緩やかな墜落、夕食にはTamaleを、トマトソースで

四季のある生活って好きだ。
四季までいかなくても、とりあえず夏と冬が存在するところで生活したい、とは思う。
気候の変化によって生活にメリハリが生まれるし、夏と冬とで生活の形式をかえることによって、一年が実り多きものになるような気がする。
例えば夏は外で畑仕事、冬は部屋にこもって論文書きみたいな感じで。
そういう意味では、アップステイト・ニューヨークでの生活は嫌いではない。
雪が多くても、外に出る必要もなく、外で働く必要もなければ、気持ちを切り替えて部屋での作業に集中できる。普段時間をかけられないような家の中のことをいろいろやってみたり、これまで腰を落ち着けて勉強する機会のなかったようなことに手を出してみたり。できることが限られている生活での方が、創造性が高まるなんてことはよくあることだ。


ちなみに、私は多分どちらかというと限りなくテンションの低い性質で。
わーっとはしゃいだりとか、突発的に怒りだしたりとか、大声出して笑ったりとか、ワンワン泣いたりだとか、そういうことはめったになく、自分にとっての平均か、それよりちょっとしたぐらいのテンションをキープしたまま毎日を過ごしていることが多い。

普段安定している分、何かの拍子にテンションに変化が加えられると、後々までその影響を引きずったりもする。例えば、さっき泣いてて今笑っているなんていう状態は、私の中ではありえなくて、一旦テンションが下がって泣きモードに入ってしまったら、今日も明日もメソメソ、そのまま出口なしの鬱状態とかに入り込んでしまう。それをまた普段の状態に持っていくのに一苦労。感情の起伏が緩やかな分、落ち込みにも、そっからの立ち直りにも時間がかかるのだ。

そのせいか、自分の感情なりなんなりに変化を与えるような外部的要素を極端に排除しようとする傾向があるような気がする。人付き合いを避けようとしたり、外に出るのを避けようとしたりするのも、そのせいかもしれない。

それは多分変化を嫌う、とかいうこととは別で、一方では常に何かおもしろいものとか新しいものとか、興味の対象を探していたりもするし、知らないことを知るということは常にエキサイティングなことでもある。ただ、多分、自分がコントロールできないような外的要素あるいは感情の変化について極端に敏感なのかもしれない。

恋人や友人との時間は、すごく穏やかな、居心地のよいものではあるけれども、それでもやっぱり何かの拍子に自分の感情をひどくかきみだされるようなこともおこるわけで、そういう時には、やっぱり、あー、一人だったらこんなどうしようもない状態にはならないのに、なんて思ったりもする。ある意味、自分の感情だとか精神のすべてを自らコントロールできるような状態においておきたいのかもしれない。とかいうとすごい理性的な人間のよう。

というか、最近痔っぽくて、お尻がいたい。ちゃんとした椅子を買おう。

posted by f at 2003/01/15 15:43
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