What's Eating Gilbert Grape, directed by Lasse Hallstrm

 主人公ギルバートは,アメリカ合衆国の田舎町に家族と一緒に住んでいる.父親はかなり前に何の前触れもなく自殺し,母親は以来家から出ようとせず,精神的疲労で歩くことさえままならないくらいに太ってしまった.弟は知的障害を持っていて目がはなせず,彼は実質上一家の主人であった.そんな彼は町に一件のスーパーで働きながら,幼馴染みの友人達といつものカフェで雑談したりスーパーのおとくいさんと不倫したりしながらごくごく普通に生きている.すべては小さな町の中の閉ざされた世界の中の出来事で,彼は自分はどこにも行けないことをすでに知ってしまっていて,その閉ざされた世界の外に憧れながら,自分の日常を生きている.一方で彼は,自分がどこにも行けないことの理由を家族といった彼を縛るものに求めているのだが,もう一方ではしかしこの閉ざされた世界以外に自分が存在できる場があるとも思えずにいるのである.
 そんな閉ざされた彼の日常に外部からの侵入者(キャンピング・カーで生活しながらアメリカ中を旅してまわっている女の子とそのおばさん)がやってきて事態は一変する.彼女は彼にとって自分が縛られている様々な物事から解放された正に自由の象徴的存在であり,また自分を自由にしてくれるかもしれない救世主である.同じ時期,町にも様々な変化が起こる.大手のスーパーが建設され,ハンバーガーのチェーン店が出店し(こういったものは全部町の近代化を象徴するもの),幼馴染みはサクセス・ストーリーを夢見てハンバーガー店の販売員になったりする.かつて彼に対して「あなたは絶対に町から出ていかないから(不倫の相手に)選んだのよ」ってなことを言って彼をどうしようもなく絶望的な気持ちにさせた不倫相手も夫の死によって閉ざされた田舎町を去っていく.
 やがて彼の母親が死に,彼をその場にとどめようとする状況がすべて消え去った時,彼は鞄一つをもって弟の手をとり,解放の女神と自由の象徴であるキャンピング・カーに飛び乗って閉ざされた世界を脱出するのである.ある意味一昔前のロード・ムービー的展開である.
 しかし重要なのはこの"脱出"が映画のエンディングになっているという点かもしれない.
 多分彼は,定住することのない旅の連続に疲れ果て,一時は自由の女神であった恋人との関係も崩れ,どこか都会で定住しアパートを借りて定職につき(販売員かもしれない),弟と一緒に生活していくことになるのだろう...そんなことを想像してしまうエンディングである(勝手すぎる憶測?).多分そんな未来しかないことは簡単に予想でき,しかもそうであるがゆえに映画はそれ以前の段階で終わりを迎えるのだが(それ以降の展開は映画となるにはあまりにリアルなのである),と,すればこれはこれまでのロードムービーではなく,新しい要素を含んだものであるとも考えられる.それはつまり今ここにある状況からの脱出は,今だにある可能性を内包した自発的行為ではあるのだが,その後に辿り着くべき場所を示すことはもはや不可能であるという点においてである.ギルバートを閉ざされた世界に縛るものは,家族であり家族という神話であり,田舎町での閉ざされた人間関係であり,彼がそれを義務と感じるところの様々な既存の慣習や制度である.それは実際の所,この閉ざされた世界の外部にも同じようにはりめぐらされており,一時期の快楽や快楽的現象によって紛らわせるすることはできるかもしれないけれども,決してそこから完全に解放されることは不可能なものである.結局新しい世界も安住の地も存在はしない.しかし常に今ある状況から脱出し続けることぐらいはできるのかもしれない.そしてそのことによって自らを今ある状況にとどめようとする様々な力作用の存在をしることぐらいは可能性として残されているのかもしれない...
 こういう映画を見ながら最大限ポジティブに考えようとすれば...多分そういう所に行き着くだろう. 

posted by f at 2000/11/08 1:32
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