近況

先日、Lの友人でつい先日までイラクにいたというDが遊びに来た。こっちではよくある、週末軍人みたいな人で(パートタイムで従軍する代わりに学費などを出してもらえる)、フセインの生まれ故郷である街で仕事をしていたらしい。イラクに実際に行った人と会うのは初めてだったので何となく不思議な気持ちだった。初対面だったこともあって、Dにイラクでの個人的な経験をいろいろ聞くのは憚れたのだけれど、でもとにかく、「無事でよかったね」というと、Dは「ありがとう。本当に、あそこで今起こっていることを考えると自分が無事に戻って来れたことはラッキーだったとしか思えない」と言った。彼の場合、最前線にいたわけではないし、事態が泥沼化してくる(まぁ、最初からずっと泥沼の中だったんだと言われればその通りなわけだけど)ちょっと前にサービスを終えた感じらしいので、そこまで身の危険を感じることはなかったらしい。でも...... 
本当に、言葉にならないものがいっぱいいっぱいあるんだろうなぁ、という感じがした。

それが先週の金曜日かな。その次の日、土曜日にLは引っ越してしまった。
前々から母親と一緒に住もうかなーという話はしていたのだけれど、とうとう決心したらしい。親友というほど近かったわけではないけれどやっぱり寂しい。Lは、まぁ、鬱だったりすごくエモーショナルだったりして、それが理由でカウンセリングにもずっと通っていて、その根本的な理由としてLが若い頃に経験した両親の離婚があるということを言われているみたいで、今回もう一度母親と一緒に住むことで、そういう離婚の経験からくるトラウマがちょっとでもやわらぐといいな、と思う。この辺はもう、本人の気持ち次第なのでどうしようもないことなのだけれど。

そして昨日は近くの教会であった「オーガニックガーデニング講習会」みたいなものに行ってきた。B街のコミカレの先生で30年近くオーガニックファーミングをやっているという人がオーガニックファーミングの心構えとかガーデンデザイン(パーマカルチャーそのものという感じ)をいろいろと話してくれた。おもしろかった。話を聞いた後、私もステチーももりもりと労働意欲が湧いてきて、この夏の畑計画とか立ててみたのだけれど、家に帰ってコンピュータに向かった途端、そのやる気は消えてなくなりました。いや、がんばるけど。とりあえず今年の目標は、去年ウサギに食べ尽くされた枝豆を死守すること。

ちなみに今日はいろいろと良いことがあった。
1. 未払い通知が来ていた留学生用の保険($470)がいつのまにか払ったことになっていたこと。
通知が来た時にはとてもじゃないけど払える状態ではなかったのでほったらかしにしていたのだけれど、大学側が分割でかってに引き落としてくれていたらしい。だからなかなかお金が貯まらなかったのか......
2. 教授がやっとグレードをくれたこと。
一年前に取っていたクラスの教授がやっとグレードを出してくれた。ペーパーそのものは夏休みあけに提出したのだけれど、教授がオン・リーブだったこともあって全然連絡がつかなかったのだ。先学期は大学院のルールがいろいろ変更になって、一旦withdrawされた教科については今後変更は効かないということになったりしたので、今回教授がなかなかグレードを出してくれなくて本当にやきもきした。これで晴れてコースワーク終了。

倦怠感の世代

ところでX generationの一世代後はYで、その後(現在の若者君たち)はPEPSIと呼ばれているらしいことご存じですか?

