ヴェンダース ナイト

おとといの夜,ヴィム・ヴェンダースを3本見ました.『パリ,テキサス』『都会のアリス』『アメリカの友人』です.
3本続けてみてみて,彼が撮ろうとするもの,というか彼に映画を撮らせる衝動みたいなものはずっと一貫しているんだなあ...ってことをしみじみと感じました.
やっぱり根底にあるのは自己の存在の不確かさみたいな問題で,彼の映画に出てくる人たちってみんなある意味他者との関係を取り結べない人たちばかりなんだと思う.
『パリ,テキサス』でトラヴィスにしろジェーンにしろ...自分のことを語る時には絶対に相手のことを見ないっていうのは,その事をすごく端的に表現している気がします.彼等にとって語りかける対象は,彼等の目の前にある絶対的な他者としての誰かではなく,常に自分の中に,自分のイメージの中に回収された誰かでしかないわけです.『都会のアリス』で映画に出てくる人たちの会話が全然かみ合っていないのも,みんながみんなちゃんと会話の対象としての他者と向き合っていないからで...
そうなってしまうのは,絶対的な自己があるからではなてむしろ反対で,つまり自己の存在があまりに曖昧で,そうであるがゆえに自己を映し出してくれる他者や自分をつなぎ止めてくれるルーツみたいなものが必要になるんだけど,そんなもの実際には存在しないし,「これがそうなのか?」と思った瞬間に自己を徹底的に破壊されちゃったりもするわけで...そんなこんなで『アメリカの友人』になると,アメリカからやってきた不可解な人物によって自分のあり方みたいなものが思いもかけない方向へとどんどん変えられていっちゃうようになるわけです.
主体のあり方とか,自己を確立する自由とか...そういうものの危うさみたいなものをかいま見せてくれる映像たちでした. 

posted by f at 2000/07/08 2:03
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