Fahrenheit 9.11

nyc_03.jpg先週NYCにステ弟の引っ越しを手伝いに行った際、マイケル・ムーアの"Fahrenheit 9.11"を見てきた。ドキュメンタリーとしての質は今ひとつだと思ったけれど、こういう反体制的な批判精神に溢れる映画がアメリカでちゃんと上映された、という意味ではとても画期的だと思った。

"Fahrenheit 9.11"がドキュメンタリーとしていまひとつだと思った理由の一つは編集の仕方にある。ドキュメンタリー映画を撮る人には大きく分けて二つの傾向があって、一つは全く編集しない人。編集が行われた時点で本来ノンフィクションであるべきものがフィクション化すると考えるタイプ(でもなんだかんだいって最小限の編集は免れ得ないわけだけれど)。そしてもう一つが程度の差こそあれ編集に重きを置くタイプでムーアはもちろん圧倒的に後者だ。様々なイメージの絶妙なコラージュ、一見無関係にも思えるような様々な要素を巧みに関連づけて行く手法。だからこそムーアのドキュメンタリーは恣意的だとか煽動的だとか真実のわい曲だとかいわれたりもするわけだけれど、でも、それじゃあ編集をしなければフィルム上に真実がそのまま残るのかと言われればそんなことはもちろんないわけで、それこそドキュメンタリーを撮ることの難しさ、あるいは本質的な不可能性から目をそらしているだけ、と言わざるをえない。ドキュメンタリーを撮ることの難しさは、ドキュメンタリーをドキュメンタリー足らしめるこの「真実性」をどう理解するかにかかっていると思うのだけれど、そういう意味ではムーアのような「編集派」の映像作家のほうがよっぽど真剣にドキュメンタリーの抱え込んでいる困難と戦っていると思う。

けれど、ムーアの最大の武器である、編集によってある種のテーマというかドキュメンタリーとしての一つのリアリティをかたどっていくその絶妙さが"Fahrenheit 9.11"には生かされていなかったように思う。特に大手メディアやブッシュ批判の部分の作り方は安易なイメージの切り張りに見えてしまった。9.11、そして戦争が始まって以降、アメリカのメディアにたいして向けられた最大の批判はその恣意的なイメージのねつ造ということだった。爆撃で死んでいく一般市民、アメリカ軍兵士の死体、彼/女らに対して向けられる市民の憎悪といった負のイメージを極力排除し強く正しいアメリカの像のみが繰り返し繰り返し流された。それに対し、一部のインディペンデント・メディアは「大手メディアが流さない戦争の側面」を強調してきたわけで、"Fahrenheit 9.11"でもそういう場面が登場する。もちろんある限られた面のみを主張する大手メディアに対し、そうではない現実だってある、という形で別の側面を示して行くことは重要だし、両者のバランスが取れた社会ほどより健全であるとも言えるかもしれない。ただ、その際、異なる側面を主張する人々は、自分達が大手のメディアを批判する際に使う「恣意性」だとか「イメージのねつ造」だとかいった言葉がそっくりそのまま自分達の行為にも跳ね返ってくるのだ、ということに意識的でなければならない。繰り返しになるけれど、だからといってインディペンデント系メディアの活動そのものが破たんしているとかいうわけではない。ただ、「君たちの流す映像だって恣意的で煽動的じゃないか」と言われた時にどう答えればいいのだろう、と思ってしまうのだ。多分もっとも無難な答えは、そんなことは分かっているけど、でもどうせなら一つの恣意性より複数の恣意性が交差しあっている社会の方が良いじゃないか、というもので、それは最もな答えだと思う。ただ、その路線でいくとすれば大手メディアの流す映像を「恣意的」であると批判することはできなくなるわけで、それもまた複数性を支える重要な要素ととらえなければいけなくなる。でもムーアの路線はそうではないわけで、となるとやっぱり「君の映画だって恣意的で煽動的じゃないか」という批判にどう答えるか、そのへんをもうちょっとつきつめて欲しいような気がしてしまう。