年齢的に言えば30歳前後がXのボトムラインで、25歳前後ぐらいがYで、20歳前後がPEPSIということになるらしい。
そんな話になったのはK、L、Mと一緒に「これまで何回バイトをくびになったか」という話をしていた時のこと。私もLもMもステチーもバイトをくびになったことなどない中で、Kだけが、くびにならなかったことの方がめずらしいという経歴の持ち主だった。フレンドリーで話がうまくてイージーゴーイングなKが、なんでそんなにいつも仕事をくびになるのか不思議だったけれど、話を聞いてみたらなるほどという感じ。哲学を専攻する学生にありがちなことだけれど、それ以外のことがとことんできない人らしい。自動車の修理工場みたいな所でバイトした時など、自分で自分を轢きかけたこと数回(どうやるんだそんなこと)、何もしてないのに全身油まみれになること数回、最後は雇い主も匙を投げて「K、君はいいやつだし、覚えもいいと思うんだけど、どうやったら君に仕事をさせられるのか分からない」と言われたらしい。
自動車の修理はできなくても哲学を教える職につけばいいじゃない、と言うと、「今でこそちゃんと教えているけど、ちょっと前まではそれすらもできなかったんだよ」とのこと。本を読んだり論文を書くことと、人にそれを教えることはKにとって(多分多くの人にとって)全く別なことらしい。詳しくは話してくれなかったけど、在学している大学での講師職もくびになる直前に自ら止めたような状況だったらしい(KはC市の大学のABDで、そこに講師職を持っていたのだけれど、LがB大に入ったために職を捨ててB街に移って来た)。

私たちがおもしろがって、「なんでそんなにいつもいつもクビになれるわけ?」と聞くとKは、「世代のせいだ!そうに違いない!僕たちの世代には古き良き労働倫理ってものがないんだ」となげやりになってわめいていた(笑)。そこでKって何ジェネレーションなんだっけという話になって最初の話に戻る。

もちろんKにしたってX generationといったネーミングがメディアによって生み出され、ある種のファッションとして商品化されていったことは百も承知だけれど、「でも僕らの世代に共通のある種の無気力さとか無関心さとか厭世観だとかはやっぱりあるような気がするし、それら全部が全部作られたものとも思えないんだよね」らしい。そして多分それは私やMの中にも共通して見られる性質のような気もする。ステチーは私より一回り上で、同じ厭世観とは言っても、どちらかというと60s的なそれに近い感覚の持ち主なのだけれど、60sのヒッピー的なそれとX世代の中産階級的なそれとはやっぱりちょっと違う。そして、もうちょっと下のサウスパーク世代(この辺がYなのか?)になると中産階級者の苦悩(サバーブ、新興住宅団地、人口自然、画一的な建物群、よい高校、よい大学、安定した生活、そしてサバーブ......どこまでいっても絶望的に平均的!)というものがさらに強く押しだされるようになってくるけれど、なんというかサウスパークが中産階級的なものに対する「嫌悪」だとしたら、Xはもっと緩くて......単に中産階級的なものに疲れているだけっていう気がする。サウスパークとか見ると疲れちゃうのはそのせいかもしれない。シニカルだけど熱さがある。その熱さが無気力世代には辛い。よくも悪くも疲れきった、倦怠感を伴った社会からの距離の取り方というのがX世代的なニヒリズムなのかもしれない。圧倒的にパワーレスなあの感じ。

まぁ、だからどうだというわけでもないし、私のなかにどのくらいX的なメンタリティが潜んでいるのかは分からないし、X世代的なメンタリティに何か可能性があるのか、といわれればそんなものは全くないような気もするのだけれど、ただ、バイトの話から思いがけずKやMとの間の共通メンタリティが見えてきたような感じでおもしろかった。ちなみにX generationギリギリ(というよりは彼は根っからのシンプソン世代で会話にシンプソンねたが出てこないことがない、というタイプの人なのだけれど.....)のMは超難関の奨学金を獲得してこの秋から一年ドイツに行く。「おめでとう」と言うとMは、「受かると分かるまではそれなりにドキドキしたりしていたんだけど、受かったと分かった途端、これからしなくちゃいけないいろんなことを考えたらどっと疲れちゃって......なんかまぁ、これで一年くびがつながったかなっていうくらいの思いしかない」と言った。私もアメリカに来ることが決まった時に、全く同じ気分だったというと笑われた。でもアメリカにもドイツにも希望なんてない、という実感は結構大切なんじゃないかと思うのだけれど。 

