空から降ってくるもの

いい天気なんて書いたとたんに土砂降りの雨。
それにしても今年は雨が多い。そのせいで畑の一部が水浸しになって菜っ葉系が全滅してしまったくらい。
水まきをしないで良いのは助かるけれど。

最近何かと気をもむことが多く微妙に落ち着かない日々。
それにしてもちょっと心配事があるとすぐ眠れなくなったり変な夢を見たりする(心配事がそのまま夢に出てくる)私は単純だなーと思う。繊細というよりはただ、いろんなことが気になり過ぎるのだと思う。そう思う一方で、でも多分他人よりどうでもよいことが多いタイプであったりもするから不思議。昔からそうだ。人が気にならないようなことがものすごく気になったり、人がすぐ忘れちゃうようなことをずっと覚えて気にしていたり、かと思えば人が覚えているようなことをころりと忘れる。

それにしてもここ数日家の周りがスカンク臭い。
犬もスカンク臭い。
そして今はネズミの繁殖期なのかあちこちにネズミの赤ん坊が転がっている。というか降ってくる。
天井部分に数カ所、ネズミがかじってできた穴があるのだけれど、そこから時折ぽとっと赤ん坊が落ちてくるのだ。この3日ほどで5匹落ちてきた。どうやら穴があることを知らずに親ネズミが巣を作ってしまったらしい。しょうがないので穴の下にコーヒー豆の空きカンをおいて受け皿とする。一見雨漏り対策のようにも見えるけれど、そこに降ってくるのはネズミ。
朝方などに、時折カンッと小さい音がして目が覚める。
いつのまにか少しづつ子供の数が減っていくのを見て、親ネズミは不思議に思わないのだろうか、と恋人が言う。

近況

ここ数日ノースリーブを心地よいと感じるくらいの夏らしい日が続いている。
今年の夏は全体的に寒くてセーターを手放せない日々が続いていたので嬉しい。
そんなこんなで調子にのって三十路に突入したことも忘れ、帽子もかぶらずシャツも羽織らないままガーデンの草抜きなどをしてしまった。あとが恐い。というか、ここ数年そばかすの数が目に見えて増えつつあるのだけれど、そばかすを可愛らしいと思ってもらえるのはやっぱり10代か20代の初めくらいまでだと思うわけで、やっぱり多少はそばかす対策などもしようかな、と思いつつ、多分なにもせずにそばかすおばさんになるんだろうな... そのへんの不精さをどうにかしたい。

ところでこちらでアドバイザーをしてくれているJが6月末に福岡を訪ねる機会があった。ポスコロ文学を専門としている人で、アジア美術館に行ってみたいからと、韓国での学会の前に一日寄ることにしたとのことだった。それでせっかくだからおもしろい所があったら教えてほしい、と言われ、その時ちょうどやっていた知り合い(NYCでパフォーマンスしたS氏)の展覧会他、福岡でアジア関係のものが見られるギャラリーなどの情報をEメールで知らせた。S氏の展覧会をやっていたギャラリーがへんぴな場所にあることもあって、一応S氏とギャラリーのオーナーM氏にもメールで連絡し、何日頃にこういう感じの人が訪ねてくる/電話で道順を問い合わせてくるかもしれない云々、ということを伝えておいた。そうした所、S氏がわざわざ都合を付けて教授のために案内役をかってでてくれたばかりか、アジ美のキュレイターのK氏等にも連絡をとっていろいろと連れ回ってくれた。しかも次の日の朝、見送りにまで来てくれたという。そういったことは全部後になってJから聞いたのだけれど、「あなたの知り合いというだけで見ず知らずの私にあそこまでしてくれるなんて、本当に感激した」という教授以上に私が驚いた。そして「この人とこの人とこの人からことづけを頼まれてねー」というJの言葉を聞きながら(どの人ももう何年も連絡を取っていない人たちだった)福岡で過ごした7年間という時間が自分にもたらしてくれたものについていろいろと考えた。
ふるさと意識のようなものとはまた別なのだけれど、何かをする基盤が整っているという意味で福岡は私にとってやっぱり特別な場所なのだと思う。居心地の良い場所があって、何かをしようという時、そのために場所や時間やアイデアを提供あるいはシェアしてくれる人たちがいる。もちろんここでだってそういう場所を作っていくことはできるのだろうけれど、そういう場所ができるためには人同士のネットワークやある程度の文化的な土壌といったものが必要なのであって、そういうものがぴったりと合う機会というのはそんなにはない。
ビザの関係上日本に帰ることが義務づけられている身としては、帰るとしたらどこに帰るか、ということをそれなりに考えたりもするわけだけれど、仕事があるかどうかよりそこで何ができるか、ということを重視する場合、やっぱり福岡ほど条件が整っているところは今の私にはないんじゃないかな、という気がする。まぁ、その分しがらみも多いわけですが...