もう一つ、ドキュメンタリーにおける重要な要素として、思いもかけない展開というか筋書きどおりに進まない感じというか、映画の中の人が思いもかけないことをしたり喋り出したりするそういう意外性がある。編集しきれないハプニングの要素。どこまでを編集の産物ととらえるかは難しい所だけれど、でもそういう要素があるかないかでドキュメンタリーの持つ力は大きく左右される。撮っている側がそして見ている側が、否応なく当初のプランや持っていた先入観を捨て去らなければいけなくなるような、取っている対象があらかじめ設定されたものの域を越えて立ち上がってくるような、そういう瞬間。それを捉えることができるかどうかにドキュメンタリーのすべてがかかっているといっても過言ではないかもしれない。

ムーアの映画の魅力は彼自身のキャラクターと、その飄々とした独自の語り口が人々のうちから引き出す思いもかけない一面の存在にあると思うのだけれど、それもまた"Fahrenheit 9.11"ではあまりいかされていないように思った。地元フリント(それにしても彼のフリントへの思いの強さは本当に本当にすごいと思う。こういう誠実さを持った映像作家はそう多くはいない)でのインタビューはさすがにすごくて、特に毎日国旗を掲げているお母さんや、息子を失った母親とその家族へのインタビューはすごく力がこもっていたけれど、それ以外の、政治家に対するインタビューやDCでのゲリラ的な行為は映画的にはあまりうまくいったとはいえないと思う。政治家に対するアプローチとその失敗を映画に盛り込むことは必要なことだったと思うけれど、でも、その失敗していく過程があまりにさらりとしているというか......まぁ、相手は政治家だ、というのもあるのだろうけれど、何というか、うん、あまりにさらりとしすぎていた感がある。対象がつかみきれていないというか...... 例えば息子を亡くしたお母さんはすごいインパクトがあって、一人の人間としてグアーっと立ち上がってくるような所があるのに、ムーアが撮る政治家の人は全然個別性がなくて体温も感じられなくて、とにかくつかみどころがないままなのだ。それはそれで政治家の本質をとらえているというか、一般市民と政治家の間の温度差を示すことになっているのかもしれないけれど......

他にも戦略的に気になる点はいろいろあったけれど、でも、あぁ、もうなんでもいいからとりあえずブッシュの再選だけはまぬがれてほしい、という気持ちはあったり。それかブッシュがすごくあからさまな票操作で再選してアメリカ市民の間に強い政治不信を植え付けるとか。政治に対する不信というのは私はすごく基本的な感覚だと思うし、体制だとか権力だとかに対する根本的な不信が根付いている社会の方が健全だと思うのだけれど、アメリカではそのへんがヨーロッパに比べるとやっぱりまだ未熟だなと思う。もちろん不信というのは無関心とは異なり常に体制的なものにたいして意識的でなければならないわけで、伝統的な政治不信が根付いている社会は体制の動きを市民の側からチェックする仕組みが発達している。そういうのが当たり前だろう、とかいうとやっぱり左っぽいとか言われるのかなー。右とか左とかいうのも結局は体制的なものだから、反体制派は本質的に右にも左にもなれない気がするんだけどなぁ...と最後は全然違う話になってしまいましたが、とにかく映画としてのできは別としても現在のアメリカを知るという意味では"Fahrenheit 9.11"はとてもおもしろい映画だと思います。日本での反応はどうなっているんだろう。

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追記
読み直してみて思ったのだけれど、"Fahrenheit 9.11"で感じた違和感というか今ひとつ感というのは、結局あちこちで言われているように、この映画がブッシュ政権批判という所に留まっているところからくるのではないかと思う。つまり、9.11もイラク戦争もブッシュ政権だから起こったのであって、批判されるべきはブッシュやチェイニーといった権力の座にいる個人である、という風にどうしても見えてしまう。でも、ブッシュが大統領にならなかったら事態は違っていたのだろうか。違ったかもしれない......とも思う。少なくともあの時期にあのような形でテロが起こったりあの時期にあのような形でイラクを攻撃したりすることはなかったかもしれない。だけど9.11やそれに続くアフガニスタン、イラクの空爆が指し示すより根本的な問題は"誰"がそれを起こしたかとか、その時大統領がどうリアクションを取ったかということではなくて、コーポレート化していく政治だとかそこにおける権力の働きだとか、そういう部分にあるのではないかと思う。言い換えれば、ブッシュが大統領にならなくたってにたようなことは起こりえたし起こりえるのだと思う。"Fahrenheit 9.11"はブッシュとその周辺の人々を批判することによって彼もまたそのうちに取り込まれているような体制の問題というものを見落としているような気がするのだ。そういう意味でこの映画はブッシュ時代のアメリカを知るには良い映画だと思うけれどそれ以上のより普遍的な力は持ちえないような気がする。

