一番大切な想い出

独りは寂しい。
時々そんなふうに感じさせられる人がいる。
もちろん人は誰だって根本的には独りなのだけれど、でも誰かと一緒に生活している方が合う人とそうでない人というのはいて、本質的に前者である人がやむを得ず独りでいるのを見るとちょっと切ない。おせっかいなのは分かっているけれど。

もう一年前のことになるけれど、日本で、二年ぶりにあった祖母は、信じられないぐらいに年老いていた。相変わらずせっかちでおしゃべりではあったけれども、なにか、生命力のようなものがどうしようもなく失われてしまっていた。料理や洗濯や掃除、その他、快適に生活する為のちょっとした作業に対する関心をすっかりなくしてしまった祖母に代わりに、私は買い物に出かけ、料理をし、洗濯をした。せっかちな祖母とスローな私は終止すれ違いがちで、会話にしたって、私が一つ答える内に、三つぐらい先に進んでしまう祖母とでは、噛み合ないことの方が多かった。それでも祖母は私のことを引き止めに引き止め、結局一泊の予定だった所を三泊もしてしまったのは、決して祖母の家が居心地良かった為ではなく、その引き止め方にどこか切実なものを感じてしまったからだ。

滞在中、祖母が宝箱を見せてくれた。
中に入っていたのは、祖母の長男、つまり私の父についての思い出の品々だった。学校新聞に父が書いた記事、父の名前や写真が載った新聞記事、通知表、写真、そして「サクラサク」の合格通知と祝電の数々。優等生で、良い大学を出て、今ではその大学で教授をしている彼女の息子は、はた目から見れば決して親思いには見えないけれど(とことん個人主義者なので)、彼女にとっては、ひょっとしたら自分の夫以上に、思い入れの深い存在であるのかもしれない。彼のすることはすべて、本当にすべて、彼女の誇りであり、喜びであり、生き甲斐であるように見える。
祖母には三人の子供がいるのに、彼女の宝箱には父についてのものしか入っていないということ、そのことを彼女自身が全く疑問に感じていないことが、私には不気味であったりするのだけれど、まぁ、それくらい祖母の父に対する思いが特別だということでもある。合格通知が届いた日のことを、祖母は繰り返し、繰り返し話してくれた。それは、彼女にとって、一流の息子を育て上げたという勲章であり、彼女の人生に意味を与える大きな出来事だったのだろう。
「本当に、人生で一番幸せな時だったね、あの時がね...」。

そのことを思い出したのは、東京の両親宅で是枝裕和の「ワンダフルライフ」を見ていた時のことだ。
今まで生きてきた人生の思い出のうち、一つだけもっていけるとしたら、祖母は、やはり合格通知を受け取った日のことを選ぶのだろうか。おそるおそる電報を開き、「サクラサク」の文字を見た瞬間のことを。丸刈りの父や彼の弟や妹のことを。親戚に誇らしい気持ちで合格の報告をした日のことを。それを人生の唯一の想い出として。

映画は死んだ人が死後の世界に向かう前に立ち寄ることになっている場所の話で、そこで死んだ人は生前の記憶の中で一番大切な場面をスタッフと一緒に映像として再現し、その想い出とともに、言い換えればその想い出だけ持って死後の世界へと向かうことになっている。雲の過ぎ去っていく様が最高に美しかった日のことを再現してほしいと言うパイロット。西洋風のしゃれたレストランで兄と一緒にダンスをした夜のことを再現してほしいというおばあさん。自分の女遍歴をスタッフに自慢しながらも、最後には女房との他愛もない日々の一瞬を選んだおじいさん。それぞれがそれぞれに思い入れのある一瞬を選びだしていく。
不慮の事故で死んでしまった中学生の女の子は最初、友達とディズニーランドに行ってサンダーマウンテン(そんな名前のアトラクション)に乗った時のことを再現して欲しいとスタッフに告げる。それがすごく楽しかったから。スタッフの女の子は「もうちょっと考えてみたら」とだけ言う。数日考えた後、女の子は結局「子供の頃、縁側で桜の花を見ながらおばあちゃんに耳かきをしてもらった想い出」を選ぶことにする。それが一番幸せな想い出のような気がするから。
例えば、ディズニーランドに行った想い出と縁側で耳かきをしてもらった想い出には質的な違いというのはあるのだろうか。どちらを抱えていく方がより幸せということはあるのだろうか。そして、祖母にとって、父の合格発表の日の想い出というのは、この女の子にとってのディズニーランドなのだろうか、それとも縁側で耳かきをしてもらった時のことなのだろうか。そんなことを思ったりもした。

のんべんだらりとした初夏の夜

ステチーが机の上にラムコークを置いていってくれた。
グラスが空になるのが厭で、どんどんラムを注ぎたしているうちにコークの味がしなくなってしまった。
一時期暖かくなったと思ったのに、最近はまた冬の終わりなのか夏の初めなのか分からないような変な天気。野菜の成長も思わしくない。虫が葉っぱを食べるスピードに野菜の成長スピードが付いていっていない感じ。そんな状態ではあるのだけれど、私とステチーは天気がいまいちなことを理由に一日中部屋の中に閉じこもり、自分のことに没頭する日々。農業をする人には絶対なれそうにもない。

ところでお酒を飲むと野菜が食べたくなる。しかも生のバリバリしたやつ。
もともと生野菜は好きで、サラダのボール食いとか結構やってしまう方だ。昨日も両手でやっと抱えられるくらいの大きなガラスのボールに山のようなパスタサラダを作った。パスタサラダと言ってもパスタは1/4ぐらいであとはとにかく冷蔵庫に残っていた野菜をすべて投入。ブロッコリー、アスパラ、ズッキー二、キュウリ、にんじん、トマト、チーズなどなど。それにとりあえずガーリックを混ぜておいて、あとは食べる時に好みのドレッシングを加える。オリーブと玉葱は食べられない人(ステ母)がいるのであとから加える。家で一番大きな鍋でマカロニを茹でて、一番大きなボールで作ったのに、一日中ことあるごとに食べていたら2日しか持たなかった。また明日作ろう。クスクスサラダも良いな。
最近の朝の定番はベーグルにアボカドをのせたオープンサンド。アボカドが安売りになっていたので。南国で暮らせたら、家の庭にアボカドの樹を植えて、毎日アボカド三昧というのは結構本気で考えていたりする。それくらいアボカドは好きだ。コスタリカに旅行に行った時は、本当に毎日食べていた。市販のサルサとあわせるとそれだけでお手軽ワカモレにもなるのでお酒のおつまみとしてもステキだ。

とか書いている内にラムも半分空いてしまった。
もう今日は文章を書く気分でもなくなってきたのでワードはそうそうに終了して、今はスタン・ゲッツなどをかけつつのんべんだらりとしている。夏、ボサノバ、ラムコークって、すごいバカンスっぽいなどとくだらないことを考えつつ。でも部屋には暖房が入っていて私はセーターを着ていたりするのだけれど。

 
June 2004
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