一番美しい夏

明日から病院へ戻る母親と一緒に買い物に行く。
石けんと、ちょっとした食料品、和菓子とアイスとすいかを買う。
家に戻ってお茶を飲みながら、さっき買ってきたアイスを食べる。
母と娘が共にすごす最期の一日としてはできすぎたセッティングだ。


友人から「一番美しい夏」のDVDをもらった。彼女の友人であるジョンさんが愛知の田舎で撮った作品で、海外の映画祭でいくつか賞を貰ったりしている。友人もスタッフとしてこの映画づくりに参加していた。私はこの映画が上映される前にアメリカに発ってしまったし、我が家にはDVDがないので、まだ見ることができずにいるのだけれど、めったに映画など見にいかないうちの母親は、この映画をとても気にいっているらしい。


上野千鶴子は、『ミッドナイト・コール』において、「愛してはくれないけれど理解のある親」と「無条件に愛してくれるけれども子供のやっていることに対して全く理解のない親」のどちらが良いだろうか、とつぶやく。上野千鶴子いわく、彼女の母は後者で、自分の娘が何を思って研究者になったのか、なぜフェミニスト・セオリーを研究するのか、そんなことは全く理解せず、あるいは興味すら持たず、でもそんなことは関係なく彼女のことを愛してくれた、という。でも彼女自身は、孤独な研究者生活において、身近な人間の理解というものを心のどこかで必要としていたから、母親の無条件な愛よりも理解を求める傾向があった。逆に彼女の友人の母親は前者のタイプで、自分の娘の人生設計を理解し、助言し、応援もしてくれるけれども、それは愛情ゆえにというものではなかったという。最終的に、上野千鶴子は、自分の娘であるというだけで、自分の理解を越えたような行動も人生設計も無条件に受け入れて愛してくれる母親の方が、理解はあっても愛のない親子関係よりは良いのではないか、と考える。たしかそんな内容だったと思う。

私の母親は、多分ごく最近まで前者のタイプだったように思う。あるいは、少なくとも、理解しようと努力していたし、理解が愛することへの一歩だと考えていたように思う。でも、理解しようとしても、彼女には結局の所、私の行動の真意が全く理解できなかったので、私と彼女の関係はどんどん悪化していった。
彼女は、私が彼女の見ていない所で、彼女の理解できないようなことをすることを恐れ、私を眼の届く所にとじ込めようとしたし、私はそこから逃げることばかり考えていた。

つかみどころがなくて、意味不明で、いつまでも非社会的な領域に留まっている娘を、結局の所そのまま受け入れるしかないのかしら、と、彼女が諦めたのは、多分ごく最近のことだと思う。彼女にはなぜ私が哲学なんてものをやっているのか、なぜ環境や科学的知の問題に興味を持つのか、なぜ朝ご飯が食べられないのか、なぜ朝方になるまで寝られないのか、なぜアートをやったり雑誌を作ったりするのか、なぜわけの分からない音楽を聴き、わけの分からない展覧会に出かけていくのか、なぜ着飾ることには興味がなくて、そのくせ本や映画に膨大なお金を費やすのか、結局の所わからない。多分それは、私自身にも分からない。

でも、いつのころからか、理解することを諦めた彼女は、妙にさっぱりとした顔になって、「何でこんなことするのか全然分からないわ」といいながらも、個展を見るためだけに飛行機に乗って福岡までやってきたりするようになった。インタビューや展覧会についての記事に眼をとおし、そして「やっぱりさっぱり分からないわ」といいながら帰っていった。


「でも、その映画は本当によかったのよ」と、私が貰ってきたDVDを前にして彼女は言った。
「なんというか、あなたの作るものと似ているような気がしたの。最初はよく意味が分からないのだけれど、しばらく見ているとなんだかとても懐かしい気持ちになるの。それがとても似ていると思ったの。」
それはシンプルな言葉だ。彼女が私を理解するために、年間100本以上の映画を見、同じくらいの数の展覧会を見て、それ以上の数の本を読むタイプの人間であれば、きっとこんな風には言ってくれないと思う。でも、私は彼女のシンプルな感想をとても嬉しいと思ったし、彼女の言葉に救いを感じたりもした。過程はどうであれ、30年近い年月をかけて私たちがたどり着いた関係というのがそこにはあって、多分それはとても喜ばしいことなのだろうな、と思ったのだった。

posted by f at 2003/07/08 0:51
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