田植えには勝てない

d_creek.jpg先週の木曜日からステ甥ズが遊びにきている。12歳と15歳。テレビもなにもない所だけれど、それなりに毎日エンジョイしている様子。ここ一年ぐらいでずいぶんと力仕事もできるようになって、ステチーやステ弟もいろいろ手伝わせているみたい。昨日はニンニクの収穫にかり出されていた。
それを見ながら、「ネタのある夏休みってお得だよなー」なんてことをふと思った。ネタというのは夏休みの宿題の定番、作文のネタのことで、こっちの小・中学生の夏休みの宿題に作文があるのかどうか分からないけれど、彼らが経験しているような、テレビもない田舎でおばあちゃんのお手伝いをしながら農作業というのは、私が自分の子供時代に決して経験できなかったことなので。なんとなく。別に当時そういうことを経験したかったわけではないのだけれど、そういう経験がネタとして受けるということだけは分かっていたので、って可愛げがないですね。

要領がよく、かつ扱いやすい子供だった小学校時代の私は作文コンクールの常連だったりしたのだけれど、というとなんだか嫌みだけれど、当時の私はそれなりに戦略を立てて学校代表になれる作文の書き方を自分なりにあみ出していたので(そしてそれがまたおもしろいように賞を取るのだった)、それはそれで努力のたまものだったのだと思ってほしい。小学生の私が理解した所の「ザ・学校代表になれるくらいの作文の条件」というのは以下の3点。
1. 家族や友人(老人だとなおよし)とのふれ合い
2. 新しい体験
3. 困難を克服することによる成長の跡(最初はできなかったことができるようになる、家族の絆が強まる、新しい価値観を学ぶ等)
まぁ、当たり前といえば当たり前だけれど、この3点をきっちり押さえておくとかなりの確率で良い評価がもらえる。そして地方にいくほどこういうベタな路線が受ける傾向にあったりする。

たとえ遊園地に行った話であってもこの3点さえ押さえておけば多分評価は高くなると思う。ちなみに私はこの3点を押さえて「ホットケーキを焼く」というだけの話でしっかり学校代表の座を得たこともある。つまり、
1. 弟と協力しあって両親のために、
2. 初めてホットケーキを焼いた。
3. 途中、ぐちゃりとつぶれたりもしつつ、最後には真ん丸なホットケーキを完成させることができた。
ばっちり先の3点を押さえている。この時には自分でもよくこんなしょうもない話題をこれだけ教育的な話にできるよな...と呆れた。そしてそれがばっちりクラス代表になった時にはこういう作文を求める学校教育そのもののに呆れた(生意気)。

ただ、自分でも分かっていたのだけれど、私の作文は学校代表にはなれてもそれ以上の賞は絶対にとれなくて、というのは賞を取るためには上記3点以外に重要な要素というのがあって、それが「老人」「田舎」「農作業」という3大キーワードだった(と当時は感じていた)。私の両親の田舎はともに鹿児島で私たちが住んでいた所より数百倍都会だったし、祖父母は農業とは全く縁のない生活をしていたので、わたしの夏休みには「老人」とのふれ合いは多少あっても「田舎」で「農作業」をする機会は全くなかった。ありえなかった。そして県以上のレベルで賞を取るためには(特に鹿児島の場合ですが)この3つのキーワードはなくてはならないものなのでした。毎年秋に新聞でその年の優秀作文のタイトルを見るたびに「また田植えかよ...」と歯がゆい思いをしたものです。
いやぁ、田植えは本当に強い。今でもそうかどうかは分からないけれど、でも、私が小学生だったころの作文コンクールのトップはほぼ毎年田植えだった気がする。今思うとなんだかとっても政治的だけれど。やはりホットケーキではどんなに技術を駆使しても田植えには勝てないのでした。