日曜日

昨夜はKの誕生日だったのでK&Lの所で一緒にブリトーを。おいしかった。
一時は妊娠によるストレスで二人ともぼろぼろだったけど、出産が近付いてくるにつれて随分落ち着いてきた感じ。妊娠を二人の共同のプロジェクトとして考えられるようになったのが変化のきっかけだったと思う。ある時期、Kは子供のことを思うあまり、Lの普段の生活にすごく細かく注文を付けだしたことがあった。あれを食べろとかこれは食べるなとか、あれをしろとかこれはするなとか。最後にはLがキレて、「私の身体のことにイチイチ口を出さないでヨ!」とか叫んだり。大変そうだった。正直、妊娠をきっかけに破局?とかいうような状況になりかけていたこともあったので、二人がまた仲良く楽しそうに子供の話をしたりしているのを見るのは嬉しい。
そしてKとLは先週結婚したらしい。もともとK&Lは、3月に結婚+パーティをする予定だった。でも子供ができたりKのお父さんが亡くなったりしたことで、計画自体自然消滅してしまったような感じだったのだけれど、とりあえず結婚だけはすることにしたらしい。おめでとー。

今朝は初めて行くダイナー「緑ミミズク」で朝ご飯。PYREXのプレートが使われていてちょっと感激。ちなみにこのダイナーはK&Lお勧めのダイナーで、ミミズクコレクションが所狭しとならんでいる。私たちもこの前サルベーションアーミーでみつけたミミズクの置物を持って行ってみた。

その後一旦家に戻ってから家主のBと一緒にB街のはずれにあるアンティーク屋さんに行ってみた。お店というよりは田舎の普通の民家なのだけれど、納屋と牛小屋いっぱいにアンティーク家具やコレクタブル雑貨がつめこまれていた。ただPYREXやFIRE KINGといった食器類は扱っていないとのこと。「私たちにとっては普段使っているものっていうイメージがまだまだ強くて、どうしてもコレクションする対象として見られないのよねー」とのこと。でも古いキッチン雑貨やボトル類がいっぱいあっておもしろかった。日本ですごい値段で取り引きされている古い牛乳瓶を何本か購入。「僕、昔牛乳配達していたんだよ。グラスジャーから紙パックに移行する時、それまで使っていたグラスは全部パイレックスみたいな大きな工場に送られて再加工されたんだけど、あれ、全部とっておいたら今頃大金持ちだよね」なんていう話もでてきたり。お店のオーナー夫婦はすごくのんびりした感じの人たちで、なんだかすごく居心地がよかった。売り上げには貢献できないけどぜひまた行きたい所。

愚痴

この前、夜「お腹減ったなー、ポップコーンでも作ろっかなー」と頭の中で考えていたら、向こうの部屋からステチーが「何?今ポップコーンって言った?」と話しかけてきたので驚いた。い....以心伝心?
その前には学校で「お腹減った、タコベル(タコスのファストフードチェーン)食べたい」と思っていたら、迎えに来てくれたステチーが、何も言っていないのに「帰りにタコベル寄る?」と言ってきたこともあったり。すごいのか恐いのか、単に私の行動パターンが単純なだけなのか(多分そう)。

TA日記となりつつあるD日記を全然更新していないのは、一緒に働いているTA約一名(男子)とうまくいかなくて毎日怒りに震えていて愚痴しかでてこないからです。特定の人に対してここまで強い怒りを感じたことはない。本当に。無能だとは思わないけれど余りに自分本位で融通が効かない上に自己を保身することしか考えていない。先日も、彼がやるべきことをやってこなかったが故に(もちろんそれは私たちの責任にされるんだけど)、やるはずだったミーティングを先延ばししないといけなくなったんだけど、その理由があまりにしょうもない上に彼の言葉が余りに侮辱的だったために、教授と話していて思わず涙がでそうになった。そして教授に慰められている私......なさけない。
あぁ、お願いだから自分の仕事に責任とプライドを持てる人と一緒に働きたい。でも彼みたいなタイプに限って生き残っていくものなんだよな。ホント、ここまでうまくいかないと、問題があるのは自分の方なんじゃないかと思ってしまう。もちろん私だって仕事ができるわけではないし、言葉の選び方だって問題がないわけではない。
でもいろいろ考えても、最終的に何が大事かっていったら、彼とうまくやっていくことよりも学生や教授から信頼される仕事をすることの方がずっとずっと大事なので、この際、彼のことは切り捨てるしかないのだという気もする。すべての人から好かれたいなんてこと思わないし。とにかく今は、早くこの学期が終わって彼の顔を見ないですむようになることだけを願っているような状態。

