曲だとかいわれたりもするわけだけれど、でも、それじゃあ編集をしなければフィルム上に真実がそのまま残るのかと言われればそんなことはもちろんないわけで、それこそドキュメンタリーを撮ることの難しさ、あるいは本質的な不可能性から目をそらしているだけ、と言わざるをえない。ドキュメンタリーを撮ることの難しさは、ドキュメンタリーをドキュメンタリー足らしめるこの「真実性」をどう理解するかにかかっていると思うのだけれど、そういう意味ではムーアのような「編集派」の映像作家のほうがよっぽど真剣にドキュメンタリーの抱え込んでいる困難と戦っていると思う。

けれど、ムーアの最大の武器である、編集によってある種のテーマというかドキュメンタリーとしての一つのリアリティをかたどっていくその絶妙さが"Fahrenheit 9.11"には生かされていなかったように思う。特に大手メディアやブッシュ批判の部分の作り方は安易なイメージの切り張りに見えてしまった。9.11、そして戦争が始まって以降、アメリカのメディアにたいして向けられた最大の批判はその恣意的なイメージのねつ造ということだった。爆撃で死んでいく一般市民、アメリカ軍兵士の死体、彼/女らに対して向けられる市民の憎悪といった負のイメージを極力排除し強く正しいアメリカの像のみが繰り返し繰り返し流された。それに対し、一部のインディペンデント・メディアは「大手メディアが流さない戦争の側面」を強調してきたわけで、"Fahrenheit 9.11"でもそういう場面が登場する。もちろんある限られた面のみを主張する大手メディアに対し、そうではない現実だってある、という形で別の側面を示して行くことは重要だし、両者のバランスが取れた社会ほどより健全であるとも言えるかもしれない。ただ、その際、異なる側面を主張する人々は、自分達が大手のメディアを批判する際に使う「恣意性」だとか「イメージのねつ造」だとかいった言葉がそっくりそのまま自分達の行為にも跳ね返ってくるのだ、ということに意識的でなければならない。繰り返しになるけれど、だからといってインディペンデント系メディアの活動そのものが破たんしているとかいうわけではない。ただ、「君たちの流す映像だって恣意的で煽動的じゃないか」と言われた時にどう答えればいいのだろう、と思ってしまうのだ。多分もっとも無難な答えは、そんなことは分かっているけど、でもどうせなら一つの恣意性より複数の恣意性が交差しあっている社会の方が良いじゃないか、というもので、それは最もな答えだと思う。ただ、その路線でいくとすれば大手メディアの流す映像を「恣意的」であると批判することはできなくなるわけで、それもまた複数性を支える重要な要素ととらえなければいけなくなる。でもムーアの路線はそうではないわけで、となるとやっぱり「君の映画だって恣意的で煽動的じゃないか」という批判にどう答えるか、そのへんをもうちょっとつきつめて欲しいような気がしてしまう。

もう一つ、ドキュメンタリーにおける重要な要素として、思いもかけない展開というか筋書きどおりに進まない感じというか、映画の中の人が思いもかけないことをしたり喋り出したりするそういう意外性がある。編集しきれないハプニングの要素。どこまでを編集の産物ととらえるかは難しい所だけれど、でもそういう要素があるかないかでドキュメンタリーの持つ力は大きく左右される。撮っている側がそして見ている側が、否応なく当初のプランや持っていた先入観を捨て去らなければいけなくなるような、取っている対象があらかじめ設定されたものの域を越えて立ち上がってくるような、そういう瞬間。それを捉えることができるかどうかにドキュメンタリーのすべてがかかっているといっても過言ではないかもしれない。

