写真を撮りに

12月とは思えないほどの陽気でここ二日ほどはコートもいらないほど。
あまりに良い天気なので久しぶりに街角写真を撮りにでかけた。

B街は主要産業が崩壊後一気に寂れた、ある意味典型的なアメリカの工業跡街なのだけれど、おかげでというかなんというか、私の好きなどっしり重い近代的な建物の廃墟がいっぱいある。今回は以前から一度写真を撮りに行きたかったアンティークショップのストリートに出かけていって古ぼけたホテル跡や工場跡なんかを撮ってきた。フラフラしている内に、住居の並んだ一角に地下通路を発見。なんだかとても牛臭いそれは線路の向こう側とこちら側をつなぐペデストリアン用の通路だった。昔はたくさんの人が行き来していたのかもしれないけれど、今ではやたらと装飾的なコンクリートの外観が街全体の寂れ感を増長しているだけだ。経済的なシステムのことを考えると、この街がかつてのような賑わいを取り戻すことは絶対にないわけで、過去の栄光の残骸とかもう何もそこには戻ってこない空っぽな場所とかを日々見つめながら生活している地元の人たちは、やっぱり辛かったりするのだろうか... 

あと、B街の高校って、いかにも工業街の高校という感じで、ブルーワーカーの息子や娘がブルーワーカー的な労働倫理みたいなものを持って勉強しにきている感じの所で、というのは、まぁ、義務教育期間は最低限の勉強をしつつそれなりに恋人を作ったり同性の友達とつるんだりして楽しみつつ、卒業後は街のどこかの工場に入って父親のような職人になるっていう風な人生設計が教師にも生徒にもある程度受け入れられている(た)ような感じの所で、でもってそういうのって街自体に活気があって、産業の側が若くて安い労働力を必要としていた時代にはうまく機能していたのだけれど、一旦街の産業が崩壊するとどうしようもなくなっちゃって、結局今ではB街の高校は不良のたまり場、学級崩壊、ドラッグと飲酒、みたいなイメージでしか語られなくなってしまっている。去年アパートを探していた時に手伝ってもらった隣街の高校生がB高校のことを「こんな所にきちゃったらオシマイだよ」と言っていたことを思い出す。今B高校に通っている世代にとっては、高校の現状とか街の経済状況とか父親が失業していたりすることとかをつなぎ合わせて見ることは難しいのかもしれないけれど、でも、高校を出ても何もないとか、この高校に来てしまったら、あるいは高校時代に遊んでしまったらもうやり直しが効かないとかいう漠然とした行き詰まり感みたいなのはあるのかもしれなくて、そういうのって何だか、どうしようもないだけに、すごく切ないと思ってしまったりする。

posted by f at 2003/12/30 2:38
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