戦争、世界、個人的な傷

例えば、私は中島みゆきなら初期がすきなタイプです。
自己の醜さだとか欲求だとかと悶々と向き合ってみたり、漠然とした満たされなさ加減だとか、社会に対する行き場のない憤りだとかと格闘する、そういう方に共感を覚えてしまう方です。言い方を変えれば、妙に何かを悟りきったかのように、すっきりとした顔で世界だとか未来だとか人類愛だとかを歌われても困る。というか、さっぱり。そんな感じなわけです。
世界よりも、個人の内に潜む、超私秘的な問題と言うか暗闇の方に向かってしまうし、人類愛なんかより、日常生活に渦巻く歪んだ嫉妬心だとか醜い駆け引きだとか、あるいはそんな中に降って湧いたかのようなさり気ない美しさに惹かれるわけです。

そんな私にとって、ポランスキーの「ピアニスト」は、アートハウス系の映画で名をあげた映画監督が年老いて、ちょっと感傷的になって国や世界に対して自らができること、映画史における自分の役割とかを振り返り、壮大なテーマに挑んでしまった、その結果生まれたナイーブで正当すぎるほどに正当な戦争映画、という気がします。


ポランスキーが、こんなハリウッドチックな、分かりやすいヒューマニズム映画を撮るとは思わなかった。これが映画を見終わった私と友人、共通の感想でした。脚本も構成も、それなりにすばらしい。画もパワフル。涙を誘う場面もあれば、思わず笑っちゃうような所もあり。映画としては十分合格点です。

それでもどこかすっきりしない... ポランスキーが第二次世界大戦中のユダヤ人問題について撮ったという話を聞いた時から心のどこかにあった不安が適中してしまったかのような、居心地の悪さ。

もちろん、構成上、この映画をいく通りかの、異なった仕方で解釈することも可能といえば可能ではあります。ただ、もしポランスキーが単なるヒューマニズム映画以上の何かをこの映画に込めようとしたのであれば、後半部分、いや、最後の最後、テロップの部分は余分でした。


映画は、ナチのユダヤ人政策に翻弄される一人のポーランド系ユダヤ人ピアニストの半生を描いたものです。ワルシャワのゲットーへの強制移動、劣悪な環境での生活、日々強まる圧力、SSの横暴、生き延びるための努力、強制収容所への移動、家族との別れ、強制労働、親ユダヤ派の友人、潜伏生活、飢餓...

ナチによるポーランド系ユダヤ人の迫害をリアリスティックに描く前半部分に対し、映画の後半部分ではピアニストとナチ将校との、極限状態における密かな友情がテーマになります。戦争が終わる直前の数週間、廃墟となったゲットーで潜伏していたピアニスト。食料をあさり、さまよっていたピアニストを発見したナチ将校。将校は、ピアニストを見逃し、そればかりか食料を渡し、彼の潜伏を手助けします。冷血非道なはずのナチ将校が見せる人間らしい側面。それは、戦争という極限状態、人と人とが互いに殺しあう状況下であってもなお、人間らしい思いやりや心のふれあいが可能になる瞬間があるということを示しているかのようでもあります。

将校の行為に「感謝の言葉もない...」とつぶやくピアニスト。
確かに美しい話です。感動的な話です。
でも、どこか陳腐な気がしてしまうのは私だけでしょうか?

飢餓状態で、骨と皮だけの状態になったピアニストにとって、将校から与えられた食料は、確かに価値あるものでした。彼は将校の助けなしでは生き延びることはできなかったかもしれないし、そういう意味では将校は確かに一人のユダヤ人の尊い命を救ったわけです。
だけど、同時に彼は、何千、何万というユダヤ人を、直接的にではないかもしれないけれど殺してきたわけです。

ピアニストに食料を届けた後、指令本部に戻った将校は何枚もの書類にサインをします。もしかするとこの書類はある地域のユダヤ人を強制収容所送りにするための書類かもしれない。もしくは、収容所のユダヤ人を大量に殺害するためのものかもしれない。彼が一枚サインする毎に、1000人のユダヤ人が収容所に送られるのかもしれない。そういう可能性を考慮してもなお、将校がピアニストに行った親切を賞賛することはできるでしょうか?