ムーアの映画の魅力は彼自身のキャラクターと、その飄々とした独自の語り口が人々のうちから引き出す思いもかけない一面の存在にあると思うのだけれど、それもまた"Fahrenheit 9.11"ではあまりいかされていないように思った。地元フリント(それにしても彼のフリントへの思いの強さは本当に本当にすごいと思う。こういう誠実さを持った映像作家はそう多くはいない)でのインタビューはさすがにすごくて、特に毎日国旗を掲げているお母さんや、息子を失った母親とその家族へのインタビューはすごく力がこもっていたけれど、それ以外の、政治家に対するインタビューやDCでのゲリラ的な行為は映画的にはあまりうまくいったとはいえないと思う。政治家に対するアプローチとその失敗を映画に盛り込むことは必要なことだったと思うけれど、でも、その失敗していく過程があまりにさらりとしているというか......まぁ、相手は政治家だ、というのもあるのだろうけれど、何というか、うん、あまりにさらりとしすぎていた感がある。対象がつかみきれていないというか...... 例えば息子を亡くしたお母さんはすごいインパクトがあって、一人の人間としてグアーっと立ち上がってくるような所があるのに、ムーアが撮る政治家の人は全然個別性がなくて体温も感じられなくて、とにかくつかみどころがないままなのだ。それはそれで政治家の本質をとらえているというか、一般市民と政治家の間の温度差を示すことになっているのかもしれないけれど......

他にも戦略的に気になる点はいろいろあったけれど、でも、あぁ、もうなんでもいいからとりあえずブッシュの再選だけはまぬがれてほしい、という気持ちはあったり。それかブッシュがすごくあからさまな票操作で再選してアメリカ市民の間に強い政治不信を植え付けるとか。政治に対する不信というのは私はすごく基本的な感覚だと思うし、体制だとか権力だとかに対する根本的な不信が根付いている社会の方が健全だと思うのだけれど、アメリカではそのへんがヨーロッパに比べるとやっぱりまだ未熟だなと思う。もちろん不信というのは無関心とは異なり常に体制的なものにたいして意識的でなければならないわけで、伝統的な政治不信が根付いている社会は体制の動きを市民の側からチェックする仕組みが発達している。そういうのが当たり前だろう、とかいうとやっぱり左っぽいとか言われるのかなー。右とか左とかいうのも結局は体制的なものだから、反体制派は本質的に右にも左にもなれない気がするんだけどなぁ...と最後は全然違う話になってしまいましたが、とにかく映画としてのできは別としても現在のアメリカを知るという意味では"Fahrenheit 9.11"はとてもおもしろい映画だと思います。日本での反応はどうなっているんだろう。

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追記
読み直してみて思ったのだけれど、"Fahrenheit 9.11"で感じた違和感というか今ひとつ感というのは、結局あちこちで言われているように、この映画がブッシュ政権批判という所に留まっているところからくるのではないかと思う。つまり、9.11もイラク戦争もブッシュ政権だから起こったのであって、批判されるべきはブッシュやチェイニーといった権力の座にいる個人である、という風にどうしても見えてしまう。でも、ブッシュが大統領にならなかったら事態は違っていたのだろうか。違ったかもしれない......とも思う。少なくともあの時期にあのような形でテロが起こったりあの時期にあのような形でイラクを攻撃したりすることはなかったかもしれない。だけど9.11やそれに続くアフガニスタン、イラクの空爆が指し示すより根本的な問題は"誰"がそれを起こしたかとか、その時大統領がどうリアクションを取ったかということではなくて、コーポレート化していく政治だとかそこにおける権力の働きだとか、そういう部分にあるのではないかと思う。言い換えれば、ブッシュが大統領にならなくたってにたようなことは起こりえたし起こりえるのだと思う。"Fahrenheit 9.11"はブッシュとその周辺の人々を批判することによって彼もまたそのうちに取り込まれているような体制の問題というものを見落としているような気がするのだ。そういう意味でこの映画はブッシュ時代のアメリカを知るには良い映画だと思うけれどそれ以上のより普遍的な力は持ちえないような気がする。

posted by f at 2004/07/22 21:51
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