昔の写真

d_nuts.jpg昨日ごろごろしながら中上健次の『夢の力』を読んでいたら、表紙の裏から一枚の写真が出てきた。男の子が山のてっぺんで万歳している写真だったのだけれど、すっかり忘れていたその写真とこんな所で再会したことにびっくりした。

それは私が小学校の頃好きだった男の子の写真で...というとかわいらしいのだけれど、当時の私は本当に他人のことに興味がなくて人を好きになるなんてこと考えたこともなかったにも関わらず、ある時仲良くしていた女の子集団の間で告白大会がおこって半分無理矢理好きな人を作らないといけないような状況になり、なりゆきまかせでこの男の子のことを好きだといってしまっただけだったのだけれど、とにかくまぁ、その男の子の写真が20年近くもたった今ごろになって突然出てきたのだった。
なりゆきまかせとはいっても、一度好きだということにしてしまえば後は気持ちがついていくもので、結局一年ぐらいその男の子のことは気になっていた。私たちの学年は一クラスしかなかったし学級委員とかを一緒にやることが多かったせいかもしれない。それで修学旅行の後、写真を購入する時になって、その男の子が一人で写っているこの写真の番号を購入表のなかにこっそりすべりこませておいたのだった。
その後卒業にあたりタイムカプセルを作ることになった時、小学校の思い出として私は手紙と一緒にこの写真を地中に埋めた。今考えればすごい恥ずかしい。タイムカプセルが掘りおこされたのは私たちが20歳になった時だったと思うのだけれど、私はその場にはいなくて、この写真と対面することになったのはもっとずっと後になってからだった。
私がタイムカプセルに入れたものは、友達づてに実家へと届き、その後何年かたって私のもとに届いたのだけれど、小学生の自分からの手紙など恥ずかしくて読めたものではなく、結局手紙も写真も目に付かない所にしまい込んでしまった...とばかり思っていた。それがこんな所から出てくるとは。それにしてもその時の私は何を思って『夢の力』の表紙裏に写真を挟み込んだりなどしたのだろう。
ちなみにその男の子は優等生タイプで、小学校時代から将来は「エライ公務員」になるなんて文集に記すような人だった。結局一浪して東大に入ったらしいけれど、その後「エライ公務員」になったのかどうかは分からない。

sushi dinner

b_sushi.jpgちなみに誕生日(もう2週間前のことだけれど)にはsushiを食べにいった。初の舟盛り。NYCの日本料理屋さんは日本人経営のところも多く、料理のサイズも盛り付けも味もどんどん日本に近くなっているように感じる。ただ地方に行くとやはり日本料理屋の多くは中国系か韓国系の人によって切り盛りされていてsushiとhibachiと称したパフォーマンス付きの鉄板焼料理がメインになる。sushiもロールが中心でサイズが大きく、お刺身にいたっては厚みが1cm近くもある。
私たちがよく行くB街の日本料理屋さんも、そういう典型的なアメリカのsushiレストランだ。
最初このレストランに行きはじめた時のすし職人の人は多少英語も話すフレンドリーな人で私もステチーもひいきにしていたのだけれど、現在の人は英語は全くしゃべらず無愛想な感じでこれまで会話したことがなかった。でも無愛想なsushi職人の彼も、私たちが舟盛りを頼んだことで、その日が何か特別な日なのかもしれないと思ってくれたらしく、どの魚をにぎりにするかなどなど、積極的に話しかけてきてくれた。とはいってももちろん「アー、サシミ、サバ?」「イエス、イエス」みたいな会話なのだけれど。ブリもすごく良いものをわざわざ下ろしてくれて、これが本当にすばらしくトロトロだった。
残念ながらレストランにカメラを持っていっていなかったので舟盛りのゴージャスぶりは写真に撮れなかったのだけれど、お持ち帰りにした分が上の写真。

それにしても私たちは食費の面では安上がりなカップルだと思う。お互い基本的に食べることにそこまで興味がないということもあるのだろうけれど、今回のsushiにしてもロールが2種類、にぎりが5種類、刺身が5種類のセットで2人分の夕飯と次の日の昼食になるし。pizzaのMサイズ一枚で、やっぱり2人分の夕飯と昼食になるし、中華のテイクアウトとか軽く3食分にはなる。これが他のアメリカ人の友人とだとこうはいかない。pizzaのMサイズを一人でぺろりと食べてしまう人だって多い。大学からのギリギリのお給料(というよりはアルバイト代みたいなものだけど)で生活している身としては食費が普通の学生の半分くらいで済むというのはやっぱり助かるわけで、そういう意味では少しで満足できてしまう体質で良かったなー&少食な恋人で良かったなーと思ったり。ただなかなか食材が減らないという問題もあることはあるのだけれど。

