反戦とか教えることとか

日曜日はプラネタリウムでステチーのライブ。
プラネタリウムは美術館の一角にあるのだけれど、昨日は丁度美術館のオープニングと重なっていたので観客の数も普段より多かった。ただ、美術館側とプラネタリウム側のやり取りがうまくいっていなくて、プラネタリウム側から演奏してくれと頼まれたはずのステチーが美術館側からひどい対応をうけたりも。
展覧会はB街ではめずらしく現代美術作家の新作を集めたもので、9.11に対するリスポンスというテーマ。作品はほとんどがペインティング。ドローイングやスカラプチャーも数点。
どういう基準でアーティストを集めたのかは分からないけれど、個人的にはあまり良い展覧会だとは思わなかった。まず、どういう基準でアーティストを集めたのかが全く分からないという時点でキュレイター失格だし、キュレイターの個々の作品についての説明が作家のそれとかみ合っていなかったり、とってつけた感じだったりするのもなんだかなぁ、という感じ。集められた作品そのものの質もあまりよくなかったし、それよりなにより、作家のステイトメントのほとんどが、もうどうしようもなくダメだった。
「僕がやっているようなことの正当性はきっと近い将来認められるに違いない」とか。
「コンピュータが現在のアンチ・ヒューマニスティックな動きを助長している」とか。
やっぱりコンセプトがしっかりしていないものは弱い。なぜ描くのかとか、どうしてこのやり方を取るのかとか、時代性とか、そういうものをきちんと考えている人のものには、どこか人を惹き付ける力がある。何かを作るという仕事には、できあがったものの背後に、できあがったものの内には必ずしも現れてこないような膨大な時間と思考の蓄積があるのであって、その部分を、見えないからといってないがしろにしては、良いものは絶対に生まれない。


話は変わって...
アメリカの教育システムにも良い点と悪い点、両方あるのだけれど、少なくともこちらに来て良かったな、と思うのは、自分で授業を持つ機会を与えられたり、教えるための技術を周りの教授から学んでいる時だ。こちらに来て以来、日本の大学では出会ったことのなかったような、本当にすばらしい学部向けの授業をする人たちと知り合って、いろんなことを学んだ。ちなみに大学院教育という点では日本もアメリカもそんなに変わりはないと思う。ただ、大学教育の一番大事な部分である(と、思う)学部向けの授業の質...というか、学部向けの授業に対する態度という点ではこちらの方が上ではないかな、と思う。もちろんどうしようもない先生もいることはいるんだけど、すごい先生は本当にすごい。目の覚めるような授業をする。あと学生に対する態度という点でも学ぶことは多い。
なんてことを考えたりするのは、実は、今TAしているクラスの雰囲気がどうもあまりよくないせい。短期契約で派遣されてきた教授はいつも学生に対して文句ばかり言っているし(学生の目の前ではさすがに言わないけれど)、TAも、それにつられて学生のネガティブな側面ばかり取り上げようとする。確かに学部の必修クラスだと、学生のモチベーションも低いし不真面目な学生も多い。でも、私にしてみれば、B大の学生は、さすがにパブリック・アイビーと言われるだけあって、すごくレベルが高いし、真面目な学生もできる学生も少なからずいると思う。学生のモチベーションを上げて引っ張っていくのも教える側の役目だとも思うし、少なくとも授業で見られる学生の限られた側面だけをもってして、その学生の能力を判断することはできない。
それに、クラスの大小に関わらず、できる学生っていうのは全体の10%未満、というのは、まぁ、ほとんど定説みたいなものだと思う。200人のクラスだったら20人。50人のクラスなら5人。真面目に授業を受けて、きちんと学んで、それなりの成果をあげられるのはそれくらいの人数しかいないのであって、残り90%にこの10%の人たちと同じことを求めても無理だし、そもそも残り90%の人たち全員ができる10%のうちに入りたいと思っているわけでもないのだ。教える側としてはつい学生全体にトップ10%の人たちと同じだけの努力や勤勉さや成績を求めがちだけれど、そういう授業のしかたは結局の所、クラスの大半の生徒を無視したものになりかねない、ということも分かっておいた方が良いのではないかと思う。
あと、これまでの経験でなんとなく思うのは、たとえ理由なんかなくても、こちらが学生のことを尊重して、そのポテンシャルを認めているということを示すことで、学生の教える側に対する態度も大きく変化するということ。教える側が「あなたたちには何も期待していない」という態度を示せば、学生はそれを敏感に感じ取ってネガティブな反応を返してくる。なんというか、こういうやり取り自体子供じみているように見えたりもするのだろうけれど、でも、教える側と学生とをつなぐ接点が少ない(「必修科目だから」といった)場合には、こういう所でお互いの信頼を作っていくしかないのだと思う。それに一旦、気持ちの上での信頼関係を作ることができれば、学生は何も言わなくてもついてきたりするわけで、そうするとクラス全体の雰囲気も良くなっておもしろい議論が飛び出してきたりするわけで......
と、いったことを書いている途中でオフィスをシェアしているTAの一人がやってきて「今、教授にも相談して来たんだけど、学部生のライティングが全然ダメなのよ。どうやって評価しろっていうのかしら」と言いながら去っていった...... でも、そういう時、それぞれのライティングに適切なコメントを返しながら、必要な場合には書き直しさせたりして、学部生の為に努力するのがTAの仕事であって、たった一度のアサインメントで学生の能力に見切りをつけるなんてとんでもない、と、私なんかはつい思ってしまう(そして自分の仕事を増やしてしまう)のだけれど、彼女にとっては一つ一つのアサインメントを完璧にできない学生は単に面倒でお荷物なだけなのかもしれない。 余りそう思わないように努力していたのだけれど、彼女の話を聞いていると、どうしても彼女よりも彼女の学生に同情してしまう...... 

posted by f at 2004/02/09 23:42
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