albuquerque, new mexico

ニューメキシコのアルバカーキで会ったロバートは不思議な人だった.
私の中にはかなりステレオタイプなムスリム感というのがあるのですが(いかんな,そんなこといっちゃ...),彼はそれとは反する‘いい’ムスリム(笑)で...っていうかアメリカ人なんだけどね.
そもそもは中東出身らしく16の時に半分家出みたいな形で片道切符を持って中東に渡り,半年間放浪していたらしい.
その後アメリカ合衆国(以下アメリカ)に戻ってきてアラスカで大学に入り,10年ぐらい学生していて,あと一つレポートを出せば卒業といっていました.

アルバカーキでは私が泊まっていた安宿で働きながらレポートを書いていました.アジア史が専門らしく(アメリカではアジアとアフリカ現代史専門の人たちと会う機会がすごく多かった.なんでみんなその辺の地域に興味持つんだろう...),台湾にも結構長く住んでいて中国語はペラペラなんだそうです.
んでもって,彼とアメリカにおけるアラスカの位置みたいな話をしていて...というのも私はなぜかアラスカに対してすごく漠然とした憧れがあるからなんですが...彼もアラスカで大学いった理由の一つはアメリカであってアメリカではないっていうイメージのあるアラスカに対して憧れを持っていたからなんだそうです.
私はアラスカ人(と自分のことを呼ぶ人)には直接会ったことはないんだけど,アラスカに住んでいる人たちってやっぱりある意味特殊なんだそうです.
そもそも彼/女らは自分達の事をアメリカ人とはいわないし,沖縄の人が沖縄以外の日本のことを本土と呼ぶように彼等もアラスカ以外の地域のことを"the lower"と呼ぶし."the lower"っていう呼び方は,もともとは単に地理的な所からきたのでしょうけど,今ではアラスカを他から区別するポジティブな意味で使われることが多いようです.
住んでいる人ももともとそこに住んでいたネイティブの人たちと他の州から移住してきた人たちなわけですが,ネイティブの人たちはもちろん迫害されてきているわけだし,今だってアメリカ国内のネイティブ・アメリカンの置かれた境遇と比較してもかなり最低限の生活環境に置かれているわけですから自らをアメリカ人と単純には同一視はしない(できない)わけだし,移住してくる人たちにしてもその理由として最も多いのは,いわゆるアメリカというものに嫌気がさして,もしくは同化できなくて(でも同化しろという強制力みたいなものを感じたりして苦しくなって)そこから逃れたいっていうことらしいです.
で,アメリカに入れなかった人たちによって構成されているわけだからアラスカはアメリカの一州でありながらアメリカではない独特の雰囲気を持っているわけです.
それにここでは完全に他人とか地域社会とか消費社会とかから切断された環境で生きることが可能な部分があって,そういう所に身を置く人たちとか身を置いてみてそのまま狂ちゃった人たちとかが森深い所に生息しているわけです.そういう人たちのことを「森の人々」と呼ぶらしい.ある意味宮崎はやおの世界のようですね.
っちゅうわけで,結局この夏アラスカには行けなかったんだけど,ますます行ってみたくなりました.
アラスカ...
実はアラスカの大学に行ってみようと思って探していたんだけど(授業料安いしアメリカから補助とかでるし),哲学で博士過程のある所がなかったんですね.でももっと探してみようかな.

posted by f at 2001/08/07 2:53
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