世界の終わりに飲むコーヒー

fk001_4.jpgこの夏の一大プロジェクトとしてステ母家の大掃除がある。今月末にステ弟が戻ってくることになったので、私たちの物置きと化していたステ弟家(2世帯住宅っぽい感じになっている)を掃除し、行き場のなくなった本やジャンクのために母屋の2階にある、これまで使われていなかった(というかステ母の物置きになっていた)一室をきれいにしていっさいがっさいを移動することになったのだ。
ちなみにステ家の人々というのは揃いも揃ってものが捨てられない人たちで、ステ母の農場にはこれでもかというぐらいものがあふれている。昔馬小屋だった納屋(標準的なサイズの体育館の半分くらいの大きさ)とワークショップと母屋のテラスと二階の一室、屋根裏と屋根裏に続く階段のある一室。このすべてがステ母の持ち物で埋まっている。過去30年にわたる収集の結果だ。でも本人はあまりものに執着がない人なので(矛盾するようだけれど)、結局、自分のもとにやって来たものを保存しているというだけで、何がどこにあるのかとかちゃんと分かっていないようだ。中にはすごく貴重なものとかもあるのでちょっともったいない気もする。

まぁ、ステ母の持ち物のことは置いておいて、
そもそもステ母と今は亡きステ母夫(ステチの養父)が農場に移ってきたのは今から約30年前のことらしいのだけれど、長年住み慣れたブルックリンを離れることを決めた一番の要因は「サバイバル」だったらしい。
「本当に、近いうちに核戦争が起こって世界は崩壊するって、結構真剣に思っていたのよ」と言っているのをずいぶん前に聞いた覚えがある。もちろん農場の地下にはコンクリで固めた核汚染にも耐える(と言われていたらしい)防空壕(?)がある。普段は野菜の貯蔵庫だけれど。
とはいっても、その話がでたのは過去にも一度きりで、それも半分冗談のような感じだったので、私も「へー」とは思いつつもその時のステ母夫婦の思いみたいなものをあまりちゃんと考えてみようとはしていなかった。

農場に移ることを決めたのは「生き残るため」というステ母の言葉を思い出したのは、大掃除の最中に大量のコーヒーを発見した時のことだ。乱雑にものが詰め込まれたその部屋の隅っこにあった段ボールを開けると、真空パックになったコーヒーの豆がぎっちりとつまっていた。
横の箱を開けるとそこにもコーヒー。
結局見つかったコーヒーの量は大きめの段ボール5箱分にもなった。
ステ母もいつ頃買ったものなのかよく覚えていないようだったけれど、少なくともステ母夫が生きていた頃のことらしい。箱が置かれていた位置から考えるとかなり昔のようにも思える。
なぜだか分からないけれど、このコーヒーの山を前にして初めて、
「あー、ステ母たちは本気だったんだ」
という気持ちになったのだった。
他にもプラスチックのふた付きのバケツに豆やお米や砂糖や塩を入れたものが20個ぐらいでてきたのだけれど、それらを見た時にはコーヒーの山を前にした時ほどの衝撃はなかった。それらもそうとう長い間保管されてきていて、お米は完全に痛んでしまっていたり、砂糖は妙な軽さになっていてフタを開けるのもはばかられたのだけれど、とにかく、それら保存食の山を見てもいまいちピンとこなかったのに、コーヒーがいっぱいにつまった箱開けてはじめて、ステ母たちが当時持っていたある種の危機感みたいなものがズンと伝わってきたのだった。

それにしてもなぜコーヒーなのだろう、と考えてみた。
生存とは関係のないし好品だからこそ、かえってそれに対する思いの強さ、あるいは執着みたいなものが伝わってきたのだろうか。でもそこにこめられた思いというのは、コーヒーそのものに対するもの、というよりはもっと抽象的な何か、強いて言うなればコーヒーのある風景、あるいはそれを成立させている諸条件に対する思いのような気がする。
朝起きてコーヒーを入れる過程、コーヒーメーカーの立てるポコポコという音、部屋に漂うコーヒーの匂いに誘われて家族が一人、二人と起きてくるような、そういう日常的な風景そのものにたいする思い。ステ母が大のコーヒー好きであることを知っているからこそ、なおさらコーヒーのある風景が彼女にとって意味するものの深さを感じてしまうのかもしれない。もちろんひとたび核戦争が起これば、たとえ生き残ってコーヒーを飲むことができたとしても、その行為によってかつてコーヒーとともにあった日常を取り戻すことはできない。そんなことはステ母だって百も承知だろう。でも、それでもなお、コーヒーがもつ象徴的な意味は残るのだと思う。箱の中のコーヒーはその象徴的な意味の可能性に対する信頼を意味するのか、それとももっと別なものを指しているのか。何にしても、世界の終わりに飲むコーヒーがかなり切ないものであることにはかわりないだろう。

ステ母をはじめとする、ある意味一般的なアメリカ市民にとって70年代がどういう時代だったのか私はよく分からないけれど、核戦争とか侵略されることに対する潜在的な不安というのは、私たちが思う以上に強い形でこの国に存在していたようで、ステ母のように、半分不安に後押しされるようにしてその後の進路を決めた人たちも実際かなりの数にのぼるのではないかと思う。当時の不安というものがステ母の中に現在どのような形で残っているのかは分からないし、ステ母が30年前の選択をどう思っているのかも聞いたことはないけれど、でも世界の終わりを想定せざるをえないような不安の中で生きる気持ちだったら少しだけ共有できる気がする。そして世界が終わった後に、もう決して戻ってはこない日々を思いながらやっぱりコーヒーを飲もう、というその気持ちも、割と共有できている気がす

posted by f at 2004/07/13 13:13
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