青い空とか死ぬことについてとか

すごい良い天気。
今週末はプログラム主催の学会があるのでその準備でバタバタ。
なんというか、音楽とか食器集めとかでもそうなんだけど、いったん火がついた時の私のパワーはすごいものがある。参考資料とかがすっと集めてがすっと知識を詰め込んで、短期間でぶあっと一定量のものを揃えて......やる気のなさにかけては人一倍な私のどこからそんなパワーが出てくるのか自分でも不思議だ。
それにしてもこのパワー、ここの所学問方面に関しては全く発揮されていないのだけれどどうしたものか。

先日亡くなったKのお父さんは60代前半だったらしい。微妙な年代かもしれない。一応社会的な領域から引退した後ではあるけれどまだ老後と言うには早いような。でもK曰く「最初はすごくショックだったけど、うちの父親、最近めっきり老けこんでいたから、時間が経つにつれ、何となく、あぁ、これが彼の人生だったんだな、って納得するような所もあって......」らしい。

同じようなことをたまに思うことがある。
例えば若くして亡くなった人に対し、寿命を全うできなかったとか、これからまだまだやりたいことがあっただろうに、というようなことを言う人がいるけれど、そういう言葉の背後には、平均寿命を基準に人生のステップ(幼年期、少年期、青年期等々)というものが設定されているように思う。若い人の死は、人生のステップを途中で踏み外してしまうことと同義で、その中途半端さゆえに、あるいはまだ見ぬ段階を抱えているがために悲しむべきものとされる。
でも、当たり前のことだけど、すべての人が80年分の人生を持って生まれてくるわけではないわけで、世の中には90歳まで生きられる人もいれば10歳で人生を終える人もいる。もし人生のステップというのが平均寿命を基準にした年齢区分によってのみ設定されうるものだとしたら、人は15、6歳(もっと上?)にならないと青年にはならず、30歳なりなんなりにならない限りは中年にならず、55歳なり60歳なりにならない限りは老年にならないということになる。つまり10年分の人生しかもたずに生まれて来た人は、人生の青年期や熟年期や老年期といったものを絶対に経験できないということになる。
でもそれは本当なのだろうか。
死ぬ直前の人が、突然すごく大人っぽく見えたり、何か悟りを開いたかのような意味深い言葉を口にしたりすることがある。後から思っても、なぜその人がその時に限ってそんな風に見えたのか、あるいはなぜその人の言葉がそんな風に聞こえたのか、うまく説明がつかないような。それは、死んだ人のことをずっとずっと考えているせいで、死んでしまった人のささいな行為や言葉に必要以上の意味を見いだしているだけなのかもしれない。人の死を自分なりに受け入れるための、どちらかといえば自分本位なプロセスに過ぎないのかもしれない。でも、人より長く生きることのできなかった人が、長く生きることのできた人より何か経験として欠いているのかと言われたら、やっぱりそれは違うと思う。10年の人生を持って生まれて来た人は、その10年間のうちで、80歳まで生きた人と同じだけのことを、多分、すごい密度でもって経験しているのかもしれないし、30歳で死んでしまった人は、それ以上年を取り損ねたのではなくて......じゃあ何なんだ、と言われるとうまく説明ができないけど、そしてやっぱり若くして死ぬのは辛いこともまた確かなのだけれど、でも、じゃあ80歳の人が死ぬ時に何も思い残すことがないかといえば、多分そうではないわけで、80歳の人が思い残したことと30歳の人が思い残したこととの間に違いがあるかといえば多分ないわけで......そして思い残したものの数と人生の密度とはまた違うわけで......

全然まとまらなくなってしまったけれど、こんな風に雲一つない青空の日に限ってつい死ぬこととかばかり考えてしまう私はやはり暗いのだろうか。でもこれって悩み多き年頃(もう過ぎた)を南国で過ごしたせいなのかもしれない。青空を見ると反射的に暗い気持ちになったり考え込んでしまったり。弱っていると特に、太陽の明るさについていけない。
というわけで、元気をつけるために今日はジャンク探しに行ってきます(逃避)。

 
April 2004
archives
categories
recent entries
recent comments
search
サイト内検索