ちなみに一度学校代表の座を逃した時の対抗馬もテーマが「田植え」で、しかもその作文は県代表ぐらいにまでなったような覚えがある。その時もきっちり先の3点を押さえた作文を提出した私は、先生から「本当に残念だけど今年は○○君の作文を出すことに決まってね」と言われ、田植えを経験できない以上学校作文で私に勝ち目はないとようやく悟り(そして負ける勝負はしない質)、それ以降勝手に書きたいものを書くことに決めたのでした。ちなみに勝負を捨てた一回目のテーマは「祖父母宅の隣にあるライブハウスにたむろする若者たちの無鉄砲さに憧れる幼い私」というもので、それはそれで今思うとかなり恥ずかしい初々しいお話ではあったわけですが、もちろん学校からは黙殺されました。

なにはともあれ、教育熱心な親御さんは子供を田植えにつれていった上で、上の3条件+3キーワードに添った作文を書かせてみると良いですよ。なんて。
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久しぶりにリンク(登録してあるもののうちからランダムに表示されます)を作ってみました。ブログは一個もないのだけれど。

世界の終わりに飲むコーヒー

fk001_4.jpgこの夏の一大プロジェクトとしてステ母家の大掃除がある。今月末にステ弟が戻ってくることになったので、私たちの物置きと化していたステ弟家(2世帯住宅っぽい感じになっている)を掃除し、行き場のなくなった本やジャンクのために母屋の2階にある、これまで使われていなかった(というかステ母の物置きになっていた)一室をきれいにしていっさいがっさいを移動することになったのだ。
ちなみにステ家の人々というのは揃いも揃ってものが捨てられない人たちで、ステ母の農場にはこれでもかというぐらいものがあふれている。昔馬小屋だった納屋(標準的なサイズの体育館の半分くらいの大きさ)とワークショップと母屋のテラスと二階の一室、屋根裏と屋根裏に続く階段のある一室。このすべてがステ母の持ち物で埋まっている。過去30年にわたる収集の結果だ。でも本人はあまりものに執着がない人なので(矛盾するようだけれど)、結局、自分のもとにやって来たものを保存しているというだけで、何がどこにあるのかとかちゃんと分かっていないようだ。中にはすごく貴重なものとかもあるのでちょっともったいない気もする。

まぁ、ステ母の持ち物のことは置いておいて、
そもそもステ母と今は亡きステ母夫(ステチの養父)が農場に移ってきたのは今から約30年前のことらしいのだけれど、長年住み慣れたブルックリンを離れることを決めた一番の要因は「サバイバル」だったらしい。
「本当に、近いうちに核戦争が起こって世界は崩壊するって、結構真剣に思っていたのよ」と言っているのをずいぶん前に聞いた覚えがある。もちろん農場の地下にはコンクリで固めた核汚染にも耐える(と言われていたらしい)防空壕(?)がある。普段は野菜の貯蔵庫だけれど。
とはいっても、その話がでたのは過去にも一度きりで、それも半分冗談のような感じだったので、私も「へー」とは思いつつもその時のステ母夫婦の思いみたいなものをあまりちゃんと考えてみようとはしていなかった。

農場に移ることを決めたのは「生き残るため」というステ母の言葉を思い出したのは、大掃除の最中に大量のコーヒーを発見した時のことだ。乱雑にものが詰め込まれたその部屋の隅っこにあった段ボールを開けると、真空パックになったコーヒーの豆がぎっちりとつまっていた。
横の箱を開けるとそこにもコーヒー。
結局見つかったコーヒーの量は大きめの段ボール5箱分にもなった。
ステ母もいつ頃買ったものなのかよく覚えていないようだったけれど、少なくともステ母夫が生きていた頃のことらしい。箱が置かれていた位置から考えるとかなり昔のようにも思える。
なぜだか分からないけれど、このコーヒーの山を前にして初めて、
「あー、ステ母たちは本気だったんだ」
という気持ちになったのだった。
他にもプラスチックのふた付きのバケツに豆やお米や砂糖や塩を入れたものが20個ぐらいでてきたのだけれど、それらを見た時にはコーヒーの山を前にした時ほどの衝撃はなかった。それらもそうとう長い間保管されてきていて、お米は完全に痛んでしまっていたり、砂糖は妙な軽さになっていてフタを開けるのもはばかられたのだけれど、とにかく、それら保存食の山を見てもいまいちピンとこなかったのに、コーヒーがいっぱいにつまった箱開けてはじめて、ステ母たちが当時持っていたある種の危機感みたいなものがズンと伝わってきたのだった。

