ノストラダムスとタイプカプセル

知り合いにいつもすごく長期的なプランを持って生活している人がいて、すごいな、と思うのだけれど、私はとにかく計画をたてるのが苦手だ。一日の計画ぐらいだったらまだしも、一ヶ月先の計画とかとてもじゃないけどたてられない。現実味がない。小学生の時、クラスでタイムカプセルを作って埋めた時に、20才の自分への手紙みたいなのを書かされたのだけれど、何を書けばいいのかさっぱり分からなかった。それは20才の自分をイメージしにくいというよりも、8年後(タイムカプセルを作ったのは12才の時だった)の世界に自分が存在していることを信じることができない、という方に多分近い。

以前、母親が「そういえばT(弟)は、2000年に地球は滅びるってずっと信じていたんだってよ。」と言っていたことがある。彼女の話によると、弟の小学校の時の担任の先生が、くり返しくり返しノストラダムスの予言について話す人で(どういうやり方だったのかは分からないけれど)、幼かった弟はいつのまにか、心のどこかでそれを真実と思い込んでしまったらしい。「どうせ全部なくなるんだと思ったら勉強もなにもする気にならなかったんだよね」と言うのを聞いて初めて、母親は弟のそれまでの行動を理解できた気がしたらしい。「でもそんなこと子供に言うなんてひどい話だと思わない?夢も希望もなくなっちゃうじゃないねぇ」と、母親は憤慨したような様子で言った。夢とか希望といった言葉を口にする人ではないと思っていたのでなんとなくおかしかった。

ノストラダムスの予言は別に信じていなかったけれど、ある時点を越えてなお生きている自分を想像できないという感覚はよく分かる。ワーカホリックな仕事人間が定年後の自分を想像できない、というのも、形は違うかもしれないけれど似たような感覚なのかもしれない。
それにしても、何ごともなく2001年になってしまった時、弟は何を思ったのだろう。世界は滅びず、自分はこれからも生きていくようだ、っていうことを認識した時の気持ち。それよりなにより、弟が大学で哲学なんかを専攻していたのは、どうせ全部なくなるんだからっていう投げやりな気持ちからだったのか、と思うと微笑ましい。

ちなみに私が、これからも生きていくということを強く意識したのは18歳の時だった。いろいろなことがあって、最終的に、どうやら私はこれからも生きていくらしい、と気付いた時の衝撃を今でも覚えている。それまで20才の自分とか30才の自分とかイメージしたこともなかったのに、その時に初めて、私は多分これからも生きていくし、そうするといつか20才になり30才になり、ということは、やがて仕事をしたり家庭を持ったりすることになるのかもしれない、ということを考えた。その時の正直な気持ちは、やばい、だった。不思議なことかもしれないけれど、本当に、それまでそんなに先のことを考えたことは一度もなかった。どうやら生きていくらしいということが分かってからも、どうやればこれからも生きていくことができるのか、その方法が分からなくて、生きていく為にこれだけは必要と思われることをいろいろ箇条書きにしたりしていた。そしてその結果芸術系の大学に行くという、極めて過った選択をしてしまったわけだけれど(笑)。そして今は哲学だなんて! 人生誤りすぎだと思う、ホント。

posted by f at 2003/12/16 2:28
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