例えばあなたが道を歩いていて、突然車に連れ込まれたとします。あなたを連れ去ったのは有名な窃盗グループで、彼等に連れ去られた人々は、身ぐるみはがれた後残忍な殺され方をするということで有名です。車の後部座席に押し込まれたあなたは、頭に銃を突き付けられたまま身動きもできない状態です。やがて町外れの人っ子一人いない場所で車は止まり、あなたは車の外に出されます。盗賊たちはあなたの持ち物を奪い、洋服をはぎとっていきます。100%死を意識したあなたは、呆然と乾いた大地に座り込み、頭に突き付けられた銃口が火を吹くのを待っています。あなたの所持品すべてを奪い取った後、窃盗団は再び車に乗り込みます。あなたの頭に銃口を突き付け、周りを見張っていた男は一言「このことは誰に言うな」と言い、銃をしまおうとします。その瞬間あなたの口からでてきたのは、あなたを撃つことをやめた男に対する限りない感謝の言葉でした。

誰でも、状況が自分が思っていたよりも良い結果に終われば、例えそれがどんな理由であるにしろ、ある程度の満足感を味わいます。そして、人は、「自己の死」という最悪の状態が避けられない状態におかれた場合に、何らかの理由によってこの最悪な結末が回避された時には、多大な安堵感あるいは幸福感を味わい、それをもたらした相手に対して感謝の念を覚えるわけです。少なくとも一時的には。
例え相手があなたを誘拐し、身ぐるみはいだ後に誰もこないような所に放置した人間であっても。例え相手があなたの両親を、家族を、友人を殺した人間であっても。例え相手が、あなたから穏やかな生活や、さりげない日々の喜びや、愛すべき仕事や、人々とのふれあいを奪った人間であっても。例え相手にとって、あなたを殺さないという行為が、単なる気まぐれにすぎないとしても。


ナチ将校がピアニストに対して見せたヒューマニスティックな一面を全否定するわけではありません。人を一人救ったこと、自分の立場を顧みずにユダヤ人の潜伏をかくまったこと自体は賞賛に値するでしょう。ただ、それは、彼がナチ将校として行った、あるいは主体的にではなかったかもしれないけれども、結果的に加担することになった様々なアンチ・ヒューマニステュックな行為を帳消しにするようなものなのでしょうか。

もしかしたら将校の行った二つの行為(ピアニストを見逃すこととユダヤ人虐殺を推進すること)はそれぞれに全く異なった性質を持ち、で、あるがゆえにそれぞれを比較し、どちらがどれだけ善で、どちらがどれだけ悪なのかを決定することはできないのかもしれません。いや、できないと思います。ただ、個の人間が持つ道徳的多面性、様々な状況において、様々なシステムから要求される道徳的行為の種類、それに対する個人の反応、そういうことについて考えるほどに、この映画を評価する基準というものが見えなくなっていくように思うわけです。
この割り切れなさ加減。個の内面に潜む道徳的多面性、あるいは個の行為を規定する様々な価値観の存在こそがポランスキーの描きたかったものだ、ということもできるかもしれません。ただ、それならなぜ、ポランスキーは最後の最後で、あのナチ将校の死に様についてテロップを流したのでしょう。あるいはなぜピアニストがナチ将校が彼の友人に助けを求めたと言う収容所跡地を訪れるシーンを挿入したのでしょう。引き離された自分の家族を探すシーンでなく、アウシュビッツを訪れるシーンでもなく、自分の名前に触れたというドイツ兵の所在を確かめるシーンを。

もちろんポランスキーは原作に忠実に従ったまでだ、ということもできるかもしれません。でも、あの終わり方やテロップの挿入が、ポランスキー自身のユダヤ人政策あるいは戦争理解と相反するようであれば、そういったシーンはもちろんカットされたはずですから、やはりポランスキーはピアニストを殺さなかったナチ将校にある種の敬愛の念を覚えていると思わざるをえません。もちろんそれが悪いわけではありませんが、本当にそれで良いのだろうか...という居心地の悪さは残ります。

うん、でも、ヒューマニスティックにまとめきれないポランスキーの不器用さは、やっぱり肯定的に捉えるべきものなのかもしれない。美しい話にしたくてもできない。それこそがまさに戦争中の人々の置かれた状況、記憶の傷を示しているとも言えるわけだし。スクリーン上に映し出される映像には、実際に映し出されるものだけじゃなく、そこから外れ/された、でも存在したであろう別の物語、あるいはリアリティというものを想起させる機能もあるわけで、そういう意味では「ピアニスト」は成功しているのかもしれない。

それにしても、歴史もの、特に戦争であるとか、記憶の傷を抉るような作品について語るのは難しいですね...見るのも疲れるし。技術的な部分については、いいとか悪いとか、割とすんなり、一定の基準に基づいて価値判断がくだせるわけですけど、歴史映画の内容について、特にそれが登場人物や監督や、一般の人々の記憶であるとか痛みであるとかと深く結びついている場合、作品のよし悪しを判断するのは非常に困難になります。少なくとも私にとっては...

posted by f at 2003/03/31 1:26
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