それにしてもなぜコーヒーなのだろう、と考えてみた。
生存とは関係のないし好品だからこそ、かえってそれに対する思いの強さ、あるいは執着みたいなものが伝わってきたのだろうか。でもそこにこめられた思いというのは、コーヒーそのものに対するもの、というよりはもっと抽象的な何か、強いて言うなればコーヒーのある風景、あるいはそれを成立させている諸条件に対する思いのような気がする。
朝起きてコーヒーを入れる過程、コーヒーメーカーの立てるポコポコという音、部屋に漂うコーヒーの匂いに誘われて家族が一人、二人と起きてくるような、そういう日常的な風景そのものにたいする思い。ステ母が大のコーヒー好きであることを知っているからこそ、なおさらコーヒーのある風景が彼女にとって意味するものの深さを感じてしまうのかもしれない。もちろんひとたび核戦争が起これば、たとえ生き残ってコーヒーを飲むことができたとしても、その行為によってかつてコーヒーとともにあった日常を取り戻すことはできない。そんなことはステ母だって百も承知だろう。でも、それでもなお、コーヒーがもつ象徴的な意味は残るのだと思う。箱の中のコーヒーはその象徴的な意味の可能性に対する信頼を意味するのか、それとももっと別なものを指しているのか。何にしても、世界の終わりに飲むコーヒーがかなり切ないものであることにはかわりないだろう。

ステ母をはじめとする、ある意味一般的なアメリカ市民にとって70年代がどういう時代だったのか私はよく分からないけれど、核戦争とか侵略されることに対する潜在的な不安というのは、私たちが思う以上に強い形でこの国に存在していたようで、ステ母のように、半分不安に後押しされるようにしてその後の進路を決めた人たちも実際かなりの数にのぼるのではないかと思う。当時の不安というものがステ母の中に現在どのような形で残っているのかは分からないし、ステ母が30年前の選択をどう思っているのかも聞いたことはないけれど、でも世界の終わりを想定せざるをえないような不安の中で生きる気持ちだったら少しだけ共有できる気がする。そして世界が終わった後に、もう決して戻ってはこない日々を思いながらやっぱりコーヒーを飲もう、というその気持ちも、割と共有できている気がす

隙間から生まれるものたち

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友人が送ってくれた江國香織の『流しのしたの骨』に流れる空気がなんだかとても好みで、あぁ、この空気、これはなんなんだろうと考えているうちに「主婦的思考の宿る場所」という単語に行き着いた。カテゴライズしたりされたりするのは苦手なくせに、自分が何かについて語ろうとする時にはまずキャッチフレーズになるようなタームから入るという、この適当さ。でも、一年前に割といろいろ思うところあった「中年独り者文学」につぎ、最近はこの「主婦的思考の羅列文学」みたいなものが気になっていたり。

『流しのしたの骨』は淡々とした家族の日常を描いた小説......になるのかな。個別に見ればなんだか妙ちくりんな人同士が、これまた外から見るとよく分からない不思議なルールにのっとって家族という、奇妙でありつつも絶妙なバランスを作り上げている、そのバランスそのものをふんわりと描き出したような感じの小説で、そういう小説のありかたそのものを支えるものとして「主婦的」な時間の流れというか思考というか、とにかくそういうものがあるんじゃないのかな、と思ったのだった。
ここで大切なのは「主婦的」という部分で、これはあくまでも「専業主婦」でなくてはならない。できれば社会経験などほとんどないような、あるいは社会的なものから一歩距離を取っている、あるいはとれるタイプの、そういう「専業主婦」であってほしい。というのは、まぁ、ひどく勝手な専業主婦像のねつ造じゃん、と思われるかもしれないけれど、でも、悪意を持って言っているわけではないので許してほしい。言葉をかえれば、小さい頃からおおらかで割と何不自由なく育てられて、大きな挫折も感じず、与えられた幸せの域を越えるような無茶もせず、そんな人生をそれなりに愛していて、そんな人生にそこそこ満足している、といった、そういう安定感というか心のゆとりを持った人がかもしだす一種のバランス感覚という風にも言えるかもしれない。もちろんそれなりに危機と思われるような出来事も経験し、いろいろな悩みを抱えつつも、どこか崩しようのない安定感を保ってある、そういう存在。

