過疎地、魚、水っぽい乾き

久しぶりに「ラブ・セレナーデ」(1996年、シャリー・バレット)を見た。
オーストラリア映画で、個人的にとても愛着がある一本だ。
何度も何度も見たので、一時はセリフも暗記していたほど。それくらい好きだ。

この映画が私にとって特別な理由の一つは魚だと思う。
魚が出てくる。
なんでなのか自分でも全然わからないのだけれど、魚が出てくる映画が大好きだ。
その意味では、エミール・クストリツァの「アリゾナ・ドリーム」なんか、もう、涙がでるくらい好きだ。
なんてったって魚が空をとぶ。
魚の数を数える男。魚の内臓を膨らませて遊ぶ子供。砂漠をゆらゆらと魚が飛んで、雷雨の中、亀がノソノソと去っていく。
全体に流れる水っぽさがたまらない。

「ラブ・セレナーデ」はクストリツァの作品ではないけれど、同じような水っぽさに包まれている。
茶色く濁った川の中でうごめく魚たち。薄暗い中華レストランの水槽。エラ男のヌメッとした喋り方。オーストラリアの、何にもない砂埃にまみれた退屈な町の風景を包み込む湿っぽい夕日。色みを欠いた町並みと、そこでくり返される日常。
どうしようもなく閉ざされた感じとか、鬱屈した空気とか、後ろ向きなダサさとか、そうとは気付かぬ内に次第に狂っていく生活の細部なんかが、映像の端々からジワジワとひっきりなしに滲み出してきて、画面全体を覆っていく。それはもう、ただ、水っぽいとしかいいようのない絶え間なさとつかみ所のなさでもって常にそこにある。
決して若くはない中華レストランの主人が、店のドアから出てきて、人通りのない街路に店の看板を立てかける。頑丈そうではありながらもくたびれた感の否めない主人のまるっこい背中を夕日が赤く照らし出す。やがて急激に色を失っていく夕日の下で、彼も彼の店も、町並みも、一様に色を失い溶け合っていく。その風景を前にするといつも涙がこぼれてしまう。

最高の泣き映画だと思うんだけど、この映画を見て泣いたという人とはこれまで一度も会ったことがない。
というか、これ、「オーストラリア発、おしゃれでかわいいブラックコメディ!」みたいな売られ方していたやつだしね。
魚好きとか、南国田舎育ちとか、水っぽい風景見ると死にたくなるとかいう人にはお勧めです。多分。

posted by f at 2003/08/13 3:11
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