誠実さについて

d_birthday.jpg形ばかりではあるのだけれど一応フランス語の勉強という名目上、ブラウザのホームはLe Monde紙にしている。普段は開いてすぐ別のページへと移動してしまったりすることも多いのだけれど今日はトップ記事に目が釘付けになった。ブレッソンが亡くなったらしい。
それなりの知的好奇心を持ったごく平均的な大学生として私も学部時代はそれなりに本を読んだりアートに触れたりしていたわけで、そうするとやっぱりブレッソンだってかっこいいとか思っていた時期があるわけで、当時はブレッソンが生きているのか死んでいるのかなんて余り考えたこともなかったけれど、死んだといわれると、そうか、ブレッソンも死んだのか、と、それはそれでちょっと感傷的な気分になったりもする。まぁ、95歳らしいから大往生ではあるわけだけれど。それにしてもなんというか、一時期影響を受けたりした人が次々に死んで行く状況というのは、年齢的な順番でいえば当たり前ともいえるわけだけれど、否応ない時間の経過みたいなものを感じてちょっと切なくなったりもする。

それはともかく、最近また鶴見俊輔をまとめて読み直したりしている。
きっかけは父親が送ってくれた『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』と題された対話集(小熊英二と上の千鶴子が鶴見俊輔にいろいろ質問する形ですすんいく)で、これがおもしろくて、鶴見熱が再発した感じだ。
誰にでも、ことあるごとに立ち返る、あるいは何かあった時に「こんな時あの人ならどう考えるだろう」と思ったりする対象が一人ぐらいはいるのかもしれなくて、もし私にとってそういう人がいるとすれば、それは鶴見俊輔だと思う、というくらい私には鶴見びいきな所がある。なぜだかは分からない。半分刷り込みのようなものかもしれない。若い...というよりは幼い頃に入れこんだ思想家への愛着というのはなかなかぬぐい去ることが難しい。

そう、興味がある、とかいうレベルを超えて、私の中には鶴見氏に対する確固たる信頼みたいなものがある気がする。思想家についてそういう気持ちを持つことは、私にはとても難しいことのような気がするし、実際とても難しいことだと思うのだけれど、鶴見氏に限ってだけはそういう気持ちが私の中で成立しうるところがあって、それが自分でもとても不思議だ。
この場合「信頼」というのは彼のある時期の思想にたいするものではもちろんなくて、彼の考えるマナーあるいは表現するマナーのようなものに対するものだと思う。いや、彼のものの見方一般についても常に共感を覚えるわけではないし、彼が立つ場所からは見えないものがあるということももちろん分かってはいるし、それを問題だなぁと思うこともあるわけだけれど、それでも、揺らぎや曖昧さや間違いやためらいなんかを含みつつも、どこかギリギリの部分で誠実さというものを保っている彼の姿勢に信頼を覚える。取り繕ったりちょっと嘘をついたりごまかしたりすることが思いのほか簡単にできてしまう世界にいながらそれをしない、という、それだけといえばそれだけのことなのだけれど... そう、それだけのことなのだけれど。

鶴見氏の大衆についての考え方を見るとよく分かるのだけれど、彼にはとりあえず大衆に全面的な信頼を置くという態度が最初にあって、それは大衆が間違いを犯した(という言い方は適切ではないと思うのだけれど)としても絶対にかわらない。でも彼が大衆に対して持っている全面的な信頼というのは大衆がやることは何でも善といった考えとイコールではもちろんなくて、全面的に信頼をおくからこそ、その行動に自分も等しく責任を追っていくのだという意志や、大衆の思想や行為といったものを真剣に考え反省していこうとする態度へとつながっている。つまり鶴見氏の文章には、対象、あるいは対象がある時期あるコンテクストに置いて持っていた力に対する揺るぎない信頼と、信頼を寄せることで派生する責任の意識とが共存しているのであって、それが彼の文章にある種の誠実さを付加することになるのだと思う。

なんだかファンレターのようになってしまったけれど、先の対話集は鶴見氏の良さも悪さも...というよりは弱い部分もすごい部分も両方バランス良く配置されている感じでよかった。対話の中で小熊氏らが、鶴見さんが評価する人はみんななぜか変な方向へいってしまう、というようなことを言っていて鶴見氏が苦笑する場面もあったりして。うん、でも、やっぱり、そういう割とすぐぼろを出したりつじつまが合わなくなって困ってしまったりする所も含めやっぱり好きだなーと思ってしまうのだから、私の鶴見氏びいきはやっぱり筋金入りなのかもしれない。

そんな感じで過ごしているうちに、30歳の誕生日を迎えました。
30歳になって真っ先に得た知識は、よしもとばななと私の誕生日が2日違い、年齢は10歳違いということでした。

 
August 2004
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