『流しのしたの骨』を支えているのはまさにそういうぼんやりしてはいるけれど、なんだかとっても安定した、そういう存在の何かなのだと思う。そしてこの小説に限っていえば、そういう安定感を生み出している存在は「お母さん」なのである。お父さんの前では常にすっぴんで、毎日の食卓を小枝とか葉っぱとか石とか、そういうもので飾ることをはじめ、生活の細部に関するちょっとしたこだわりをいろいろと持っていて、社会に出ることもなく4人の子供を育て、子供たちが手がかからなくなってからもとにかく何かを世話せずにはいられないような所がある、お母さん。いつでも家にいて、なんでも、まぁ、そんなもんよね、みたいな感じでおおらかに受け止めつつ、そのくせ時にこちらにとっては理不尽とも思えるようなとんでもない要求を投げかけてきたりする、そういうお母さん。
小説の主人公はことちゃんという19歳の暇な女の子なのだけれど、でも、小説全体をまとめあげているのは、このお母さんなんじゃないかと思う。この、ことちゃんにしても、このお母さんなしでことちゃんはない、と思えるような、そういうおおらかさと年齢に不釣り合いにも思える安定感を持っていて、停滞しているようで実はすべての可能性を内包しているような、そういうよく分からないパワーに満ちている。

ちなみに『流しのしたの骨』を、主婦的な空気によってまとめあげられた小説だとすると、主婦的な空気が産まれる場所、あるいは主婦的な思考の流れそのものを戦略的に描きだそうとしているのが保坂和志かもしれない。
保坂和志は『この人の閾』において、主婦のいる場所を「家庭の”構成員”のそれぞれのタイム・スケジュールの隙間のようなところ」(その後「それでは”中心”はどこにあるかといえばたぶんそんなものはない」と続く)なんだろうと言い、彼の小説というのはつまりのところ、『この人の閾』に限らず、そういう「隙間」からしみ出てくるような言葉だとか記憶だとかの羅列のようなものだと思うのだけれど、彼の場合は「隙間」からしみ出るものをつらつらと書き連ねることによって「隙間」そのものを描こうとするような所がある。江國香織の『流しのしたの骨』やその他どちらかといえば女性的かつ主婦的な視点で書かれたものが描き出すのは「隙間」を(必要な条件として)あらかじめそこに含んだ全体の風景であって、それにしたって全体の風景を支える、あるいは生み出す隙間の認識なくしてはできないことだけれど、でも小説の構造において隙間が持つ意味という点で保坂和志のやり方とは区別されるような気がする。

ところで意外に思われるかもしれないけれど、私にとっての主婦作家の代表というのが川上弘美で、私はこの人の、特に短編を読むたびに、どうしようもなく主婦的な何かをそこに見いだしてしまう。一見脈絡のない出来事の羅列というか展開。身近なものが、そうは見えないけれど、でも実はそうであったりするかもしれない何かへと変身していく過程。洗濯物を干していたり、買い物にでかけたり、という所から始まる、あるいは公団住宅の一室で広がっていく物語。他愛もないものが突然思いもかけない仕方でその存在を露にしたり、一般的な価値基準があっけらかんと逆転されてしまったり、そういうことが往々にしておこる状況。んー、普通の主婦はあんなに奇想天外なことは考えないものなのかもしれないけれど、あの思考のきっかけとか展開の仕方が、私にとっては主婦的に思えてしょうがなかったりする。奇想天外なのに妙な安定感があったりするせいかもしれない。この妄想と紙一重の安定によって家庭という微妙なバランスは保たれているのかもしれないと思ったりするのだ。

なんだか互いに脈絡のない作家の羅列になりつつあるけれど、保坂和志の、例えば『この人の閾』とか『カンバセイション・ピース』と江國香織の『流しのしたの骨』が主婦(夫?)的であり得たのは、主人公ならびに主要登場人物の暇さ加減に負うところが大きいかもしれない。とりあえず今は何もしていないといった状態だったり、仕事はしているけれど、のらりくらりと重要なポストを避けていたり、野球ばっかり見にいっていたり。特にめりはりがあるわけではないけれどたんたんとした時間の流れや社会から一歩退いた、でもそこに対する意識は常に持っている感じや、その他もろもろの条件が揃って初めて、こう、どこからともなく浮かび上がってくるような思考の数々。それらが生み出される場所。あるいはそこから生み出されるものによって支えられている世界。
その魅力が何なのか、私はまだ掴みきれていないのだけれど、でも、主婦的な世界が持つ一種の深みみたいなものがなんだかとても気になっている。

迷子犬探しと体質改善

1020mini2.jpg鹿児島にいる友人が、最近占いにはまっているらしい。
占いといってもタロットとか水晶とか手相とかいうたぐいのものではなく、地元の、なんとなくもろもろのことが見えてしまうようなおばさんの所に行ってお話を聞く、というもの。なんというか、ここで、あぁ、あーいう感じのおばさんね、というのが分かる人もいれば分からない人もいるのだろうし、分からない人になんと説明すればよいのか分からないのだけれど、別に占いとかニューエイジとかに興味がなくても、割と歴史の長い田舎の村とか町で育った人だったら、身近に一人や二人はそういう人がいた記憶があるかもしれない。失くしものをしたりしてそれがどうしても出てこない時なんかに、しょうがない、じゃあ、○○さんに見てもらうか、っていう感じで登場する、それ以外はいたって普通のおばさん。
友人がそのおばさんと知り合ったのも、きっかけは犬探しだったらしく、映画の撮影中に出演中(?)の犬が突然いなくなってしまい、にっちもさっちもいかなくなった時にそのおばさんを紹介されたのだとか。結果的におばさんの予言(?)通りの所から犬がでてきて、それ以来なんとなく縁があって、自分の将来についても観てもらったりするようになったらしい。

その彼女が先日メールで「観てほしいことがあったら聞いてあげるよ」と言っていたので最近気になっていたことについて聞いてみた。
気になっていたことというのは妊娠のことで、といっても妊娠の徴候があるというわけではないのだけれど、最近とにかく妊娠に関する夢ばかり見るのだ。それもかなりリアルなものばかり。年齢的なものもあるし、周りに妊娠している人が何人かいたりするせいで影響されているのかな、と思ったりもしたのだけれど、あまりに頻繁に見るので、ちょっと心配になりつつあったのも確か。というわけで、近いうちに子供ができる可能性があるかどうか聞いてみることに。

結果的に言うと、その可能性はゼロ、とのことだったのだけれど、その理由が、「それどころじゃないくらい体調が悪すぎ」るから、子供のことより自分の身体を心配すべき、ということらしく、それはそれで問題だなぁ、と思ったり。キーはアルコールと冷え症と骨格のゆがみとのことで、どれもそれなりに心当たりがあるがゆえに、んー、これは真剣に受け止めるべきかもと思ったりも。
とりあえずの所は、仕事に生きる大器晩成型人生という言葉を信じてがんばります。
あ、あと、男の腐れ縁には気をつけろ、というアドバイスも......

blogにしてみました

oval_szenariodisk.jpgえーと、デザインの自由度が少ないとかいろいろ言っていたにもかかわらずblogにしてみました。blogを作る機会があっていろいろやっていたらおもしろくなってつい自分のサイトのテンプレートも作ってしまったというだけなのですが... データ管理の面ではやはり便利です。とはいっても過去の分を個別に登録し直す気力はありませんが...過去ログは月別に1ファイルにまとまっているので近々月ログの所にまとめる予定です。
やっぱりこのヘッダー、フッター、レフト、ライトに四分割された構造はどうも好きになれない+blogの強みである見知らぬ人との活発なコミュニケーションをする気が......ということであんまりblogっぽい展開にはならないと思いますが、しばらくはこれで行ってみたいと思います。

bgm: oval/szenariodisk

 
July 2004
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